第36話 旅行初日の悲劇
旅行初日、俺は飛行機で新千歳空港に到着した。
2週間ぶりの北海道の大地。
前に来た時よりも体感温度の心地よさが増して、北海道にも初夏が訪れようとしていた。
俺はJR線で札幌駅まで向かい。そこから地下鉄に乗り換えてちとせの家へと向かう。
俺は電車の中で、また迷いが生じていた。
振られた彼女にこんなことをしていいのか?
というか、俺はなにをしているんだろうかと。
しかし、そんな不安を取り除くため、俺はブンブンと首を横に振る。
(今回旅行の目的は二つ・・・ちとせへの想いを完全に断ち切ること。そして、あおいさんにもっとおれ自身が向き合うこと。)
心の中で今回の目的を再確認して、気合を入れ直したところで、ちとせの家がある最寄り駅へと到着した。
ピンポーン
ちとせの家のインターフォンを押すと、ガチャっと扉が開き、ちとせがひょこっと顔をのぞかせた。
「よっ!」
「うん」
ちとせは何事もなかったかのように家の中に入ってしまう。
俺も、何も言わずに玄関へお邪魔する。
すると、部屋の奥から大きなトランクをもって、ちとせが玄関へ向かってきた。
「似鳥もって!」
「はいよ」
そう言って、俺はちとせからトランクを受け取った。
「よしっ、後は鍵持って…」
何かぶつぶつと呟きながら部屋を一通り見渡した。
「おっけい!それじゃあ行こう!」
そう言って、ちとせはソファーに置いてあったクマのぬいぐるみを抱えて、玄関へと向かってきた。
「それ…そのまま持ってくの??」
「荷物に入らなかったんだもん」
ちとせが抱えているクマのぬいぐるみは、ざっと全長80センチはあろうかという大きいサイズ。
ちとせの身長が低いこともあるが、持っていると家で少女みたいになっている。
「邪魔だから置いていけば?」
「ダメ!この子だけは、絶対に持っていく!いないと眠れない!」
ちとせは俺の提案を断固として拒否した。ちとせにとっては大切な家族なのだろう。抱える力を強め、ぎゅっとクマのぬいぐるみを離す様子はない。
俺ははぁっと短いため息をついて諦めたような視線を送る。
「わかったから、行くぞ」
「うん」
俺はちとせの大きなトランクをもって、階段を下りていく。
それについてくるようにして、ちとせもリュックを背負いながら、前にはクマのぬいぐるみを抱えて後をついてきた。
こうして、俺とちとせの旅行がスタートした。
今日は宿泊するホテルに荷物を置いてから、夜ご飯のすしを食べに行く予定だ。
ガラガラとキャリーケースの車輪の転がる音が響きわたる。
ちとせは、ずっと下を向いたまま無言で歩き続けている。
知らない人から見たら、クマのぬいぐるみを抱きかかえた、背の小さい少女を大きなキャリーケースを運びながら見つめている大人の男性が寄り添っている光景・・・
俺、この旅行中に何回警察に補導されることになるのだろうか?
辺りをキョロキョロと見渡して、警察がいないことを確認する俺。
そして、ちとせの方に視線を戻すと、そこにいるはずのちとせの姿が消えていた。
驚いて辺りを見渡すと、ちとせは立ち止まってお店の中のショーケースをまじまじと眺めていた。
やれやれ・・・本当にマイペースな奴だよ全く・・・
俺はため息をつきつつ、ちとせが見ているショーケースの前に到着した。
「なに見てるの?」
俺の問いに、ちとせは目を輝かせて指を指した。
「このネックレス可愛い~」
ちとせが指さす先にあったのは、ドクロのキーポルダーがついたネックレス・・・可愛いというよりもカッコイイ系。ヴィジュアル系バンドなどが良く見につけていそうなネックレスだった。
「ほしいなぁ~似鳥、これ買って?」
懇願するような視線で見つめてくるちとせ。
だが、騙されるな俺。今回の旅の目的はちとせへの想いを断ち切ること。
こんなねこだましの術に引っかかっているようじゃ、ほど遠いぞ?
「お願い…」
しかし、目を潤わせて俺の目をじぃっと見つめ続けてくるちとせに対して、俺は思わず口ごもってしまう。
何やってるんだ俺、ここは心を鬼にして・・・
その時だった、ひそひそとどこからか話し声が聞こえた。
チラッと横目で見ると、近所の奥様方だろうか、俺とちとせの方をみて不思議そうな顔で見ながら何やら話していた。
不穏な雰囲気が辺り一帯に広がり始める。
まずい…これは一刻も早くここを出なくては・・・
だが、今度はちとせが俺の袖を掴んでさらに近くで見つめてくる。そんなことされたら…誰だって勘違いしちまうじゃねーか。
「わかった・・・わかったから、ちょっと待っててくれ…」
俺は、そう言い残して逃げ込むように店内へと足を運んでしまった。
あぁ…なんて俺は弱い心を持ってしまったのだろう。
さようなら、俺の1500円。
お店から出て、俺は包装紙に包まれたネックレスをちとせに手渡してやる。
「ほらよ」
「ありがと~」
ちとせは嬉しそうな表情を浮かべながら、包装紙を丁寧に剥がして、ネックレスを一通り眺めてから自分の首にかけた。
自分に見につけたネックレスの調子を、ガラスのショーケース越しに映る自分の姿を見て確認する。
「よしっ!それじゃあ行くか!」
満足したのか、ちとせは勝手に駅の方へとある気だしてしまう。
ホント、自分勝手な奴だ…
俺はまた、ちとせにしてやられてしまった。
ホテルにチェックインを済ませてから、俺たちは回転ずしチェーンへと向かった。
北海道まで来て回転ずし!?信じられない!
