十二月 クリスマス・イブ

 リンリンと町の中は浮かれたようにクリスマスソングを流し、どこの店からも同じ曲が聞こえてくる。この歌が流れる頃には、君と僕の答えもきっと出ているだろう。なんて、今の私にはあまり嬉しくない歌で。答えって何。別れるってこと。じゃぁ、付き合ってすらいない私たちはどうすればいいの。そもそも私たちって何。誰と誰。ぐるぐると胸の中を回る不快な感情に吐き出した溜め息が白く空気に溶けていった。

「・・・大丈夫?もしかして、疲れた?」

「いえ、大丈夫です。なんでもない。」

隣りにいたご主人さまが心配するように膝を少し屈めて私の顔を覗き込んできた。いつものようにちょっと微笑んでいる口元のすぐ上にある高い鼻が寒さで赤くなっている。私の鼻もあんな風に赤いのだろうか、ご主人さまの視線から逃げるように横を向くとショーウインドウに飾られたいくつかの小物が目に入る。この季節にしか見かけないような雪だるまやサンタクロースの小物たち。白いひげを着けたサンタクロースが楽しくもない顔で踊っている。何がしたいんだ、あの人形は。

「そうだ、クリスマスプレゼントは何が欲しいの?」

 突然、投げかけられた質問に視線を前に戻すと私と同じように横のショーウインドウを見つめているご主人さまの横顔が見えた。高い鼻筋にしゅっとした顎、優しくつり上がった眉に耳を隠すくらいに伸びているふわふわの髪。雪の中にいるとそのまま溶けていきそうなほど透き通った肌。優しい切れ長の目に小さく上がっている口元。全部、知っている。全部、見ている。全部、全部、私のご主人さまの横顔だ。

「・・・ご主人、さま。」

小さく呟いた言葉に目の前にいたご主人さまは、しっかりとこちらを向いて返事をしてくれた。白い息を吐き出しながら、笑ってくれた。いつものように優しく笑う。

「何が欲しいか、決まった?」

「そんなのすぐには思い浮かばないし、それにいつも色んな物をもらってのに・・これ以上、思いつかない。」

ご主人さまの手には、さっき買ったばかりの動物の形をした大きな土鍋が入った袋がある。土鍋が小さいのしかなかったのと、あまりの可愛さに欲しいと言ってしまったらご主人さまがすぐに買ってしまった。それに先週は、カタログを見ていていいなあと言っただけで今、話題のてろてろフリースのシーツ、枕カバーに掛け布団カバーのセットを揃えてくれたばかりだ。

「そう?・・遠慮なんてしないで。せっかくのクリスマスなんだから。」

「・・・うーん・・」

「服とか、アクセサリーとかは?」

「首輪ってことですか?首輪を付けろってことですか?」

「そうじゃないけど、それもいいかも。」

「ヤバイ変態の扉をまた開けてしまった。寒くなっても変態さんは動き回るもんだな。」

「あははっ」

ご主人さまのいつもの明るくちょっと高い笑い声を聞きながら、空を見上げる。夏よりもすぐに暗くなるようになって、夏よりも透き通った色をするようになった空。寒いほうが空気が澄んでいるから、景色が美しく見えると前に聞いたことがある。

「じゃぁ、首輪でいい。あのひもが付けられる首輪。」

「うん、・・・・え?本当に?」

ゆっくりとまた歩き出した私に並んで、ご主人さまも歩き出す。歩幅も歩くスピードも違うからきちんと隣りに並ぶことはないけれど。

「あの紐があれば、迷子にならないから。こうして人混みを歩いていても、怖くない。」

誰かに遭うかもしれないから、手は繋がない。いつでも一人でどこかに行けるように携帯も持たない。はぐれてしまったら、もう会えないかもしれない。だけど、ご主人さまがもしも紐を引いてくれれば、私はそこに戻ることができる。

「・・・人混みで、俺に首輪をつけてひもを持てと?」

「はい。」

「それ、確実に・・さ、」

「逮捕されますね。」

「だよね、そうだよね。」

あはは、とまたすぐ横でご主人さまの高い笑う声がして、つられるように私も笑った。口元で白い息がもくもくと空気に溶ける。冷たい風が吹き抜けて、それを吸った鼻がツンと痛くなる。

