十二月 クリスマス

 一晩で足元全てが白くなるほど積もった雪を見つめながら、下を向いて歩いていた。時々、冷たい風が吹いて息をした鼻がツンと痛む。

「寒い・・・風邪、引きそう。」

「あん?なんか言ったか?」

「言ってねーよ、ばーか。」

白い息と共に吐き出した言葉に分かりやすく残念なイケメンは眉を寄せた。あぁ、もうこういうとこ、煩わしいな。思ったと同時に残念なイケメンの大きな手がムニッと片手で私の口元をつまんだ。唇が、たこというよりは鳥の嘴のように突き出た。

「あにすんらよ。」

「躾け?ペットなだけに。」

「おまえのぺっとられーよ。」

「あははっ、ブッサイクだなー。ピヨピヨ。」

腹が立つ。そんな気分を抱えて楽しそうにピヨピヨとひよこの真似をしている残念なイケメンを睨んだ。つままれた手が冷たい頬にはじんわりと熱いことに気づいたのは、その手が放れて残念なイケメンが手袋をはめているのを見たときだった。

「残念なイケメンは、彼女とかいないの?今日、クリスマスだよ。」

「あ?だからなんだよ。」

「だから、クリスマスはあんな風にカップルで過ごすもんだよ。」

「あー、そうなの。知らなかったわ。」

「そうか。おぬし・・振られたな。かわいそうに。」

「もう一回アッチョンブリケすんぞ。」

「ごめんなさい。残念なモテ男だけど今は一人身のイケメンさま。」

「・・・おい、ペット。」

ちょっと怒ったらしい残念なイケメンから、ちょっと離れて歩きながらショッピングセンターの入り口の自動ドアを入る。途端にぶわっともあもあとした押し付けがましい暖かさが襲ってくる。それに続くようにうるさい音量のジングルベルと騒がしいほどの人の声。どこか浮かれたようなその姿に、嫌でも今日はクリスマスだと思い出される。

「ほら、ペット。逸れるなよ。迷子センターに駆け込むのは嫌だぞ。」

「・・・何言ってんの。なに、どうしたの?」

後ろから聞こえてきた声にそちらを見れば、いつの間にやらまた手袋を外した左手を私に差し出している残念なイケメンが近づいてくる。私はまるでその手に新種の生物でも乗っているのかと思ってまじまじと見つめ、ほんの少し警戒する。

「手だよ、手。ほら・・・うわ、お前すげー冷たいな。手袋しとけよ。」

「・・・・・うん。」

すぐそばまできた残念なイケメンは裸の左手で私の右手を掴んだ。それからびっくりしたように私の右手を見て、笑いながらさっきよりも強く私の右手を握った。私の右手を包んでしまうくらいに大きいその左手は、熱いくらいに熱を持っていた。

「・・んで、どこ行くんだっけ?」

「あ、あぁ、ケンタッキーまで。バーレルを買いに。」

「・・・バーレル?へえ、クリスマスは何か作るのかと思った。」

「そう思ったんだけど、自分だけ食べるのに面倒だし。一度やってみたかったんだよ、クリスマスにパーティバーレル。」

「ふーん・・え?一人?何で?」

手を繋いでいるからか、それとも残念なイケメンが合わせてくれてるのか、私のすぐ隣りから、隣りの上から残念なイケメンの低いけれど鼻にかかったような声が降ってくる。

「なんでって、今日はご主人さまがいないし、」

「え?あいつ、仕事?なはずないけど、休み取るって言ってたし。」

「うん・・・仕事ではない。・・つまり、プライベートなことで・・・あの、」

視線が目線が、無意識的にまわりにいるカップルを見つめる。まるでクリスマスというイベントが許しているとでもいうように人目を憚らず、腰に手を回し、顔を寄せ合う。愛を囁きあい目で語らう。今までその姿を羨ましいと思ったことも、疎ましいと思ったこともなく、ただただ無表情に見つめていたのに。

「あぁ、恋人のとこに行ったんだ。なるほどな。」

残念なイケメンは、なるほどねえ、とまた小さく呟いた。それから、よしよしなんて効果音付きで私の頭をぐりぐりと撫でた。

「私が行けって言ったんだもん。だって、せっかくのクリスマスなのに。ご主人さまには、残念なイケメンと違って恋人がいるんだから、だから。」

だから、何なんだ。心の中で誰かが言う。だったら、何なんだ。決して口に出せない言葉が回るように廻るように、何度も、何度も。

「まぁ、いいんじゃねえの。確かにクリスマスは恋人と過ごしたいもんだし。俺が今、独り身なのも事実だし。・・・ペットちゃん、慰めてよ。」

 繋いだ手には、力は入っていないのにちゃんと繋いでいてくれる。立ち止まったらきっと一緒に止まるし、どこか違う道に行こうとすれば引っ張って教えてくれる。きっと、この手があれば私は迷子にはならない。

「嫌だ、キモイ・・・あ、バーレル割り勘でいいなら、半分あげてもいいよ。帰りにケーキも買ってくから車で乗せてくれるなら、家で一緒にクリスマスパーティしてあげてもいいよ。どうする?」