って思ってる奴ら。そんな、振られた女に対して高級すし店なんていく分けないだろう。
というか、この回転ずしチェーンがいいと言ってきたのはちとせの方だ。むしろ予約までしてセッティングした俺に感謝してほしいくらいだ。
「お寿司ぃお寿司ぃ~」
ちとせは楽しそうに鼻歌を歌いながら自分たちの番を待ちわびていた。
そして、しばらくして自分たちの番号が呼ばれて、席に案内された。
テーブル席に向かい合う形で座る。
「好きなもの頼んでいいぞ」
「頼んで!頼み方わかんない」
「お前な・・・」
少しは自分でやるということを覚えさせた方がいいのではないだろうか?今までもこうやって甘やかせれて生きてきたのであろう。
だが、正直ここで俺が『自分でやれ』と指示して、ちとせの機嫌を損ねた場合の方がもっと面倒だ。
これから約10日間、ほとんど険悪なムードで時間を過ごす方がもっとストレスだった。
「しゃーねぇな、何食いたい?」
俺が仕方ないなといったように、メニュー画面をタップして聞くと、すぐさま答えた。
「マグロ!!」
「はいはいマグロね。いくつ?」
「5皿!」
「マグロだけでそんなに食うの?」
「うん、だってマグロ好きだし」
まあ、本人が食べたいのならそれでいいだろう…
俺は自分の食べる分のマグロも含めて、計6皿を注文した。
それから、ちとせの食べっぷりはすさまじかった。
元々男性の中でも少々な方である俺は、10皿食べれば十分満足にお腹一杯になれたのだが、ちとせは計17皿を平らげた。
その幼女見たいな体でどんな胃袋しているんだ?
「はぁ~満足」
ちとせが幸せそうな表情でお腹を擦りながら椅子にもたれ掛っていた。
かと思えば、すぐにポケットからスマホを取り出して、LANEのチェックを開始する。
こいつはホント、いつでもどこでもスマホ中毒だな…
「そろそろ行くぞ~」
「う~ん・・・」
俺は苦笑いするしかない。大体こういう素っ気ない生返事が返ってきたときは、スマホに夢中で聞いていないときの証拠だ。
俺は画面をタッチして、会計ボタンを押して席を立ちあがった。
ようやく気が付いたちとせが『どこへ行くの!?』と驚いたような表情を浮かべている。
「ホテルに戻るぞ」
「あ、おっけ~」
そしてようやく、ちとせも席から立ちあがった。スマホを操作したまま。
結局ここの会計もすべて俺。
まあ、チェーンの回転すしだし、それほど高価な物ではないので別にいいんだけど…
◇
ホテルに戻った後、俺はシャワーを浴びて寝る支度を整えていた。
明日は朝早くから遊園地に行く予定なので、早く就寝してしまおうと考えていた。
一方のちとせは、クマのぬいぐるみを抱えながら、テレビを流しっぱなしにして、スマホでツイキャツの生配信を見ているようだ。
さきほどからケラケラと盛大に笑い声を上げている。
俺はそんなちとせをよそ目に、布団にもぐりこんだ。
「先寝るぞ、明日朝早いんだからちとせも早く寝ろよ」
「うん」
そう言い残して、俺は眠りについた。
「ヴェ~ン・・・」
目を覚ましたのは、嗚咽にも聞こえる泣き声だった。
布団を剥がして起き上がると、隣にちとせの姿はない。その変わり、トイレの方から鼻を啜る音と吐き気を催す嗚咽の音が聞こえてきた。
俺は飛び起きて一目散にトイレの方へと駆け寄った。
そこに広がっていたのは・・・トイレの中でうずくまるようにして丸まって泣きじゃくっているちとせの姿だった。
間違いない…俺がちとせと初めて顔を合わせるきっかけになった。放心状態になってしまったときのちとせだった。
「ちとせ!?大丈夫?」
ちとせの体は、汗でべっとり濡れていて、体が大きく痙攣を起こしていた。
「薬・・・」
「え?薬?」
「薬バッグに入ってる」
俺はちとせのリュックの方を見た、恐らくそこに安定剤のような薬が入っているのであろう。
「わかった、探してみる」
なんとかしなきゃ…このままだとまずい。
俺は焦る気持ちを抑えながら、必死にリュックの中に入ってる薬を探す。
しかし、どこにあるのか全く分からない。
「貸して!!!!」
すると、力を振り絞ってちとせがこちらまで歩いてきて、バッグをかっさらった。
ちとせは意図も簡単に薬を見つけ出して、再び用済みになったバッグを俺に渡してくる。
「お水用意して!!!」
そう言って、再び這いつくばるようにしてトイレへと駆け込んでいった。
俺は荷物をベッドの上に放り投げて、すぐさまコップに水を入れてちとせの元へと持っていく。
「飲めそう?大丈夫?」
しかし、ちとせからの返事はない。それくらい過呼吸状態になっている。
「ここに置いておくからね?」
そして、俺はうずくまっているちとせの横にコップをおいた。
しばらく様子を見ていることしか出来ない自分の不甲斐なさが余計に腹が立つ。
「看護の先生に電話する・・・」
すると、ようやく多少落ち付いたちとせが、震える手で何とかスマホをポケットから取りだして、緊急連絡と書かれたボタンをタップした。
スピーカーモードにして、電話のコール音が鳴り響く。
「はい?」
電話越しから聞こえてきたのは、見知らぬ女性の声だった。
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