酒は飲んでも飲まれるな

「ハル様はぁ、最上級たっといんです。これはもう、太陽が西にしずむのとぉ、おんなじげんりなんです」

「うん、そうだね」


 一升瓶を片手に、グラスから手を離さないメアが、据わった目で回らない呂律を回す。両手でグラスを持ったシトリーが、彼女の向かいで苦笑いを浮かべた。


「聞いてますかぁ!? シトリー殿!!」

「聞いてる聞いてる。……メアちゃん、そろそろお酒、やめよっか」

「ばかにしてます?」

「ううん。滅相もない」


 底冷えした声音を浴びせられ、瞬間的にシトリーが首を横に振る。鼻を鳴らしたメアが、一升瓶から並々とグラスに酒を注いだ。

 この酒こそ、隣家のハンナから分け与えられたハチミツ酒だ。たぷたぷ音を立てる一升瓶を抱き締め、メアが一気にグラスの中身を煽る。


「……メアちゃん、豪快だね……」

「はーるーさまはー! 私と! いっしょに、おべんきょーしてるんですー!!」

「うんうん、ごもっとも」

「なのになんでシトリー殿はぁ、ハル様だっこするんですー!? 気軽にひょいひょいだっこしすぎです! ふけーですよぉ!!」

「あ、はい。ごめんね?」

「私だってハルさまだっこしたいですぅー! おててつないで、ふへへ、ハルさま……」

「うん、抱っこしたらいいと思うよ。ハル様喜ぶよ」

「お前にハル様の何がわかる?」

「何で突然真顔になるの? 温度差大事にしよう?」


 爛々とした金色の目に睨まれ、シトリーが静かに両手を上げる。


 酔っ払いが一升瓶を逆さにした。螺旋を描く水流が、ぽたぽたと途切れる。

 上下に振られるもそれ以上出てこない雫に、瓶の口を覗き込んだメアがそれをテーブルに叩きつけた。ごん! 盛大な音に、シトリーが肩を跳ねさせる。


「次!!」

「メアちゃん、もうないよ」

「はあ? ありますって! 通販してください!!」

「外部発注の方でしたかー!!」

「芋にしましょう、芋!!」

「駄目だよメアちゃん、経費下りないんだよ?」

「あーじゃあ、私出しますんで!」

「メアちゃん、お財布仕舞って! ハル様費とごっちゃになって、あとで苦しむのメアちゃんだよ!?」

「りょーしゅーしょくださあい!」

「メアちゃんっ、ここ居酒屋さんじゃない……!」

「んむむ、……めあ? しとりー?」


 眠そうに瞼を擦ったハルが、台所の扉を開ける。小さな腕に抱えられたバクのぬいぐるみは、おしりを床に擦って引き摺られていた。

 やべっ! シトリーが笑顔を引き攣らせる。椅子から腰を浮かせた彼よりも早く、床を蹴ったメアがハルを抱き締めた。


「はーるっさまあー! 今夜もさいじょうきゅうかわいいですぅー!!」

「メアっ、またおさけのんだの? おさけくさいー!」


 懸命にメアを押し返そうとハルが腕を突っぱねるも、ここには大人と子どもの力量差がある。力負けした幼子が、うへへとだらしなく笑う酔っ払いに捕まった。

 メアの長い金髪が、やだやだ暴れるハルを覆い隠す。慌てたシトリーが彼女の肩を引いた。バクのぬいぐるみが転がる。


「メアちゃん、自分の胸囲見直して! ハル様が窒息しちゃう!!」

「は? セクハラですけど?」

「んむむー!!」


 メアはナイトメアだ。夢魔を語る以上、彼女の肢体は魅力的でなければならない。

 豊満な胸の谷間に沈められたハルが、苦しそうにもがく。ぷはっ! 顔を上げた白髪の幼子が、涙の浮かんだ金色の瞳を歪めた。

 メアの絞られた腹を、体温の高い小さな手が押す。めあ……、か弱い声が鼓膜をくすぐった。


「……あれ? ハルさまのおかおに、血が……?」

「メアちゃん! 鼻血! 鼻血!!」


 大きく見開かれたハルの目が咄嗟に閉じられ、白い肌にぱたたと赤い雫が落ちる。益々涙目で震えるハルの様子に、シトリーによってハンカチで口許を押さえられたメアが、ふらりと意識を手放した。

 最後の言葉は、「ハルさまたっとい……」だった。


「メアちゃーん!? ハル様、大丈夫ですか!?」

「……ふえっ」

「あああっ、大丈夫ですよー! びっくりしましたねー!!」


 横たわる酔っ払いから手を離し、へたり込んで涙を零す幼子をシトリーが抱き上げる。彼のお高いシャツで、ハルが顔を拭った。ハンカチを失ったシトリーが、諦めの境地でティッシュを数枚引き抜く。

 ぐずぐず泣き出す幼子を片腕に抱きながら、「ハルさまー、ちんしましょーねー」彼が幼子をあやした。


 翌朝、床を叩き割る勢いでメアが頭を下げたが、その日一日ハルはシトリーの後ろに隠れていた。

 メアは『酒は飲んでも飲まれるな』という言葉を学んだ。

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