絡繰り糸を伝ふ〈四〉

 はだれ雪を長靴ちょうかが蹴散らしていく。雪が泥と混じってぬかるむ地面にどす黒い血が散った。


「霊魔でも血は出ンだなぁ」


 椿はそううそぶきながら、戦いの拍子に落ちた帽子を拾ってかぶり直した。

 穢れを通さない特殊な糸で織られた外套コートは、今やべったりと返り血にまみれている。人の血ではない。足元に山と積まれた霊魔の残骸むくろから流れ出たものだ。


「大通りはこんなもんだろ。後は任せた。おれァ次に行く」


 屍の山から降りると、椿は肩で風を切って歩き始める。そのあとを追うべきか、霊魔の死体を処理すべきか、残された花守たちが視線を泳がせる。


 百鬼ナキリは花守たちの中でも異端中の異端である。大霊災以前は特に目立ちもしない迫間はざま守護の一家に過ぎなかったにも関わらず、霊魔を狩るというただ一点においてのみ突出した能力を持つ者として屍の山を築き上げてきた。

 〈迫間の退き口〉、と花守たちの間で語られる逸話がその最たるものだ。〈霊境崩壊〉の混乱の中、迫間に取り残された——否、自ら残り際限なく湧き出る霊魔を相手取っていた百鬼ナキリ一門が、全ての霊魔を撫で斬りながら帰ってきた退である。


 その中心には彼、当主椿がいた。


 十二月の山郷決戦においても、彼は神鷹とともに活躍し、〈鬼神〉の名をほしいままにした。霊魔討滅の必殺剣、絶対的な鏖殺者、血泥にまみれた人でなし、と——彼の名を彩る言の葉は枚挙にいとまがない。

 年の頃は二十六。神鷹より二つ年上の、彼の幼馴染みである。


(ようやく戦さ場で神鷹あいつを気にかけずに済むと思ったら)


 頭上から襲いかかってきた霊魔の一撃を難なくかわし、一太刀浴びせる。狙うは急所だ。初撃で仕留めることができなければ、あっという間に囲まれる。


 刀身の血を払い、周囲に他の霊魔が隠れていないか気配を探る。であったことが分かると、椿は白い息を吐いた。


「深山のはどこだ」


 声はかすかに苛立ちを含む。できるだけ目を離さないようにしていたのに、乱戦となった少しの間に姿が見えなくなっていた。


 戦闘経験の乏しい女子おなごだ、逃げだしたのでは、と言う者はほとんどいなかった。いても、己の見た光景を否定したい者か、あるいは杏李のそばにいなかった者だ。


(あの太刀筋は確かにあいつのものだった)


 あの場にいた誰もが、病に臥せっているはずの神鷹が再び刀を執ったと思った。それほどまでに、杏李の立ち回りは一分の隙もなく、手練れのそれであった。少し前まで〈無銘〉を抱えて震えていた少女とは思えないほど。


(〈無銘〉か)


 考えられる原因は、強いて挙げるならあの刀か。刀霊を喪い、もはや残滓である神気が僅かに残るだけの刀が、杏李に対し何かしら働きかけているのではないか。


「〈薄氷うすらい〉、」

『近くにいる。四時の方向、五町ほど』

「生きているか」

『動かない。が、生きてはいる。……あの子の気配は少々、掴みにくいけれど』

「……ほう」


 刀霊の答えを聞き、椿は駆け出した。引っかかるところはあるものの、迎えにいくのが先だ。


 霊魔の屍を跨ぎ、廃墟と化した裏路地を駆け抜ける。曇天の空に再び雪がちらつき始めていた。


❉ ❈ ❉


 まるで自分の体ではないようだ。


 鯉口こいくちを切る。柄巻きに指が触れる。その瞬間、ぱちりと音を立てて、体の奥で冷たく熱いものが励起れいきした。


 それは何のきざしなのか。怯えても答える者はなく、体はひとりでに動き始める。


 駆け出す。抜刀。その太刀で、霊魔の首が落ちた。

 一瞬の出来事だった。誰かが後ろで声を張り上げている。だが、その言葉は杏李には届いていない。水の中にいるように、くぐもって聞こえないのだ。


(まるで糸繰り人形)


 他人事のように、そう思う。その間にも手が勝手に動き、刀についた血を払った。意識は夢の中にいるようにふわふわとしているのに、体から伝わる感覚は明瞭だ。

 そのように、時に曖昧に、時に鮮明になる体をふらふらと引きずって、向かってくる霊魔をいくつたおしたか。人の声はとうに遠く、やがて雪がちらつき始めた。


 霊魔のいる方へと歩いているうちに隊と離れてしまったらしい。そもそも戦闘に参加するはずではなかったのだが、それも含めて皆心配しているだろう。

 霊魔にやられてしまったと、思われているかもしれない。杏李本人でさえ、この状況は信じがたい。


 辺りを見回せば、地獄かと思う惨状が広がっていた。側溝から生えた生白い腕を刈り、泥に浮かんだ目玉を潰し、泣き叫ぶ二つ頭を飛ばし、腐りかけた巨大な八つ足の蟲の胴を寸断した。

 瘴気が晴れ、引いていく。この辺りの霊魔は、杏李の手によって一掃されていた。


 それを確認すると、また、ぱちんと音がした。途端、胸倉を掴まれて引き戻されるような感覚が杏李を襲う。体の自由が戻り、同時に、どっと疲れが押し寄せてきた。


 たまらずその場に倒れ込み、荒い息をつく。全力疾走の直後のように、心臓がばくばくと鼓動し、伝う汗が返り血を洗い流す。視界は明滅し、ぐらぐらと揺れていた。体じゅうが軋み、悲鳴を上げている。


 それを、誰かが抱き起こした。今度ははっきりと声が聞こえる。


「深山の! しっかりしろ」


 頬を軽く叩かれる。それで、ようやくはっきりと焦点が定まった。


「……なきりさま、」

「よし、話せるな。どこか痛むか」

「からだじゅう……」

「何?」


 地面に倒れ臥す杏李のもとに駆けつけた椿は、その華奢な体を抱き起こすと素早く具合を見聞する。着物が吸った血が杏李のものではないと分かるや胸をなでおろすも、すぐさま気を引き締めた。


 霊魔の血は穢れそのものだ。長く触れていれば侵される。


 杏李の感じている痛みが穢れによるものだと思った椿は、杏李の手から〈無銘〉を取り上げて鞘におさめ、杏李を小脇に抱えると、来た道を急いで引き返そうと踵を返した。

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