依頼 其の参 【真冬の鬼灯】尖った熱と加速する呼吸

 鬼灯(鬼燈)の花言葉は【偽り】【誤魔化し】【半信半疑】と、あまり素敵な言葉とは言いがたい。

 小さな白い花は、のちにゆっくりと丁寧に実をつける。可愛らしい見た目に期待に胸を膨らませて果実に手を伸ばす。身がたっぷりと詰まっていると思わせる。だが、そいつは見た目に反して空洞で小さな実が姿をあらわす。そこから【偽り】等と言われたのだろう。

 毒がありつつも漢方にもなるのだ。使うのに勇気がいる。だけれども、人は薬になるのなら、それで楽になれるのならばと。【半信半疑】はそこからついたのだろうと言われている。


 ******


 年が明けて、俺はまるで屍のように寝ていたのだろう。賢太郎が作った雑煮の匂いで目が覚め、重い頭を抱える。そして、起きてからずっと何も考えず何も言わずに窓の外を見ていた。


「蜂谷さん。あけましておめでとうございます」

「ああ。賢太郎。おめでとう」


 テーブルの上には、お重箱のおせちが並び、ご丁寧にお屠蘇まで用意されていた。それに驚いていると、西口が俺の姿に気がつき両手を広げた。

「あきちゃん! 僕へのお年玉は十万円くらいでいいからね〜 あ! もちょっと多くても僕は良いのよ? 遠慮なくどうぞ〜」

「いくつまでおまえはお年玉をもらうつもりだよ」

「え〜? あきちゃんが死ぬまで?」

「何故おまえは、今ものすごい勢いで照れているんだ? そこはおまえが照れるところなのか?」

 俺が呆れた声を出すと、橘が花瓶を窓辺にそっと置く。ゆっくりとこちらを向くと椅子に掛けてあったカーディガンを俺の肩にかけてくれた。こういう心遣いが何気に俺は照れくさかった。

「今朝は冷えますね。それと、ボーイはどうやら限界を超えたのでしょうね」

「おお、ありがとう。橘、おはよう。それから、あけましておめでとう。限界? なんのだ?」

「さあ…… 一体全体なんのでしょうね。あけましておめでとうございます。それと、おはようございます」


 正月早々の会話がこれか?

 それでいいのか? これでいいのか?


「彰さん」

「どうした、賢太郎?」

「年賀状が今年もたくさん届いていますよ」

「おお! さぞ、たくさん来ているのだろう?」

「そうですね。殆どが…… ご近所のお店の挨拶状と郵便局の挨拶状。あとは事務所のお客様ですね。ご親戚やご友人のは無いようですが ……うん? これはどちら様でしょうか? 鴻野様?」

「賢太郎……ひとこと多いのよ、ひとこと。鴻野…… 鴻野…… 誰だっけな?」

「お客様でしたら覚えがあるのですが…… このようなお名前に記憶がございませんね」

 賢太郎がそう言いながら俺の手に渡そうとハガキを差し出したところで西口が横から顔を出す。そして、そのままかっさらってソファーで真剣な目をした。


「ん〜 なになに? ふんふん。元旦に鎌倉近くに来ているから午後にこちらに寄りますって書いてあるよ! わあ〜 あきちゃんにお友達いたんじゃない!」

「俺宛に届いたハガキを読むな読むな! 西口……俺、ちょっとだけ傷ついたから」

「えへへへ〜 そんな褒めてもなんにもあげませんよお〜」

「西口…… おまえはまったく……」

 西口の手から奪い取ると俺はもう一度そのハガキを見る。が、鴻野という名にやはり見覚えはなかった。綺麗な文字に何故だか、俺は一瞬懐かしい気持ちになった。


「あきちゃん…… 誰かに恨まれたりしてませんか〜」

 何故だ? 西口、それをどうしておまえは喜んで言うんだ。


「あ! 怨まれていませんか?」

 言い直すな! 漢字で言い直すのは実際は伝わらないからな?


