一月 おでん

 おでんは魔法の食べ物だと思う。肉はなくて魚のすり身がたくさん入っているだけなのにあの満腹感。具材は至ってシンプルにもかかわらずあの満足感。おでんの湯気は人を柔らかく見せてくれる。

「うー。うまそうじゃん、早く食おう!!」

「そう、例え一人多かったとしても・・・って、んなわけあるかあああ!!」

「おお、ナイスなノリツッコミだね。」

ぐつぐつと美味しそうな音を出している鍋に箸を入れようとしている残念なイケメンを指差してぴしゃりと言うと、隣に座っているご主人さまが楽しそうに感心したように笑う。

「何だよ、いいだろ。いつも一緒に食ってんじゃん。」

「今日は来ないって言ってたじゃん。だから、せっかく・・ご主人さまと二人でご飯なんだと思ってたのに。」

寒さを凌ぐために着ていた黒猫の着ぐるみパジャマのフードが項垂れた頭にぱさりと落ちる。残念なイケメンが悪かったな、とちょっと困ったように言うから、ご主人さまも困ったように私の猫耳に触れる。神経は通っているはずはないけれど、ご主人さまの手が触れているのがわかる。

「・・・たまご、二つしか入れてないのに・・」

呟いた言葉に一瞬、リビングが静かになってそれから、はあ?という叫び声が聞こえてくる。何だよ、残念なイケメンどうしたんだよ、急に叫んで。驚いて顔を上げれば、やっぱり困ったような表情をして私を見ているご主人さまと目が合った。

「お前、そんなこと、どうでもいいだろ。」

「良くないよ!だって、たまごだよ!!」

「おでんの卵が好きなんだ。」

「だって、お前卵アレルギーなんだろ、食えないじゃねえか。」

「昔!!今は、ちょっとなら食べてもいいの!!」

「知るかよ。んなこと。いーから、食おうぜ。俺、腹ペコだよ。」

「何、さり気なく卵を取ろうとしてるの!!」

「あん?気のせいだろ。」

「このおおお!!」

大きめの鍋を挟んで私は残念なイケメンと正面対決をしようと立ち上がるけれど、隣に座っていたご主人さまに座って、と言われたため大人しく黙っておでんを食べることに集中することにした。大根、ちくわ。大根、ちくわ。白滝、こんぶ。

「・・・うん、おいしい。味がすごい染みてる。」

「昨日の昼から煮込んでいますから。」

「たまごすげーな。これ、すげー味も色もおでんの出汁が染みてる。うま。・・・あ、でも、俺は昆布は固いほうが好きだな。この昆布は柔らかすぎる。」

「おのれ、残念なイケメンのくせにっ!!」

湯気の向こうで幸せそうに卵をほお張り、昆布を食べる残念なイケメンを睨んでいると私のお皿に卵がツルツルと光を鈍く反射しながら、ぷるんと転がる。

「・・・?」

何事かと思って隣を見ると、ご主人さまがいつものように温かい目をしていた。首を傾げると同じように首を傾げて、おかしくて口元が動くとご主人さまも楽しそうに笑う。

「何したんだよ、いちゃつくな。」

「いや、ご主人さまが卵を私のお皿に投げてきたから。」

「あはは、投げてない。投げてないよ。」

「そ、そうですか?でも、たまご」

「あげるから、食べていいよ。」

「え、いや、でも、そんなダメですよ。卵は贅沢品で、ご主人さまを差し置いてペットという身分の自分が食べるなんて!!」

「いつの時代の人間だよ。しかも、ペットなんて身分は存在してないし。・・・なら、ゆで卵作って入れたらいいだろ。」

「それじゃぁ、味が染みてないから、だめなの!!」

「あぁ、なるほどね。」

もぐもぐと大根やら何やらを口に入れては飲み込んでいく残念なイケメンの顔、というか口元を見つめながら私は考える。それから、箸を二本使って卵を上下で半分にした。さらば、ハンプティダンプティ。

