第5話 現調
ジリリリリン、ジリリリリン
突然部室内に響く音に、一夜は飛び起きた。
時刻は午前四時五分、まだまだ部室の窓から見える外は暗い闇に覆われている。
普段から眠りの浅い一夜は、少しの物音でも良く起きてしまう事がある。例えば朝の新聞配達をするバイクの音、朝早くの散歩でテンションの上がる犬の鳴き声、階下で親がうっかり落とした皿の音などなど。
そんな一夜であったので今回も誰かのスマホの目覚ましが鳴った瞬間目が覚めた。
寝袋を剥がしむっくりと起き上がると、枕元に置いてあった水を一口すする。
眠りは浅いが寝覚めの良い一夜は既にパッチリと目を覚ました状態で伸びをした。
その間に誰かがスマホの目覚ましを止めた。
そちらの方を見ると、離れたところで寝ていた妃花が寝袋内から手だけを出して、スマホを握りもぞもぞとうごめいていた。
その隣で澪も眠そうな様子で起きるところである。ぼさぼさの髪を無意識に撫でつけながら大きなあくびを一つした。
横を見るとミロクがまだ寝袋の中ですやすやと寝息を立てている。もしかしたら朝が弱いのかもしれない。
「おはようございます」
水を紙コップに入れ、起きた二人の元へ持っていく。
寝袋から上半身を出し、眠気まなこで受け取る妃花と澪。まだ頭が動いていない様でぼんやりとしたまま差し出されたコップを従順に受け取る。
室内で温められたぬるい水を口に含む。二人の白磁の様に白い喉が鳴り嚥下される。
一夜はぼんやりと二人の様子を眺めていた。同年代の女性の寝起きを見ることなどなかなか得難い経験だ。
中学生の妹の寝起きの姿は腐るほど見ているが、それとは違った可愛さと言うか美しさが有った。
暫く見ていると、澪のぼんやりとした瞳に光が宿り視線が焦点を結ぶ。
目まぐるしく頭が動いているのか、表情と顔色がコロコロ変わる。
軽い笑顔になり、驚き、悲壮感漂う感じで青くなり、照れたような表情を浮かべた後、最後は真っ赤になって怒りだした。
「ちょ、ちょっと、女の子の寝起きの顔をまじまじと観察するんじゃない!」
勢い殴られこそしなかったものの、空になった紙コップを投げつけられた。
「すまん、すまん」
一夜は口だけで謝りながら元の位置に戻る。
未だすやすやと寝息を立てるミロクを見下ろし、つま先で軽く蹴りを入れる。
しかし彼はふにゃふにゃと寝言を言いながら眠りから覚める様子がない。
「ふむ、どうしようか…」
一夜が悩んでいると、いつの間にか起きてきた妃花が横に来る。
「そういう時はね、こうすれば良いんだよ」
そう言うと手に持っていた紙コップをミロクの顔の上に持ってくると、ゆっくりと傾ける。
中に注がれていた水がゆっくりと紙コップから零れミロクの顔に向かっていく。
ぴしゃぴしゃとミロクの額に垂れる水、流れる水が彼の顔を覆い尽くす前に彼は目を覚ました。
「ん、んー」
「おきろー、ミロク君おはよー」
水が掛かってるにも関わらず、未だ目が覚めていない様でぼんやりとした顔のまま呻き声をあげる。
そして妃花の顔を認識するとにこりと笑顔になり、そのまますぅっと目を閉じ、
「おやすみなさい」
と再び眠りに付こうとした。
--ぷちっ
何かが切れる音がしたかと思うと、妃花が思い切りミロクの身体を蹴り上げる。
結構鈍い音がし寝袋に包まった姿のままミロクが床を転がっていく。
「さあ、ミロク君、朝だ起きたまえ」
笑顔を貼り付けた顔の上に青筋を見せながら、妃花がミロクに起きろと即す。
その表情を見た彼は息を飲みながらもぞもぞと寝袋から外へ抜け出した。
「お、おはようございます」
怯えた小動物の様に縮こまったミロクは傍目でもわかるほど妃花に対して警戒を見せた。
そんなミロクに対して妃花は急き立てる様に声を掛ける。
「さあ、三十秒とは言わないから、さっさと顔洗って支度しな。これから行くところは埃っぽいからそのままジャージ姿でいいぞ」
慌てて外の水道まで走っていくミロクの後に続き、一夜と澪も共に水道まで移動する。
全員が顔を洗い終え部室に帰ってくると、時間は既に四時三十分を指していた。
「おっといけない、思いのほか時間がかかった。よし、すぐに現場に行くぞ」
妃花はそう言うと用意していた懐中電灯を全員に渡し他の三人を連れて部室を後にした。
夜の空けない校舎内はまだ暗く、懐中電灯の光に照らされる木造の廊下は奇妙な陰影を見せる。またそこから立ち上る埃が照らされる光に反射しいっそ幻想的な雰囲気を醸し出している。
全員の服装は寝間着として使っていた学校指定のジャージ姿だ。
ミロクはまだまだ眠そうな顔をして、澪は化粧っ気の無い顔のまま髪を簡単にまとめて後に続く。
普段と変わらずな一夜は、先頭を歩く妃花の後ろ姿を見ていた。
今にも何かが出てきそうな暗い校内を何事にも物怖じしないような態度で歩く妃花の後ろ姿は、小さい体躯ながら大きな存在感を伴っていた。
彼女の様子を見るにオカルトに対して全く信じていないか、或いは全てを知っているのか、そんな良く分からない自信がみなぎっている様だった。
一方、澪は普通の反応だ。校舎を歩く時の軋んだ音に驚き、懐中電灯の光の輪から外れた闇に眼を奪われ、その寒々しいまでの空気に飲まれている。彼女の一挙手一投足が恐怖に彩られていた。
