第2話 鷲見 顕隆 前編

(はー、転校か……乗り気やないけど仕方あらへんな)

 今昔和音(こんじゃく かずね)は転校生である。坂奇学校の3-Cに転入する予定の彼が、常夜広がる夜の学校に忍び込んだのには訳がある。

(まずは下見やな。この学校の怪異がどんなもんか見たろうやないか)

 今昔は符やらステッカーやらをたくさん貼ったギターケースを携えて、リノリウムの廊下を歩いて行く。

 寺生まれの彼は生まれもって退魔の家柄だった。楽器を用い、その音色をもって怪異を鎮めるのを生業としてきた。だからこそ、彼にも相応の自信はあったのである。

(ん……早速、おっぱじめとるな……)

 寝癖のついた金のくせっ毛もそのままに、今昔は曲がり角の壁から顔を出す。

 そこに、形状の定まらない怪異が一体と生徒が一人、向き合っていた。

(おー、槍持っとるやんけ。銃刀法どないしたん、銃刀法)

 怪異と一人で相対するのは、茶色とアイボリーのグラデーションがかった髪を後ろで束ねた生徒だ。見るからに屈強そうな彼は、仕込み槍を持ち、構えている。

「ん、お前が見境なく怪異を襲ってるやつだな……悪いけど、ここで退治させてもらいますよ、っと!」

 彼は啖呵を切って、素早く怪異へと切り込んでいく。退魔の家の出である今昔から見ても、その腕前は目を見張るほどだった。

(お、おおーっ、やりおる)

 すっかり観客側に回ってしまった今昔は、生徒を応援することにした。と、同時に、彼の今しがたの発言を考えていた。

(怪異を襲っとるってどういうことなんや? それやったら同士討ちさせたってもええやん。そうでもないんか?)

 無造作に伸ばされた歪な手を槍で振り払い、生徒は槍の鋒で怪異を突き刺す。おぞましい悲鳴を上げて、怪異がいくつもの足でたたらを踏む。

 生徒は素早く身をかがめて、遠心力を掛けて槍の柄で足払いを放つ。バランスを崩す怪異に、さらに一撃を突き込む。戦力差は歴然であった。

(おお。圧倒的やん……でもあれぐらいやったら、俺でもできるし……)

 心の中で静かにエールを送っていた今昔であったが、ふと、肩を叩かれて後ろを振り向く。

「ぉ……」

 今昔の後ろにいたのは、顔のない女生徒の怪異だった。家庭科教室で仕入れたのか、ご丁寧にも包丁を握っている。

「ん、ぉ、わあ!」

「!?」

 びっくりした距離を取った今昔だったが、生徒には気付かれてしまった。気まずいながらに視線を泳がせ、ギターケースを掲げて見せる。

「……あー。ども、流しのギタリストです」

 女生徒の怪異からツッコミのように包丁が振り下ろされた。とっさにギターケースで身を守り、今昔は怪異に苦笑する。

「おおっ、ととと……名乗り口上ん時に襲ったらあかんって教われへんの?」

「あ、あー……あんた、ひょっとして今度3-Cに転校してくる今昔?」

「せやで。怪異対策委員会、期待のエース。今昔和音や」

 槍使いの生徒はといえば、胡乱げな目で今昔を見ている。今昔は包丁での攻撃に冷や汗をかきつつも、ローテンションに返事をする。

「俺は鷲見顕隆(すみ よしたか)! 怪異対策委員会の会長だ! ひとつよろしく!」

 生徒は今昔と背中合わせになりながら名乗る。屈託のない笑顔に、今昔はだるい気配もそのままに、笑みを返す。

「うっわ、ビッグネームやん。丁度ええわ、聞きたいことあるから後でな」

「なんだ? 美味い飯のある店でも喋るか?」

「いや、死亡フラグやん……」

 軽妙な会話もそのままに、今昔はケースから札を剥がしてギターを取り出し、柄を掴んで構える。鷲見が武器の構え方を見て、二度見する。

「え、演奏するんじゃないのか!? えっ、ダウナーに見せて案外ロックなの!?」

「誰彼構わず除霊してええんなら、やるけど……。ま、これでいけるやろ」

 今昔はそう言って、ギターの裏側に設置された小型のレバーを引く。ギターの胴部から音を立てて刃が飛び出す。

「うわ、かっこいい」

「せやろ」

 今昔はちょっと得意げになってネックを握った。二人は身をかがめ、同時に飛び出す。

 異形の怪異を相手取り、鷲見が槍を軽く突き出す。腕で防がれるものの、彼は素早く槍を引っ込めて、柄をしならせ上から防いだ腕を殴打する。

 その背後で、女生徒の怪異に対し、今昔は容赦なくギターを振り下ろす。無秩序に振り回される包丁に軽く腕を切り、とっさに怪異の胴を蹴る。怪異は後方に蹴り飛ばされるも、両足と片腕を廊下に押しつけ、勢いを殺す。