「はいはい。喜んでそうさせていただきますよ、ペットさま」

「うむ、よろしい。」

 刺すような寒さの外と違って暖かいショッピングモールの中は、キラキラと明るい中で見えないのにイルミネーションが光っている。まるでそうしないと今日がいったい何の日なのか誰もわからないとでも言うように切迫的に輝く。

 手を繋いで並んで歩く私と残念なイケメンはこのイルミネーションにふさわしい恋人のように見えるのだろうか。クリスマスの恋人同士になるのだろうか。

「・・・あ、すごい綺麗なスノードームだ。」

クリスマスだからか、どの店も一押し商品が店の前に並んでいる。銀色に光る雪が降る大きな球体を見つけ、私は自分でも意識せずに明るい物欲しそうな声が出ていた。

「何、スノードーム好きなの?」

残念なイケメンのちょっと馬鹿にしたような言い方にムカッとして振り向いて、けれどその瞳が存外優しいものだったのに驚いて、私はカパッと開いた口を閉じるのに少し苦労した。そんな苦労も知らずに残念なイケメンは、空いている右手で私が見ていた大きなスノードームをひっくり返して雪を降らせた。キラキラと雪だるまとツリーに銀色の雪が舞う。

「へえ、ペットも一応女の子なんだなあ。どれどれ、俺が買ってやろうか?」

「いい。いらん。やめろ、行くぞ行くぞ。・・・好きっていうか・・昔さ、弟が持ってたんだよ。何かのアニメのDVDだかの特典でさ。中にキャラクターが入った大きなスノードームをさ。それを見てから、ちょっと気になるようになったというか・・・・この丸い中でさ、世界があるのが、すごい・・くない?」

残念なイケメンをぐいぐいと引っ張りながらスノードームが置いてあった店から、遠ざかる。手を繋いでいるから、違うところを見ていても迷子にはならない。思い出をどこか遠くから見つけてくるようにぼんやりとすれ違う足を見ながら、口が動く。

「あんな小さいのに、ちゃんと・・・世界が完結してて、あの中にはきっと何かが暮しているんじゃないかなあとか。」

「そんなこと考えたこともねえよ。・・・お前って本当すげえな。」

「別にすごくないよ。家族は私のこういうとこあんま好きじゃなかったし。」

「そうか?俺は好きだけどなあ、ペットのそういうとこさ。異次元的な考察っていうか。俺とかあいつとかが思いもしないようなことを考えて、見ないようなとこを見てて。お前と話してると、俺までそういう世界を垣間見たような気持ちになるから、好きだ。」

あぁ、今、顔を上げるときっとものすごく優しい表情をしているんだろうな。そう考えると絶対見るわけにはいかなくて、こんなところがこいつがモテる理由なんだろうな、なんて思うと笑えるくらいに頷ける自分がいる。

「はいはい。ありがとうございまーす。・・・うお、すごい並んでる!!みんなバーレル買いに来たんだ!ヤバイ、どうしよう!!」

 ようやくたどり着いたケンタッキーは二列にも及ぶ列になっていた。これは流石に、と思ったけれどとことこと歩く残念なイケメンに連れられて私はそのまま、その列の一番後ろに並んだ。

「ちょっと並んでりゃ、すぐ順番くんだろ。ペットちゃん、何か食いたいのある?」

「・・・特に。バーレルが食べたいとしか・・」

「あっそ。なら、俺が並んでっから、お前ケーキを買ってきちゃいな。買い終わったら、あそこの入り口にあるクリスマスツリーの下に集合な。それで迷子にはならないだろ。」

残念なイケメンはそう言いながら、ケンタッキーから見える店内に飾られた大きなクリスマスツリーを指差した。私は、なるほどと一つ頷いて残念なイケメンを残してケーキ屋さんに向かった。

 さすがクリスマスで思った通りケーキ屋さんも恐ろしい列を成していた。どんどんと売れていくケーキを見つめながら、私の番になったときにケーキが一個もなかったらどうしようかと不安な結末が頭を何度も過ぎったが、幸いにもちょうどいい大きさの六号の生クリームが最後の一個で手に入った。どうせ残念なイケメンが多量に食うに決まっているから大きすぎることもないだろう。ほくほくとした気持ちで私は待ち合わせ場所であるクリスマスツリーの下に向かった。そこには、もうすかした革ジャンを着て長い手足を持て余し気味に立ち、ケンタッキーの袋ともう一つ何かの紙袋を持った残念なイケメンがいた。

 「おう、ペット。遅かったな。やっぱケーキ屋の方が混んでたな。」

「・・お前、わかってて私にケーキ屋さんを頼んだのか。」

「まあな。バーレルはなくてもいいけど、ケーキはなくちゃクリスマスじゃないだろ?」

「・・・・・。」

嵌められた。じわり、残念なイケメンに向かう殺意を感じながら私は自然と残念なイケメンのすぐ横に並ぶ。ケーキの箱を落とさないように持っている手にちょっと力が入る。と、目の前に残念なイケメンが持っていた何かの紙袋が入ってくる。

