第22話 分かった、行くよ

 通話に出ると、鼻をすすりながら嗚咽を上げているちとせの声が聞こえてきた。


「ちとせ?」

『にとお兄ちゃん・・・気持ち悪いよぉ…』

「大丈夫か?」

『どうしよう、トイレから出れない』

「吐きそう?」

『気持ち悪い、吐きそう・・・でも吐きたくないぃぃ!』

「吐いちゃった方が楽だよ?」

『ズズ・・・やだぁ、吐きたくないぃぃ!!』

「ヨシヨシ、大丈夫だからね」

『うぇぇん・・・』


 ちとせは、放心状態になっており、落ち着きが取り戻せない状態のようだ。


『誰か・・・誰か来て・・・』

「うん…」

『なんでにとお兄ちゃん近くじゃないの!?』

「ごめんよ…」


 ちとせが住んでいるのは札幌、僕は関東に住んでいるので行くにしても6時間以上はかかる。現在の時刻は夜の11時過ぎ、最終の飛行機も新幹線も終わっているため、いけるにしても明日の朝一の電車で空港に向かうしかない。


『うっ・・・!』


 すると、ちとせの吐き気がまた来たようで、ゲホッ、ゲホッっとせき込む声が聞こえてくる。


「ヨシヨシ、つらいな、大丈夫だよ」

『うぇぇぇん・・・コウ・・・コウ・・・』


 この時、ちとせが助けを求めて叫んだのは、元カレのコウの名前だった。何度も何度もコウと呟きながら泣きわめいていた。

 僕はこの時、何とかしてちとせを落ち着かせてあげたいという気持ちと、自分の名前ではなく、元カレの名前が呼ばれて悔しい気持ちに駆られていた。


 僕は現時点でちとせの心のよりどころになれていない。そう感じてしまった。


『ヴォェエ・・・』

「ヨシヨシヨシいいよ?吐いちゃいな?」


 その時、ちとせの吐き気が再び襲ってきたようでトイレに向かって顔を向けているようだ。僕は先ほど考えてしまった邪念を頭から振り払い、今はちとせを落ち付かせて慰めることに専念することにした。


『・・・にとお兄ちゃん、どうしたらいい?』

「とりあえず、これそうな人に連絡してみな?」

『うん…わかった。ちょっと待っててね?』


 そう言って、一度通話を切って、他の人に電話をしに行ったようだ。

 僕はその間に、ちとせにもし『来てほしい』と言われた場合に想定して、空港までのルート検索や、飛行機の空き状況を確認しておく。


 調べを終えて、いつでもチケットなどを購入できる状態にしておいて、ちとせからの連絡を待った。かれこれ30分くらいは経過しただろうか、時刻は夜の0時を回り、外は真っ暗闇に包まれ、車通りも少なくなってきていた。


 そんなことを思っていると、スマホのバイブレーションがブーブーと振動した。

 慌ててスマホを手に取って確認すると、ちとせからようやく通話がかかってきた。


 僕は通話ボタンを押して、耳に近づけた。


「もしもし?!どうだった?」

『・・・うん、とりあえず看護の人が来てくれることになった』

「そっか、それはよかった」


 ようやく助けに来てくれる人が見つかり、一安心する。

 ちとせも助けに来てくれる人が見つかったことで安心できたのか、先ほどよりも大分落ち着きを取り戻して、会話が出来るようになっていた。


『にとお兄ちゃん、ごめんね?』

「平気だよ、心配するな。今は自分のことだけ考えてればいいから」

『うん…ありがと』


 こういう時にも相手のことを心配するなんて…全く、どれだけ優しいんだか…


『はぁ…ほんとね、もう来るはずのない元カレの名前叫ぶくらい取り乱してね』「うん、そうだな」


 どうやら、取り乱していた時の記憶もあるようだ。


『にとお兄ちゃんがもっと近くにいてくれたらなぁ…』


 ボソッっとちとせがそんなことを呟いてくる。事実なので、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「ごめん…」

『ううん、仕方ないよ。私のために来るなんてこと無理にできないし』


 その言葉を聞いて、僕は少しイラっとしてしまった。僕がそんな軽い気持ちでちとせのことを好きだと言っているわけではない。そう証明したかった。


「別に、無理じゃないし」

『・・・えっ?』


 そして、僕は電話越しに意を決したように顔を上げて、ちとせに言い放った。


「僕がどれだけとちとせのことが心配なのかっていうこと、ちゃんと分からせてあげる。明日そっちに行くから」

『えっ!?ちょっと待って』

「待たない、僕はちとせのことが心配だし、今はそばにいて慰めてあげたいから」

『・・・』


 僕が言い切ると、ちとせはそれ以上何も言わなくなった。


「じゃあ、朝一で向かうからね?待ってて」

『・・・うん』


 ちとせの元へ僕が向かうことを受け入れると、僕は布団から起き上がって、明日の準備をそそくさと始めるのであった。




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