「ご主人さまは、何がほしいんですか?」

「クリスマスプレゼント?」

白い息を吐き出しながら返事をすれば、そうだなあ、と楽しそうな声が上から降ってくる。何となく足元を見て歩いて、何となくご主人さまのブーツを見ていた。長いわけではないけれどすらりとした、なのにしっかりと筋肉のついた足がおしゃれなブーツをカツンカツンと鳴らして歩くのを見ていた。

「特にないよ。」

「・・・それは、困る返事だ。」

コツン、カツン、コツン、カツン。軽やかな音が騒がしい町の中でやけにリアルに聞こえるような気がして、目が放せない。クリスマスソングも、クリスマスの飾りも、全部、私とは関係のない遠い世界のことのような錯覚を覚える。

「・・・どうしたの?やっぱり、疲れた?」

ピタリ、ご主人さまの足が止まって私の足も遅れて止まる。ゆっくりと顔を上げてだんだんとぼんやりしていた頭がクリアになる。クリスマスソングが歌う、誰を愛しているのか、今は見えなくても。

「いいんですか。クリスマスなのに・・・・こんなとこにいて。」

「さすがにクリスマスは仕事、休みだよ。」

優しい目元が見なくてもわかる目元がきっと私を見ている。何も知らない、何も感じないただの人形だったら良かったのに。生まれてから何度も思っただろうことをまた言い訳のように思う。私はこれからご主人さまをきっと傷つける。わかっている、だけど。

「そうじゃなくて、そうじゃなくて、クリスマスは、」

吐き出した白い息、感情がコントロールできなくて泣いてしまいそうになる。こんな街中で泣いてはダメだ。息を止めて心を落ち着けようとする。

「わかってる、恋人と過ごせって言いたいんでしょ。」

いつもより低い声。感情のない声。鼻がツンとしたのは、寒さのせいだけじゃない。動かないご主人さまのブーツを私は見ていた。頷くことも、首を振ることもできなくて、私はただご主人さまの足元をじっと、見つめていた。

「わかってる、わかってるから。」

白い息が空気に溶けていく。暗くなってきた街中には愛を語らう恋人たちで溢れているから、私は顔を上げられない。

 どこかで、男の人と女の人の楽しそうな明るい笑い声がしている。私とご主人さまにはきっと一生辿りつけないような道をあの人たちは歩いている。二人で並んで腕を組んで、同じ速度で同じものを見ている。明るく希望に満ちた美しい未来が見えているのだろう。

「ご主人さま、明日は雪が降るらしいよ。天気予報でも、さっきのお店の人も言ってた。」

地面はこんなに寒いのに何にも守られずに、人々に踏まれているからきっと雪が降ればそんなこともないのだろうかと、口から出た言葉は目の前にいるはずのご主人さまには届いたのかわからない。私はそのまま、空を見上げた。暗い空から雪が降ることが、救いであるかのように一心に。

「もし雪が降れば、ホワイトクリスマスになる。そうしたら、ご主人さま・・明日は、」

「でかけるよ。朝から、ひょっとしたら夕方まで。」

「もちろん、お留守番してるので。あしからず。」

私はいったい、何がしたいのだろうか。ひどく悲しそうな顔をしたご主人さまを見つめながら、見つめられながら、冷たい氷が心の奥に沈んでいくのを感じた。一人になりたいの、二人でいたいの。どこかに行ってほしいの、ここにいてほしいの。

「じゃぁ、帰ろうか。寒くなってきたし。」

「はい。今日は、その土鍋でさっそく鍋にしよう。キムチ鍋!!」

「キムチ鍋、好きだなあ。」

歩き出したご主人さまの背中に続くように着いて行く。私の目は辺りのネオンに気を取られてご主人さまの背中を見失ってしまわないように、一途にそれだけを見つめている。今日はクリスマスイブなので、人が多い。

 すれ違う人たちの明るいはしゃぎ声に紛れて聞こえてくる歌。誰を愛してるのか、今は見えなくても。どういう君と僕に、雪は降るのだろうか。

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