依頼 其ノ弍 【万華鏡】あなたの心が遠くても

 君を見ていると、万華鏡を覗いている気分になれるんだ。角度を変えれば、様々な表情を見せてくれる。光の入り方ひとつで楽しさも悲しみも演出してくれるんだよ。

 それは見事に彩やかで美しい。子どもも、大人も、言葉を忘れて夢中になれるんだ。気がつくと黙って泣いている時もあるほどだ。代わる代わるに小さな音を立てて、二度と同じ物を見せないんだ。


 それが、とてもとても綺麗で素敵なんだ。


 ボクの細胞のひとつひとつが響めく。


 ところで、いま――

 そこには君の心は幾つあるの?


 *****



「ど〜して〜? 冷蔵庫に買って入れておいたはずの僕のプリンがないんですが〜 誰が勝手に食べちゃったんですか〜 ねえ、あきちゃん」

 その言葉を吐いた西口は、俺の横でなぜか睨んでくる。俺じゃねえぞ。断じて違う。


「青いキャップのプリンですよ?」


 だから、知らないって。どうせ、自分で食べて、忘れたってオチだろ。


「カワイイ瓶に入った青い星のマークのプリンですよ? 今日、お使いで行った時に江ノ島でわざわざ並んで買ってきたんですよ!」


 わざわざってなんだよ。しかも、並んだのかよ。西口よ、何故こっちを見る? 俺は江ノ島プリンなんて知らねえぞ? 濃厚で蕩ける口当たり、少し大人なカラメルが、もうひとつ、もうひとつと後ろ髪を惹かれるくらいの芳醇な味。いや、俺は食っていない。断じて違う。


「まったくもう…… あきちゃん、かわりに喫茶ミンカのプリン奢ってくださいよおお〜」


「喫茶ミンカのプリンって…… 絶対に奢らない。俺だって行きたいのに…… 滅多に行けないってのに。ってだから、俺じゃないって」

「喫茶ミンカがダメなら…… ミルクホールのプリンで手を打ちましょう!」

「鎌倉駅から小町通りに小路に入って少し歩くと、大正時代や昭和を思い起こさせる雰囲気に満足する。だがしかし、ここで満足してはあの美味しさには行きつけないのだ。四十年の歴史漂う店。一歩足を踏み入れるとタイムスリップしたような非日常が迎えてくれるのだよ。最近めっきり減ってしまった「純喫茶」店主がオススメする「自家製スモークチキンのブランチセット」は素晴らしい。芳醇な香りの自家製スモークチキンとスモークチーズが鼻を刺激して食欲を誘う。二種類の自家製パンにミニサラダが付くんだ。ドリンクは珈琲と紅茶はもちろん、ビールとワインも選べるんだ。それでリーズナブルな料金なんだ。これだけで十分だと言うのにクリームソーダに焼きプリンを器に逆さにして形から出したっぷりのクリームにキュートなクルミがが可愛さという名の彩りを添える!」

 彰は、さも満足そうな表情をして西口を見た。何故、こうもドヤがるのだろうか。大人気ない大人代表だな。俺は。


「……あのね、熱弁ふるわれているところに申し訳ないのですが…… 少々、良いでしょうか?」

 西口は丁寧な言葉を言い放つと、キッと目を見開いて彰の前で仁王立ちをする。


「なんだ!」

「この事務所に甘党は僕と彰さん以外に誰がいますか?」

「きっと賢太郎だよ…… 俺じゃないもん……」

「じゃないもんって、あきちゃん幾つだよ。口元にクリーム…… 付いてますよ……」

「うそっっっっっ!」

「……やっぱり」

「騙したな!」

「騙してません! カマかけたんです!」

「同じことじゃい!」


「……彰さん」

「なんだよ…… 改まって、さん呼びか?」

「徹さんがこっち見てる……」

「んな?」

 扉の横で諦めたように俺たちを見る目が痛いほどに刺さる。



「何をさっきから二人で騒いでいるんですか…… もう、お客人がいらっしゃるというのに……」

 そう言いながらこちらの部屋に入ってきたのは橘 徹だった。


「徹さん!」

「おや、今日もカワイイですね。西口ボーイ!」


 このノリでずっと西口を可愛がるのは橘の悪い癖だ。西口は俺よりも橘に懐いている。悔しくない。断じて悔しくない。ホントだぞ。

 色素の薄い瞳に陶器のように滑らかな肌。遠くを見つめるアンニュイな表情に魅了される人は多い。が、性格に難アリ。仕事は出来るが、どんなに忙しくみんなが動いていても定時にキチンと帰っていく。何を考えているのか読めない。が、心の声は普通の人間よりも騒がしかった。あの冷静な瞳と清々しい顔から信じられないほどの恐ろしい毒が溢れてくる。西口が聞いたら、きっと卒倒するだろうが…… ここでは黙っているのが大人ってものだろう。と、彰は口元に手を添えて、笑いたくなるのを我慢した。


「僕のプリン……」

 なぜか西口も諦めたようにシャツの襟ぐりを気にしながら本棚の前で書類を紙袋から茶封筒に入れ替えだした。橘には逆らわずに西口が仕事をこなす。本当に橘は不思議な人間だ。



 ――case 2

「万華鏡(百色眼鏡)」

 万華鏡は二枚以上の鏡を合わせてオブジェクトと呼ばれる内部に封入または先端に取り付けた対象物の映像を鑑賞する筒状の多面鏡。同義の英単語をカタカナ表記して「カレイドスコープ」ともいう。

 かつては、万華鏡(ばんかきょう) 百色眼鏡(ひゃくいろめがね) 錦眼鏡(にしきめがね)とも呼ばれていた。

 スコットランドの科学者 ディヴィッド・ブリュースターが偏光の実験の途中で発見し、1817年に特許を取得。初期のデザインは、一端に一組の鏡を置いた筒からできており他端には半透明の円盤、その間にビーズを置いたものである。初期には科学における道具として発明されたものが、玩具として急速に複製された。日本には江戸時代の文化文政時代の1819年には既に輸入され「紅毛渡り更紗眼鏡」などと呼ばれて大阪ではその偽物が出回るほどの人気を博した。


 美しいモノは美しければ美しいほど、何故だか少し苦しくなる。

 俺だけだろうか。



 窓からの外の景色が、少し忙しい音になる。夏が過ぎると、秋が賑わいを連れて、この町に彩りを足す。空気の匂いも秋の装いだ。さてと、仕事だ。準備をして出掛けるとしようか。


「西口〜」

 俺が鞄にファイルを差し込み西口を見ずに声をかける。


「ムリです!」

 手をバッテンにして俺を睨みつけて西口が舌を出していた。まだプリンの件を根に持っているようだな。


「西口…… 俺はまだ何も言ってないだろう」

「言わなくても分かります。どうせ、またお使いでしょ! 江ノ島プリン買ってくれるならついて行きますけど……」

 そんな捨て台詞を俺にぶつけるように吐くと、ぶう垂れた西口は一瞬にして橘に笑みを零し、橘が眉に皺を寄せると苦笑いをして首を横に振った。


「…………あ、そう」

 もうなんていうか、ぐうの音も出ない。

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