「ガラ悪っ」

「使えるもんは使うやろ……!」

 包丁を小脇に構えて突撃してくる女生徒の怪異に、今昔は舌打ちする。近付かれた後に包丁を振り回されないよう、やや大げさに距離を取る。

 今昔は女生徒の怪異を見定める。やむを得ない理由ならば、浄霊をしたい今昔であったが、その余裕はまったくないということだけが分かっていた。

「ええ加減に、せえ!」

 勢い余って横を通り過ぎた怪異に向けて、今昔は渾身の力でギターを振り抜いた。

 仕掛け刃が食い込み、勢いよく怪異を吹き飛ばす。金切り声が響いたかと思うと、女生徒の怪異は黒いもやのようなものになって、その場から消えていった。

 今昔の背後で咆哮が響く。丁度、そのときに鷲見と異形の怪異との戦いも終わり、あたりは形になりきらない邪気がかすかに漂うだけとなった。

「……あー、しんど」

「お疲れさん。腕、手当てしな」

「はー、用意ええなあ。おおきに」

 鷲見が自分の鞄から手際よく消毒液と絆創膏を取り出すのを見て、今昔は感心する。鷲見の槍は柄を弄ると懐中電灯ほどの大きさになって、すっかり目立たなくなる。今昔も、ギターケースに愛用のギターをしまう。

 軽く手当と片付けを終えて、二人は近場の階段へと腰掛ける。

「で、聞きたいことって何だ。未来の同級生が何でも答えてやるぞ?」

「あー、と……」

 早速切り出されて、今昔は深い夜の映る窓を見た。常夜の世界は、星明かりさえ見えはしない。

「見境なく怪異を襲っとる怪異って、同士討ちさせたらええやん? あかんの?」

「ああ、それな……」

 後ろ頭を掻いて、鷲見は苦笑する。

「もちろん、ただ殺し合うだけなら、そういう手段を取ってもいいのかもしれない。ただ、近頃妙な噂が立っててなあ……」

 今昔は横目で鷲見を見た。鷲見の目がにわかに真剣味を帯びたことに気付いて、沈黙のまま、続きを促す。

「同族を食って、力を得る怪異だ。それだけじゃない。人間を食って、その姿を奪う」

「は? キモ……」

「随分と前から存在は確認されていたらしいんだが、この頃、妙に活発らしくてな。俺はその調査に来たってわけ」

「ほー。で、アタリやったん?」

「ハズレ。こいつじゃない……」

 鷲見は異形のいたあたりに視線をやって、深いため息を吐いた。今昔も肩をすくめて、軽く伸びをする。

「こっからどうするん?」

「俺は調査を続ける、と言いたいところだけど……『戊』とはいえ、当番じゃない奴が乱入してきたんなら、報告しなきゃだろ……」

「あっ」

 こっそり潜入してきた今昔に指を向け、鷲見が眉を寄せる。すっかりそのことを忘れていた今昔は、視線を泳がせる。

「焼きそばパン一個で手ぇ打たん?」

「えっ、仮にも会長に買収持ちかけるの?」

「グラビア雑誌でもええんやで……」

「アホか!? いらねえ!」

 鷲見が耳まで赤くする様を見て、今昔は彼の弱みを握ったと確信した。おのずと、あくどい笑みが浮かぶ。

「……靴箱に、入れたってもええんやぞ」

「あーっ、くそーっ、分かった分かった。焼きそばパンで手を打つ!」

 両手を振って、観念した様子で鷲見が声を上げた。交渉は成立した。今昔は満足げに頷く。少しだけ距離を縮めた今昔は、再び鷲見を見る。

「それで、自分なんでこんなことしとんの。言っちゃ悪いけど、危ないやん」

「俺が天才だから……」

「そういうのええわー」

「そうかー……ま、七不思議との因縁みたいな? 大丈夫、後ろ暗いもんじゃないから」

「七不思議か……」

 七不思議という言葉に今昔は聞き覚えがあった。この常夜の坂奇学校を統べる、極めて強い怪異の総称である。鷲見がどういう理由で強大な怪異と因縁を持ったかまでは分からなかったが、今昔はしっかりと前を見る鷲見を悪いようには思わなかった。

「さて、話しすぎたな。今のうちに校舎を抜けとくといい。最悪、出られないなら『小学校の校舎』を頼れ。いいな?」

「うーす……。じゃ、気ぃつけてな」

「そっちもな。また明日!」

 鷲見も今昔も立ち上がり、それぞれに歩き出す。まるで放課後に交わすような、何てことはない別れだった。

 小学校の校舎を頼れとの言葉は気になったが、今昔は無事、その日の夜を超えたのだった。

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