四月 もしも

 ぎゅうっと後ろから抱きしめられたまま、私はピコピコと買ってもらったゲームをしていた。単純明快なゲームではあったが、暇つぶしにはもってこいだった。

「・・それ、おもしろい?」

「そうですねえ、四段階評価でいくと、可です。」

「それっておもしろくないってこと?」

「可です。」

私の首の横から覗き込むようにしてゲームを黙ってみていたご主人さまが、とうとう我慢できずに聞いてきた。そうなるだろう、と思っていたので私はゲームを中断した。お腹に回っている大きな手が、私の手からするりとゲームを奪っていく。私は、ご主人さまの顔に触れないようにゲームを目だけで追いかけて結局私のすぐ前でご主人さまがゲームをしているのを見ることになった。

「・・・おもいろい?これ。」

「だから、可です。わかりました、やめるから。」

不服そうに床に置かれたゲームを見つめながら、私は観念したように溜め息を吐くとご主人さまはふふっと笑って私の肩に顔を埋めた。

ここ最近、ご主人さまはずっとこうだ。前から甘えたなところはあったけどこんなではなかった。

何が原因か、なんて聞かなくてもわかる。聞かなくてもわかるから、こうしてされるがままにしている。卑怯な罪滅ぼしの仕方だ。

「ご主人さま、もしも・・もしもの話ですよ。」

腰の辺りにまた結ばれた手に触れながら、私は精一杯の演技力で平静を装う。後ろから抱きしめられている腕にバクバクと演技力ではどうにもならない心拍音が触れてしまうのではないかと不安になる。

「もしも、私がいなくなって、それでどっか遠くの町で私を見かけても・・知らないふりをしてくれますか?」

ぎゅ、お腹に回った手がさっきよりも強くなった気がして心臓が恐怖できゅっと締まる。呼吸が一瞬だけ詰まって、すぐに思い出したように大きく吸い込んだ。ご主人さまは何も言わずに私の肩に顔を埋めたまま、息の音だけがする。

「私がペットだったなんて知らないふりをして、他人のままでいてくれますか?」

祈るように、願うように、私は一心に言葉を紡ぐ。何も知らないふりをして私を通り過ぎてほしい。もう何も忘れたと私を無視して通りすぎて欲しい。

「・・・・ご主人さま?」

ちっとも動かないご主人さまに不安で頭がくらくらする。顔が見えないから何も言ってもくれないから。

「それ、本気で言ってる?」

ようやく聞こえてきた声は、いつものように優しい声ではなくて唸るように低い声で私は耳から冷たい血液が背中を巡っていくのを感じた気がした。

「ペットのお願いですよ。ほら、猫だって死ぬ間際を見られたくないって言うし・・そんなですよ。」

何かが怖くてすぐ首元にあるご主人さまの顔を見ることができない。もし、あの優しい目元が柔らかく笑う口元が全く違う表情をしていたらどうしたらいい。一度だけ見たあの鋭い射るような瞳で私を見ていたら、お腹に回る手にこれ以上力が込められていたら。

そんな考えを必死に振り切るように私は努めて明るい声を出して冗談に聞こえますようにと正面を見つめたまま真顔で笑う。

「・・・それは、聞けない。そのお願いは、聞けないよ。」

「え、それは、なんで?」

感情が消えてしまったような抑揚のない言い方。ドクドクと冷たい血液が心臓にまで回ったらしく私の心臓は今にも鼓動を止めてしまいそうだ。

「・・だって、どうしてそんなことができるの。俺の大事なペットなのに。知らないふりも無視もできない。例え、知らないふりをされたとしても、俺はしない。」

肩に乗っていた頭が放れて、代わりに頭の後ろにコツンと軽く固い何かがぶつかった。ご主人さまの額だ、なんてもう考えなくてもわかる。いつもと同じ低くて優しい声が、柔らかく囁くように。

「俺は、大事なペットに他人のふりなんてできない。」

「で、でも、それはペットじゃないかもしれないし!」

「ペットだよ。どこに行っても、誰といても。君はずっとずっと、俺のペットだよ。俺だけのペットだよ。」

死ぬ瞬間まで、大事なペットだ。後頭部の皮膚を伝って脳にダイレクトに伝わる言葉に私は頭がぐらぐらと揺れる感覚がした。お腹に回った手は緩むことはなさそうなくらいしっかりと繋がれている。そこまで言うなら、そんなに言うなら、いっそ。

「じゃぁ、絶対そうしてくださいね。絶対、絶対です。最後まで責任持って飼ってくださいね。」

「ふふ、わかってる。拾ったときから、そのつもりだよ。」

お腹に回った手に、そっと自分の手を重ねて私はちょっとだけ泣きそうになった。振り向いてご主人さまの胸に抱きつきたかったけれどそんなことをしてはいけないことも、知っていた。

何も知らないままでいれば、子どものままでいられたのに。私は、確実に知ってしまったのだ。

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