「・・・なに?」

「これ、ケーキと交換。お前にクリスマスプレゼント。」

「・・・・は?」

すっ、とさり気ない強引さでケーキの箱が持っていかれ、代わりに紙袋が手に乗せられる。ケーキと同じくらいの重量の赤い袋。中を覗けば、なんとも可愛らしく赤と緑でラッピングされた箱が入っている。

「メリークリスマス、ペット。」

「!!」

正面にいる残念なイケメンがいつもの気取った言い方で何か言ったので、プレゼントから視線を上げようとしたおでこに、何かが、触れた。

 ビリビリと身体を電気が走ったかと思った。静電気に触れたのかと思った。目の前には残念なイケメンの茶色の革ジャンがあった。いつもの香水の匂いがした。周りの音が何も聞こえなくなった。顔から熱が引いていった。顔が熱くなった。額に柔らかい何かが触れていた。

 残念なイケメンが、私のおでこにキスをした。

「・・・おし、帰るか。バーレル冷めちまう前に。」

「・・・・・う、うん。」

歩き出した残念なイケメンに逸れてしまわないように私は頭が命令を出すより先に歩き始めた。脳みそはショートしたみたいに何も考えられずにぼんやりとしている。私は、残念なイケメンの車に向かいながら、何も考えずにびりびりとさっきのプレゼントの包みを破いた。中には、さっきのお店で買ったのだろう、スノードームが入っていた。私が見ていたのとは違う、二つの球体が繋がっていて上下にマンションと一戸建てがまるで鏡に映っているように逆さまなスノードームになっている。試しにマンションが下になって一戸建てが逆さまになるようにひっくり返すと、一戸建てからさらさらとマンションに向かって銀色の雪が降ってくる。まるでスノードームでありながら、砂時計のようだった。

「面白いだろ?それ、砂時計なんだって。上が・・こっちな、上が昼の世界で下が夜の世界なんだ。お前の好きそうなスノードームだろ?」

車に乗ってからもひっくり返したりを繰り返している私に残念なイケメンは楽しそうにそう説明した。私はといえば、未だにパチパチと軽くショートしている脳みそをフル回転させて、その説明を聞いていた。昼の世界と夜の世界。

「ありがと・・・けど、私、なんもプレゼント準備してない・・」

「あー、良いって。俺も先に終わって暇だったから見つけただけだし。」

 残念なイケメンは、いつも私に何かをくれる。私が予期しないようなタイミングで私が予想しないような物をくれる。そんな残念なイケメンの行動が一つ一つ私の想定を飛び越して私の計算を狂わせる。さっきだって、いったい全体何を思って私のおでこにキスをしたのか。私は考えるのすら怖くて、わざと何もなかったみたいに。

「・・・・あ、あのさ・・・とりあえず、さっきの「おかえり~」・・ただいま、ご主人さま、それで・・・・はえ!?」

並んで家に入りながら、さっきのことを聞こうとした私の耳に聞き慣れた低くて細い声が聞こえてくる。そんなはずはない、私は慌てて部屋の中に

「よう、葉!お前、今日は遅いんじゃなかったのかよ。」

「それ、俺が滑ったみたいになるからやめろ。」

にこり、優しい目元が私を捉えていつものように優しく微笑んだ。

「ご、ご主人さま、彼女さんのとこにプレゼントを渡しに行ったんじゃ、」

「うん。行ってきたよ。プレゼントも渡した。」

事情も状況も飲み込めない、ただでさえ混乱している脳みそが唸りをあげてそろそろショートしてしまいそうだ。そんなことを思っている私にご主人さまが何かを差し出した。

「これ、特注で作ってもらいに行ってたんだ。時間があんまなかったから、今日中に作れるかわからなくて・・・はい、メリークリスマス。」

差し出されたものを見て、残念なイケメンはパックリと口を開けてしまって私はもしかして手に持っているバーレルとケーキを落としてしまうんではないかとちょっとだけ不安になった。

「・・これは、く、首輪・・ですね。」

「そう。昨日欲しいって言ってたから。ちゃんと、リードも付けられるよ。人間用だから、苦しくないと思うけど・・・つけてみて?」

綺麗な青色をしたシンプルな首輪。本当に犬や猫の首輪のような形をした革の首輪。ところどころに散りばめられた肉球の模様が凝っていて可愛い。だけど、それは・・付けろとは。戸惑っているとご主人さまは待ちきれなかったのか、私に近づいてきてそっと撫でるように優しく私の首に首輪をつけた。苦しくないように調節しているのか、ご主人さまの顔が私の首の横に寄ってくる。お出かけ用の香水の匂いがする。

「あの、ご、ご主人さま・・とても、素敵なクリスマスプレゼントですが。その、」

「はい、できた。・・・どう?あ、似合う!!ほら、奏士もそう思うだろ?」

「ふふっ、ああ、似合ってる!ペットちゃん、すげーかわいい!!」

「・・・・あ、ありがとうございますうう。」

にこにこと顔を見合わせて笑う、ご主人さまと残念なイケメンを見つめながら私は熱くなる顔を抑えることもできず、首にある首輪に触れた。


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