第2話 鷲見 顕隆 後編
(んなこともあったなあ……)
そういったことがあってから、一年が経過してなお、今昔の位は戊のままであった。
「今昔君、漢字間違えてる。怪奇じゃなくて怪異」
「俺がそんな失敗するわけ……あったわ」
彼は今だ、怪異対策委員会を、怪奇対策委員会と間違える程度にはゆるく過ごしている。
「もー、一年経つんだから覚えてよね」
「分かっとるしー……」
漢字のミスを指摘をしたのは、3-Aの乙丸環奈(おとまる かんな)である。怪異対策委員会の副委員長を務める彼女は、よく鷲見のいる3-Cへやってくる。茶髪をショートヘアにした彼女の腕には、青い副会長の腕章がつけられている。
手持ち無沙汰に輪ゴムを指で回す乙丸を見た後、自然と今昔の視線は教室の隅でグラビア雑誌を押しつけられて悲鳴を上げる鷲見へと向いた。
乙丸の三白眼気味な眼差しも、そちらへ向けられる。
「しっかし、鷲見のやつ『乙』まで行ったか……」
「ね。あっという間でびっくりしちゃう」
一年の間に、鷲見はめきめきと実力を伸ばした。今となっては、最強とされる甲に続く乙まで上り詰め、人望も成績も上々である。
もっとも、人望は実力ではなく、人好きのする性分が理由であるということは、二人もよく知るところであった。
「悔しいけど、強いんだよね」
「せやな……」
今昔は、乙丸と鷲見の関係を端的に聞いていたので、何とも言えない顔で二人を見比べていた。
乙丸も『乙』であることには違いないのだが、鷲見に譲っている節がある。曰く、乙丸が鷲見を一方的にライバル視していたことであるとか、負けてすっきりしたことだとかを聞いて、今昔は相槌を打ったものだった。
(まー、似たもの同士やんな)
今昔は二人の関係をどうこう言うつもりはなかったが、歴然とした力の差とそれを埋める足掻きというものには、確かに共感するところがあった。
「同学年じゃなきゃなーって思ったりしたんだけど、鷲見君が下の学年だったら、それはそれで嫉妬するなーって最近思うんだよね」
「それな。俺は同学年でよかったと思うわ」
机に頬杖を突き、今昔は騒がしい悪友たちの中心にいる鷲見を見ていた。
「おーい、今昔も乙丸も! 見てないで助けてくれ!」
「明日、焼きそばパン一個」
「あ、私はメロンパン一個」
「あのなーっ!」
「成長したまえ、生徒会長殿!」
「せやで、いつまでも耳赤くしとったらカモやで、鷲見」
耳まで真っ赤な鷲見がもみくちゃにされるのを見届けた後、今昔は乙丸へと視線を移した。
「あの怪異を食う怪異の件ってどうなったんって話しにきたんと違うの?」
「あ……それ。鷲見君から聞いてた?」
「一応は……どれ」
乙丸が鞄から取り出したのは、とある新聞のコピーだった。白黒で解像度も悪いが、そこには一本の道路と、文字が記されている。
「……神隠し」
新聞に記されていたのは、とある行方不明事件だった。神隠しとも称されたその事件でいなくなったのは、一人の母親だ。取り残された少年は茫然自失の状態であったものの、無事ではあったという。
「今日の収穫は、この時期多発した神隠しの犯人がそいつじゃないかって話なんだよね」
「ほーん……。ん、待てよ?」
今昔の視線に留まったのは、被害者の名字だった。
「囃子?」
今昔は片眉を跳ね上げた。彼にはその特徴的な名字に覚えがあった。彼の脳裏に浮かんだのは、2-Bに在籍する男子学生だった。
「囃子って、あのニット帽かぶってヨーヨー使う?」
「そ、『庚』の囃子叫介君。あのとき、被害に遭ったのは囃子君のお母さんなの」
今度は眉を寄せ、今昔はうなる。
「『金の兄』やったら分は悪いな……」
「うーん、一度彼に話を聞いてみようと思うんだよね。今昔君も来る?」
「いや……」
乙丸の誘いに、今昔は首を横へと振った。乙丸は食いつきが悪いことが意外だったのか、首を傾げている。
「見とって分かる。音楽性が違う……面倒なんはパスで」
「そっか。じゃ、今度会った時に聞いてみるね」
それでも元気を失わず、鷲見へと近付いていく乙丸を見送り、今昔は退屈そうにあくびを一つして、背もたれに身体を預けた。
偶然であるが、今昔は囃子が戦う時の、どこかぎらついた目を一度だけ見たことがあった。
今昔は理解している。囃子叫介は、和解による浄霊よりも対立の末の除霊を好む。自分とは真逆のスタンスにある人間だということを。だからこそ、無理な接触はしない。だが、多少案じてはいる。
(母親の影を背負っとるんやろな)
対して会話もしない下級生のことを軽く思い浮かべて、今昔はらしくもないため息をついた。
「お前はいいよな、髪ゴムがあれば戦えるんだから」
「でっしょー。存分にうらやましがってよね」
鷲見と乙丸の和やかな会話が、どこか遠いところから聞こえてくるような気持ちになって、今昔はただぼんやりと、ガラス越しの暮れゆく空を見ていた。
今日も怪異の時間が、もうすぐ始まろうとしている。
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