十一月 七五三
ご主人さまの運転する車に乗り、買い物に行こうとしていたはずなのに。私は、カーナビに入力された文字を見つめながら音にしないようにそっと溜め息を吐き出した。
「はい?七五三ですか?」
「うん、そう。もうすぐ一年だから。神社に行ってみない?」
「・・まだ、一年経ってませんし。七五三のどこにも一の文字はないです。そもそも、この近くに神社なんてあるんですか?」
「あるみたいだよ、ほら。ここ、ね?」
そんなやり取りをしたのは、二十分ほど前。意気揚々とその見つけた神社に向かうご主人さまの横顔はいつものように楽しそうに優しい笑みが口元に浮かんでいる。なんだってこの寒いのに。いや、寒さは特に関係ないけど。あぁ、こうなるんだったらちょっと遠いショッピングモールまで行くなんて言わなければよかった。そうすれば、ご主人さまがナビに現れた神社を見つけることもなかったし、そこから七五三を連想することもなかったのに。後悔したって今更遅い。私は、買ってもらったばかりのコートに顔を埋めた。
神社は駐車場から、思ったとおり綺麗な着物を着た子どもとそれよりも気合が入っているのではないかと思う服を着た親で溢れていた。中には、もっと気合の入った着物を着たじじばばもいる。凄まじい。
「すごいねえ、七五三ってこんなに混むもんなんだ。」
「そりゃあ。・・・ご主人さまは七五三したことないんですか?」
「うん。あるとは思うけど・・もう、だいぶ前のことだから。覚えていないよ。何したんだっけか?」
私は覚えてますよ。言うつもりのない言葉が頭の中で響く。私も綺麗な着物を着せてもらったことがある。あのくらいの頃は、健やかに成長するだけで大人や親戚はみんな喜んでくれたというのに。七五三を終えると大人たちの期待は突然すぎるほどハードルが高くなる。どんなに長い助走をつけたって飛べないような結果を求めてくる。
「お払いとか、するんですよ。それで千歳飴をもらうんだよ。」
「あぁ、もらったかも。けど、お払いはしたかなあ。してないような気がする・・・うん。」
ご主人さまは懐かしむように記憶のどこかを探すように目を細めて、走り回る子どもたちを見ている。私はといえば、酷く場違いのような気がしてさっきからなんとも落ち着かない気持ちがしている。ソワソワと辺りを見回す。それから意味もなくコートの前を閉める。
「ご主人さま、帰ろうよ。」
「え?まだ、ここ駐車場だよ。」
「だって・・うう。」
スタスタと歩き出してしまったご主人さまを追いかけて私も小走りで境内に進む。そんなに大きい神社ではないにしろ、人がたくさんいる場所であることには変わりない。それにきっとこの辺で一番大きい神社なのだろうと分かるくらいには建物がある。ソワソワとしながら、ご主人さまを見るとスタスタと楽しそうに進んで
「ちょっ、ちょっと、どこに行くの。待て待て待て。」
「え?何?」
「何。じゃないでしょ。いや、何はこっちのせりふでしょ。何、素通りしようとしてるの。ここで手を洗って口を清めないとダメでしょ。」
「え?そうなの?」
「マジですか。」
少なくとも私は今までご主人さまが常識人だと思っていた。いや、確かにそうだったはずなのに。堂々と手水舎を素通りしようとした衝撃に絶句している私をご主人さまは興味深そうに見つめる。私はご主人さまを連れて手水舎に戻り、桶を一つ水を入れてご主人さまに渡した。
「まずは、こうして・・桶で両手を流して、口をすすいで、また手をすすいで。桶の手の部分を流して・・終わりです。」
私のやることをじっと見つめながら、ご主人さまは器用に私の真似をする。大きな手が、水を溜めて口元に持っていく。水が口の周りに付いてきらきらと光っている。私はちょっと躊躇ってから、視線を外した。長い指が、桶の柄の部分を掴んで水が真っ直ぐに流れる。石畳に落ちてバシャと小さく音を立てた。
「なるほどねえ。俺、今まで知らなかった。」
「どんな人生送ってきたんですか。あ、じゃあ、これは知っていますか?参道を進むときは参道の中央を進んではいけないんです。参道の中央は「正中」といいまして、神様が通る道なので、我々が通るところではないのですよ。」
「へえ、物知りだね。さすが、俺のペット。」
渡したハンカチで手を拭きながら、ご主人さまは感嘆の声を上げた。私はといえば、なんともむず痒い気持ちでまた息を吐き出した。
お払いを待っているのか、境内を走り回る子どもたちは希望に満ちていて私には眩しすぎて。この子たちは一体何を考えて生きているんだろうと、自分と照らし合わせてみる。私は、このくらいのとき一体何を考えてどうなることを予想して生きていたのだろうか。
「ねえ、せっかくだし、お払いしてもらおうか。」
「・・・・すいません、ご主人さま。もう一回言ってもらってもいいですか。お払いすると聞こえたもんで。」
「はははっ、うん。そう言った。あそこで申し込むとしてもらえるみたいだよ。」
「いいですけど、いったい何でお払いするんですか。」
「うーん・・・家内安全、大願成就?」
高らかに笑いながら、ご主人さまはもう巫女さんのいる販売所に向かってしまっている。どうせ止めても無駄だろうことはわかっていたが、いったい何をご祈祷してもらうつもりなのやら。
「・・あと、十分くらいしたら、だって。」
意気揚々と帰ってきたご主人さまを祈祷待合所で待ちかまえて、私は百円で買った温かい甘酒をご主人さまに渡した。ご主人さまは代わりに、私に赤色の木札を差し出した。
「で、なんのなにを祈祷してもらうんですか。」
「ペットの、無病息災。」
本当は、健康長寿にしようかと思ったんだけど。せめて俺のところにいる間は、元気でいてほしいからさ。ご主人さまはそう言って驚くくらい綺麗な顔で笑った。私はどうしてか、本当にどうしてかわからないけれど、胸が切なくてたまらなくなった。けれど、それを言葉にするのはどうしても困難な気がしてその気持ちを言葉にできるはずがない気がしてただ黙って頷いた。
「名前は?名前も呼ばれるはず。何にしたの?」
「ん?細貝ペット。」
「何それ。そのまんまじゃん。」
「だって、そうでしょ?細貝葉のペットだもん。」
ずずっと甘酒を一口飲んだご主人さまは、満足そうになのにどこか悲しそうに笑って、目の前を走り回る子どもたちを見ていた。まるで私の顔を見るのを避けるように一心に見つめていた。
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