七花香る園の陰に〈四〉

 あれから、杏李の外出は一層厳しく制限された。


 離れとその庭は自由に歩けるが、七香たちが住む本邸に上がることはできない。情報は遮断され、入れ替わりに杏李に教育を施す家庭教師たちは、まるで番人のようだった。


 そんな重苦しく停滞した生活の中で、杏李は自身の境遇に対する不満を募らせていった。


 なぜ、自分がこのような扱いを受けなければならないのか。霊力を持たない生まれの子供は愛してもらえないのか。我慢が限界に達し、周囲の制止も聞かず本邸の父にそう胸の内の感情をぶつけた、その返答は、殴打であった。


 床に倒れ込み茫然ぼうぜんとする杏李の耳には、父の言葉は届かなかった。

 その態度を反抗的なものと見なした父親がもう一撃を見舞おうとしたところを、家人たちが止め、大事には至らなかったものの、杏李は離れに連れ戻され、部屋には鍵がかけられた。


「お父様は、そんなにも私が疎ましいのですか……!」


 姉・七香の人生の汚点となるものを、父は必要以上に恐れている。杏李のことを知る人間が日に日に少なくなるのを、杏李は恐怖と憎悪でって受け入れた。


 ただひとり、あの優しい微笑みの青年は、きっと杏李のことを覚えていてくれる。それだけが唯一の希望であり、ともすれば絶望についえそうになる心の拠り所だった。


 だが、それさえ無残に砕かれる。


 それは杏李が十六となった日のことだった。本邸がにわかに騒がしいのを不思議に思った杏李に、使用人が朝霞の来訪を告げたのである。


 その時杏李の頭によぎったのは、神鷹への期待だった。


 彼なら、杏李の姿がないことを不審に思ってくれるのではないか。

 この薄暗い場所から、連れ出してくれるのではないか。

 あの手で、また頭を撫でてくれるのではないか。


 震える手で扉に触れる。鍵はかかっていなかった。使用人がかけ忘れたのか。その偶然ひつぜんに、杏李は感謝した。


 誰もいない廊下に滑り出る。皆、客を出迎えるために本邸にいるのだろう。明るさに慣れていない目を細め、手をかざして影を作る。目が慣れてきた頃、杏李は静かに歩き出した。


 中庭にその姿はあった。陽の光を受けて輝く黒髪を束ねて控えめに微笑む青年は、記憶の中のそれよりも少しばかり成長し、それでいて変わらぬ柔らかな雰囲気を纏う。


 杏李は声をかけようと口を開き——そして、足を止めた。


 神鷹が軽やかな笑い声をあげる。その視線の先には、己と瓜二つの顔を持つ姉がいた。


(——ああ、)


 それを見た瞬間、杏李は全てを理解した。


 夜闇に一等星を見つけたと言わんばかりの嬉しそうな表情。神鷹は、同じく頬を薄ら染めて笑う七香と談笑している。


(そうなのね、)


 家族、愛情、そして大切な思い出さえも——奪われる。日の当たる場所でのうのうと暮らしてきた、同じ顔の存在に。


 視線に気づいた神鷹が振り返る前に、杏李は踵を返した。まっすぐ部屋へと戻り、寝台に倒れこんで顔を伏せて泣いた。声を殺して、誰にも悟られぬように。


(あの方が悪いわけじゃない)


 愛する人を憎むまいと、杏李はひたすらに言い聞かせる。

 でも、もし、あの日、最後まできちんと言えていたら。

 お嫁さんにしてくださいと、想いを伝えることができていたら。

 もしかしたら、彼は私を選んでくれただろうか?


(悔いても仕方のないことだわ……)


 夢は泡沫のように消える。そのように消えてしまいたい、と杏李は願った。

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