「なあなあ、なんで僕さっき蹴られたんだ?」
そんな中、小声で一夜に話しかけてくるのはミロクだ。
先ほどの妃花の対応が腑に落ちないらしい。
「いつまでも寝こけてただからだろ?」
先ほどの状況を思い出し言ってみる。
「立花先輩あんなにサドっけ有ったのか」
「寝起きで機嫌が悪かったんじゃないか」
と言いつつ、水を掛けられてさえ再度寝ようと試みるあの姿を見たら、例え聖人でも利き腕を振りかぶって殴りかかっていくかもしれない。
横で、意外と有かもしれないと不穏な事を呟くミロクから意識を反らし、これからの事を考える。
妃花は長々と七不思議の説明をしていたが、取り合えずベースとなる七不思議の根幹は鏡に映る少女という事だろう。
『鏡面の少女』と言うタイトル。
場所が旧校舎第一棟廊下の東端。
現象が鏡に少女が映ると言う事。
なので一夜達が確認するべき事は、その鏡に少女が映るかどうかと言う事だ。
他の付随情報、例えば映る少女の姿や、死者の国に連れていかれると言ったモノは一旦考慮する必要はないだろう。
ギシっ、ギシっ、と立て付けの悪い床板を歩き第一棟へと入る。
第一棟は部室のある第二棟に比べより黴臭く、また闇が濃い様に思えた。
校舎の横断なんてそう時間もかからない、しかし妃花を覗く三人はその闇の濃度のせいか何時間も歩いたかのような疲れを感じ始めていた。一歩一歩が重く、足取りも軽快とは言い難い。まさにそれは何者かに憑りつかれたかのように三人の身体にのしかかった。
「さあ、着いたぞ」
ようやく妃花の歩みが止まった。時間にしたら数分、距離にしても三百メートル程度だろうか、三人の体感ではそれ以上の気がしたが、ようやくそこに着いた。
第一棟二階の東端、そこに取り付けられた姿見の鏡の場所に。
妃花がその鏡に懐中電灯の光を向ける。当然の事ながら鏡はその光を反射し、一夜達の姿を映す。
そこには少女の姿など無く、ただ驚き警戒する一夜達三人の姿と、面白そうに微笑を浮かべる妃花だけが映っていた。
「先輩、この鏡がそうなんですか?」
「そうだ、この鏡が旧校舎七不思議の一つ『鏡面の少女』の舞台だ。お前ら懐中電灯の明かりを消せ」
妃花の指示に従い懐中電灯の明かりを消す。
鏡をもう一度確認するが、暗闇に溶け込み鏡面はほとんど確認できなかった。
目の前にある暗闇をただただ見つめ続ける。
「少女とか、映ってないようですが」
ミロクの言葉を制し、妃花が時計を確認する。
「焦るな、もう少しだ」
「もう少し?」
三人共が首を傾げた。
妃花は何を気にしているのだろうか。
そうこうしてるうちに妃花が時計から顔を上げ告げた。
「始まるぞ、よく見てろよ」
妃花の言葉を聞き、三人は鏡に注目する。すると一瞬だが鏡が光ったような気がした。
するとどうだろう、徐々に鏡面が有る暗闇に何かが浮かび上がってきた。
それは徐々にだが確実に姿を現す。
そしてその姿を見て、三人は息を飲んだ。
ぼんやりと映るそれは、確かに少女と呼ばれるに相応しい姿をしていた。
ただし少女の『人形』であったが。
白磁のビスクドールだろうか、その少女は真っ白な顔をして、真っ白なドレスを着ていた。
椅子にちょこんと腰かけたその姿は確かに物悲しそうな、それでいて恨みを抱く死体の様でもあり、その人形に何か意思が宿っているようなそんな不思議な感覚を覚えるモノだった。
「先輩、これは…」
「これが旧校舎七不思議の一つ『鏡面の少女』だ」
先ほどまで笑みを浮かべていた妃花もこの光景に何か思う所があるのだろう、真面目な顔をして鏡を見ている。
そんな妃花の後ろに隠れるように澪がくっついている。
「ななな、なんで鏡に人形が映ってるんですか」
「本当に少女の姿が浮かび上がってる」
澪もミロクも驚愕の表情を貼り付けたまま、その鏡に見入っている。
三人が鏡に映った少女の姿を見つめたまま固まっていると、やがてすぅっとその姿が消えていった。
「あっ」
怖がりながらも見入ってた澪は、消えていく少女を見つめふっと声を漏らした。
少女の姿が完全に消えても、一夜達三人は動けずにいた。
気が付くと廊下を朝日が緩やかに照らしている。
もう懐中電灯を使う必要も無いだろう程度には明るくなった。
「これは…」
まだ冷静さを取り戻せないまま、一夜が鏡の方に一歩近づいた。
「一夜君だめだ、そこら辺は床板が腐っているから、踏み外すぞ」
静止の声を聞き正気に戻った一夜が、妃花の方を向く。
しかし時すでに遅く、一夜の足は次の一歩を踏み出していた。
バキっ、と言う板が割れる音と共に踏み出した一夜の足が腐った床板を踏み抜いた。
そのままバランスを崩した一夜は仰向けのまま後ろに倒れこむ。
茫然としていたミロク、澪はもとより、元から事の事態を見守りながら見ていた妃花の助けも間に合わず、一夜はそのまま仰向けに倒れ頭を打った。
「一夜君!」
「一夜!」
「ちょっと、大丈夫!」
三人の心配する声を聞きながら、一夜は気を失った。
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