「はい、ご主人さま。半分こ」

黄身も白身も同じ位の大きさであろう下をご主人さまの深めのなべ用取り皿に置いて言うと、ご主人さまは一瞬だけ無表情というか固まってしまって、それから思い出したように目を三日月にした。表情が固まるのは、ご主人さまがびっくりしたときによくする顔だと最近、気づいた。

「ありがとう。」

「いいえ。」

私は卵の黄身をぐつぐつと潰して少しだけ入れた芥子と混ぜてそれにおでんの具をつけて食べるのが好きである。これは小さい頃にあみ出した技で以来二十年近く私の正式なおでんの食べ方はこれなのである。大根、ちくわ。大根、ちくわ。白滝、昆布。

「おい、ペット。お前、どんだけ大根とちくわが好きなんだよ。さっきから、それしか食ってねえじゃんか。」

「白滝と昆布も食べてるじゃん。」

結んである白滝の上の輪の部分を食べながら答えると、おでんのせいかはたまたブックカップを一人で空にしたせいか、ほんのりと色づいた肌をしている残念なイケメンが不満げに唇を尖らせた。元々、アヒル口の傾向があるため尖らせると本当に嘴のように見える。

「ご主人さま、ひょっとすると・・・・残念なイケメンは酔っているのでは?」

「たぶんね。・・奏士は酔うと、甘えん坊になるんだよなあ。」

同じようにちょっと引いたように残念なイケメンを見ていたご主人さまに言うと心底嫌そうな声が返ってきた。けれど、私に言わせれば酔うと抱きつき魔になるご主人さまの方がよほど厄介である。何度腕の中に引きづり込まれ一晩中抱き枕をさせられたかわからない。

「どうします?放っておく?」

「できれば、そうしたい。」

言ったそばから早くもご主人さまは残念なイケメンから視線を逸らし、おでんのがんもを取り始めた。私は結んである白滝の下のにょろにょろの部分を食べることにした。

 正面に座る残念なイケメンを視界に入れないようにするのは、至難の業で結局白滝を食べ終えるまでに三回ほど柴犬のような目と見詰め合ってしまった。

「何だよ、何で目を逸らすんだよ。なんか、喋れよ!!」

「別に。別に。別に。」

鍋の中身を見ようとして立ち上がったタイミングで残念なイケメンも立ち上がって、反射的にそっちを見ようとした目線を慌てて逸らしてしまった。

 怖い。酔っ払い怖い。私の身内はみんなだいたい酔うと怖い人ばかりなので私はどうしても酔っ払いが怖くなってしまった。そのため、成人を終えた今も小さいコップ半分が酒の限界だ。自分も酔うとあんな風に他人を罵倒したり、自分の不幸自慢をしたりするのかと思うと怖くてとても呑めない。

「たくよーう。ペット!!お前は、そうやって・・・ほら、たこ天も食え!!」

「結構です。いりません。嫌いです。」

「つれないなー。いつまでたっても。」

私のなべ専用取り皿にたこ天を入れようとしてくるのを全力で断ると残念なイケメンはなぜか半笑いで私を見つめた。何だ、こいつ。ダメだこいつ。いつものこの席順にかなり後悔しながらも、今は無心でおでんを食すことに専念する。大根、ちくわ。大根、ちくわ。じゃがいも。

「はふ。ご主人さま、じゃがいもがいい感じに煮えて・・うま。」

「本当?じゃぁ、俺も食べちゃおう。」

「何?じゃがいも?俺も食べたーい。」

外は暗くて雪が薄っすらと積もるくらいの寒さの中で、ぬくぬくと明るい部屋で三人でなべを囲む。

家族でも、友人でも、恋人でもない私たちを他人が見たら、一体何に見えるのか。何と呼ばれる関係になるのか。一番知りたいくせに、私は一番興味のないふりをしてしらんぷりをしていた。


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