絡繰り糸を伝ふ〈五〉

 早朝の新聞の一面に「翁寺・神守奪還」の字が踊る。それを寝台の上で眺めたのち、困ったような表情で神鷹は顔を上げた。


「杏李。僕は君に危ないことをしてほしくない」


 三日間の霊魔掃討作戦は成功し、その立役者として百鬼ナキリをはじめとする多数の花守の名が連ねられる中、神鷹はその隅の小さな記事に目を留めた。


 小題は「可憐なる深山の花」。此度出陣した花守隊の救護員として、深山杏李の存在が表沙汰にされたのである。杏李は視線を泳がせ、返事にならない声を上げた。


「杏李」


 神鷹の声は優しい。決して杏李を責めているわけではない。だからこそ、杏李の心に深く突き刺さるのだ。


(私が刀を振るったと知ったら、)


 杏李はちらと隣の椿を盗み見た。椿は何も言わず黙っている。

 杏李が霊魔を相手取り大立ち回りを演じたことは、幸か不幸か、病床の神鷹の耳には入っていないらしい。

 新聞社は公表された情報を記事にしているだけだ。しかし、花守たちの間で杏李のことはかなり噂になっている。いずれ神鷹の知るところとなるだろう。


「羽瀬が君に何か言ったのかい」


 声音に僅かな敵愾心が滲む。それに、杏李はすぐに首を横に振った。神鷹は納得した様子を見せず、目を細める。


「僕のことを引き合いに出された?」

「ちが……違うのです、朝霞様」


 取引を持ちかけたのは杏李だ。だが、逆です、とは言えなかった。言い淀む杏李の様子を見て、椿はようやく口を開く。


「羽瀬は深山の貢献に報いるためにお前さんの薬を卸すそうだ。よかったな」

百鬼ナキリ様!」

「どうせすぐにばれる」


 二人のやりとりに神鷹は目をみはり、唇を噛んで俯いた。それに、椿は続ける。


「そもそもお前さんが倒れるようなことがなければ、こうはなってなかっただろう」

「それは……」


 痛いところを突かれたのか、神鷹は押し黙る。杏李は言葉を探したが、そのうちに回診の医者がやってきて、椿に部屋から連れ出された。


詭弁きべんだ」


 そのまま階段脇の長椅子に二人とも腰掛けると、椿は言葉少なにそう言った。


「嘘はついていないが、本当のことも言っていない。羽瀬と何を話した?」


 椿は神鷹ほど優しくない。杏李が多くを語らない状況で、神鷹が憶測を重ねることがないようにしただけだ。

 全て話せ、と鋭く細められた目が語る。


「……私が、お役に立てるのなら、その見返りを望んでも良いか、と」

「お前さんから持ちかけたのか」

「はい……」


 杏李が白状すると、椿は呆れた顔で息を吐いた。


莫迦ばかだなァ」

「なっ」

「すぐに知られるし、羽瀬はお前が女子おなごだ子供だといっておもんぱかるような男じゃあねェ。それに、神鷹がどう思うかくらい想像にやすかろうに。まァ問題は、そうさな、」


 椿の視線が、杏李の腰にげられた脇差に移る。


「お前さんが刀を扱えることだ。神鷹に仕込まれたにしては筋が良すぎる。刀にまぐれもクソもねェ、一朝一夕で身につく芸なら、あいつのような非才が苦労することもねェって話だ」


 どういう理屈だ、と椿は声を低くする。杏李は自分でも訳のわからないことをどう説明したものか、言い淀んだ。

 少しの間を挟んで、椿は立ち上がる。


「……分かった。あまり気は進まねェが、確かめる方法はある。こっちだ」


 歩き出した椿のあとを、杏李はいそいそとついて行く。向かった先は、外庭にある小さな剣道場だった。

 椿は道具箱を漁ると、木刀を杏李に投げて寄越した。手慣れた動作で袖にたすきを掛け、自分も木刀を握る。


「それでおれに打ち込んでこい」

「えっ、ええと、ま、待ってください。待って……」


 肝心の杏李はというと、襷掛けがうまくできずに慌てふためいていた。「着物の袖をまくる」という動作を必要としてこなかった生まれである。見よう見まねでやってみてもどうも袖がずり落ちてくる。


 椿は目を瞬いてそれを見ていたが、杏李が真っ赤になって俯いたところで手が必要と理解したらしい。杏李のそばに膝をつくと、素早く襷を回して背中で結ぶ。


「す、すみません」

「これで『お役に立てそう』か?」

「うぐ、」


 若干涙目になりながらも椿と向き合う。椿は立ち上がり、木刀を正眼に構えた。杏李も真似をして、木刀を握り、構えを取る。


「う、打ち込むのですね」


(……構えはまるでなっちゃいねェが、)


「いきます!」


(思い出すなァ。確か神鷹あいつもこんな風に、最初は)


「はあっ——あうッ!?」


 大上段から振り下ろされた一撃は椿の軽い一振りで弾かれ、杏李はその勢いに負けて派手に転んだ。椿はそれを、驚いて見やる。


「…………いや。あいつでもこんなへっぽこじゃなかった」


「へっぽこ!?」


 聞き流せない一言に杏李が顔を上げると、椿は眉根を寄せる。


「いいか、真面目にやれ。受け身も取れねェようじゃ怪我すンぞ」

「ま、真面目にやってます……! でも、剣なんて習ったことありません!」

「神守での冴えはどうした」

「あれは〈無銘〉が——」


 勢いで飛び出した言葉に、杏李ははっとした。


「〈無銘〉が? ?」

「わ、分かりません。ただ、あの時も、そう……〈無銘〉を握ると、体が勝手に動くんです」

「そうか。。なら——」


 椿は木刀を片付けると、いつも腰に佩いている太刀を手にする。


「真剣でやる」

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