「鴻野」という名に首を何度かしげ、よく考えるが、やはり覚えがなかった。午後に寄りますって書いてあるが、午後は今からとても長いぞ? それにここに書かれた午後はいつまでが午後だ? なんなら今からだと午後はもっと長い。それまで事務所でどこにも行かずに待つのか? なんとも勝手な言い分だな。こちらの身にもなってくれ。ご近所に挨拶回りに出掛けたかった。が、今日くらいはゆっくりしろと言われているのだろうな。今日は事務所でゆっくりな時間にしよう。


「……おまえたちは、いつまで事務所にいるつもりだ」

「えっと…… 気がすむまで?」

「私は明日までやることもないですし、掃除をもう少しやりたいと考えています」

「ワタシは帰ってもいいのですが、それだとみなさん困るでしょう。本日のご飯、どうなさるおつもりですか?」

「…………」


 正月休みという概念を覆すな。おまえたちはいつまで俺を甘やかすんだな。だが、今回はありがたかった。寂しいわけじゃない。ただ、何かが欠けたような気持ちに押しつぶされる寸前だっただけだ。それだけなんだよ。


「……十分すぎるか。この答えじゃ」

「なにか言いましたか〜」

「いや。なんでもない」

「そうですか」


「さっきから何を準備しているんだ?」

「だって。午後にお客様が来るんでしょ?」

「……ああ」

「だったら、今のうちに御参り行きませんか? 初詣!」


「……いや。人が多いぞ? 午後までに無事に帰って来れるか問題だな。それに電車もバスも道すらも混むぞ。どこに行っても芋洗い状態だ」


「それもそうですね。って。あっっ!」


 少し残念そうに西口が言うが、すぐに思い立ったようにキッチンに入っていく。しばらくすると甘いバターの香りがリビングに広がってきた。


 フレッシュなバナナに焦がしバターをかけ最後にはちみつをたっぷりかけたパンケーキをなんともまあ、いとも簡単に用意してくれる。そして、それを自慢気にテーブルに並べていく。疲れた身体に甘い香りが浸透していくようだ。これはテンションが否応にも上がる。焦がしバターの芳醇な香りとスパイシーなシナモンシュガーを添えたクリームが食欲が湧き出てくる。熱々のミルクティーに周囲に立ちのぼる湯気。俺は必死で頬がゆるむのを我慢する。極めつけは、レモンとサーモンのサラダだ。香草の緑がアクセントになる見た目も十分なほどのおもてなしだ。俺は否応にも目尻が下がっていただろう。


「……おせち料理よりも正直に言うと、豪勢に感じますね」

「賢太郎さんが僕を褒めた!」

「これだけ立派に用意すれば文句の、もの字も出ませんね」

「えへへへ〜」

 西口のとろけてしまいそうな照れ笑いに俺は思わず柔らく口元がゆるむ。つられて笑ってしまいそうになるのを誤魔化すように年賀状を手にして口元を隠した。そんな俺に気づいた橘が小さな声で近ずいてくる。


「素直じゃないですね。蜂谷さん」

「うるさい」

「それはそれは、失礼しました」

 俺と橘が小声でする話を目ざとく見つめる西口は少しだけ不機嫌な顔をしたかと思うと、ゆっくりと側に寄り添って来る猫のように目を丸くして声を出す。


「男ふたりでナイショ話ですか?」

「いや…… たいした話じゃないさ」

「ウソ! 美味しい物に行くんですね? それなら僕も一緒に行く!」

「行かない行かない」

「ボーイ…… 正月にどこに行くというのです? お腹は十分に満たされた筈ですよ」

「美味しい物は別腹でしょ?」

 橘は笑いを堪え珍しく口元に手を当てて笑う。それに釣られるように俺も笑う。賢太郎はキッチンから手を拭きながらキョトンとした。うちの事務所は正月だろうが何も変わらないようだ。


 騒がしくしていると事務所のインターホンが鳴る。扉を開けた先には着物に身を包んだ黒髪の女性が立っていた。小さな紙袋を手に丁寧なお辞儀をしゆっくりと顔を上げる。俺は初対面と思わしきその女性に、ほんのりと香る匂いにどこか懐かしい気持ちになった。


「主人が今日はどうしてもこちらに来れなくなったもので。私が代わりにこちらに来た次第で…… あ。紹介が遅れました。私…… 鴻野の家内でございます」


 女性の凍るような視線と透き通った声に周囲の音までもが凍ったような空気に変わった。


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