九月 コンビニ

 伸ばした手が、誰かの手と触れた。私が取ろうとした商品の上で私の手と知らない人の手が重なっていた。

「・・あ、すいません、」「いえ、俺の方も・・!」

否、知らない人ではない。

「あ、残念なイケメンだ。マジか、マジデか、こんな奴と運命の出会いしなきゃなんないとか何の罰ゲームなの。」

「お前、それ失礼だかんな!俺の寛大な心で許してやるけど、俺に対して失礼だからな!!」

「あー、はいはい。ごめんね、チャライケメン。」

「おい、ペット!!」

残念なイケメンは、仕事帰りなのかいつものお洒落な私服ではなくてビシっとしたスーツ姿だった。スーツ萌えだな、こいつも残念な性格ではあるが顔はイケメンである。スーツという無敵の鎧を纏うとやはり殺傷能力は格段にアップする。

「なるほど、俺と恋の残業しませんか。と、言うことか。・・ふ、臭いな。」

「意味わかんないのが、始まったぞ。」

わざとらしく溜め息を吐くと残念なイケメンは、私が取ろうとしていた商品を持ってスタスタと、おい、ちょっと待て!それは最後の一個だったでしょ!

「こら!チャライケメン!」

「なんだよ、うるせーな。外行ってろ。」

そんなバカな。足の長さがこんなに歩く速度に関係するなんて。そんなことを思うほど、残念なイケメンは遠くに行ってしまう。仕方がないので早々に諦めて別なのを探すことにしよう。あぁ、でも、あのシュークリーム、美味しそうだったなあ。いいや、他にもいくらでもお菓子はあるんだ。なんてったってここ、コンビニだもん。誰に言うでもなく自分に言っていると、ほれ、なんて声が目の前に突然現れたビニール袋から聞こえて。いやいや、

「・・・なに?」

「ほら、食いたかったんだろう。」

じっと、目の前のビニール袋を見つめた。それから、ちょっとだけ高いところにある残念なイケメンの顔を見た。

「・・・くれんの?」

「なに、いらねえの?」

「いる。」

「素直じゃん。」

大きくてご主人さまよりも太い男らしい手からビニール袋を受け取ると、にこにこと笑った残念なイケメンに頭を撫でられた。大きくて丸い猫のような瞳が私を見下ろして、優しく三日月。

「もしかして、チャライケメンっていい人?」

「お前、本当に失礼だな。」

ぐしゃぐしゃ、乱暴にけど優しく頭から髪から撫でられて、そのままコンビニを出る背中を追いかける。

広くて大きいその背中は、やっぱりご主人さまとは全然違った。

「珍しいな、お前がこんな時間にこんなところにいるの。」

もらったシュークリームをさっそく開けて隣りに並ぶと残念なイケメンは、私の手にかかっていたビニール袋をさり気なく奪った。それから中に入っていたらしいペットボトルのコーヒーを小粋のいい音であけた。

「食べる?半分、あげようか?」

大きくてずっしりとクリームの入ったシュークリーム。ふと思って尋ねれば、残念なイケメンはゴクンゴクンとコーヒーを飲んで、背を屈めて顔を寄せてくる。何だ、と思っているとそのままがぶりと、私の手の中にあるシュークリームに齧り付いた。

確かにあげるとは言ったけどさ。食べるとは訊いたけどさ。

「・・・まさか、そのまま食われるとは、何このダメージ。半分って・・・・」

「うま。・・・なんだよ、いいだろ、俺の金で買ったんだから。」

お前が勝手に買っちまったんだろう。あぁ、悲しくてたまらない心にそれでもクリームはたくさん残っているから、と言い聞かせてシュークリームを齧る。

 隣りを歩く残念なイケメンはもぐもぐとしばらく口を動かしてそれからまた、コーヒーをごくんと飲んだ。

「んで、お前はなんでここにいんの?一人・・だよな。」

食べ方が下手なのか、それともうまく食べれていないのか、私はいつもシュークリームのクリームがでろんと出てきてしまう。その白とも黄色ともいえない甘いクリームを零れないように舐めていると思い出したように、隣の残念なイケメンが尋ねてくる。

「ついさっきまでバイトしてた。で、閉店後の掃除をして、急に甘いのが食べたくなって。だけど、コンビニは家の近くにはないから、こうしてこんなとこまでやってきたわけなんですね。」

「ふーん、だいたいは、わかったけど・・・あいつは?葉が店まで迎えに行きそうだけどな、こんな夜遅くだと。」

「ご主人さまは、今日は出張なのでお留守です。」

ビニールの中がクリームでべたべたになってきた。シュークリームの皮は柔らかいから、すぐに全方向から中身が這い出てくる。正式な食べ方は上と下を切るんだったか、どうだったか忘れたけどどっちにしろ今は、ここではムリな食べ方だ。

「あぁ、出張ね。そういや、そんなこと言ってたかもな。覚えてねえや。」

「残念なイケメンは、記憶力すら残念なのか。嘆かわしいな、ごちそーさま。」

「おい!それ、どういうわ!!お前、そのビニール、汚いなあ。あぁ、クリームもったいねえ。」

「うるさいなぁ、仕方ないでしょうが。いいよ、なら、これほら、あげるから。」

「いるか。そんな食べかけ。」

「文句ばっかりだな、残念なイケメンのくせに。」

 並んで歩く夜の道。暗い道はそれだけで怖い。人でもお化けでも、私は自分に害をもたらす者は何でも怖い。暗い街頭の下には、何かが誰かがいそうで下校時はいつも背中がスッとなる。夜の道は、怖い。一人で帰るのが好きでだけど、怖い。

何もかもがぼんやりとした、暗い世界が迫る。

「あ?どした?」

思わず、掴んでいたらしい手が隣りを歩く残念なイケメンのスーツを引いていた。馬鹿でチャラいくせに目敏くその僅かに震えた指先に気づく。寄せられたであろう眉から逃げるように口を開いた。

「残念なイケメンは、どこまでついてくるの。」

目の前にある交差点は我が家と残念なイケメン家では、行く方向が違う。それなのに、隣りの残念なイケメンは動く気配はなく私に寄り添うように赤信号で止まっている。

「お前の家。いや、正しくは、葉の家だけどな。」

「何、まさか泊まる気ですか。ヘンタイケメンだわ。」

「ちげーよ、誰が変態だ。」

信号が青になって人のいない横断歩道を二人で歩く。足の長い残念なイケメンは、さっきレジに行った速さなんてちっとも感じられないくらいにゆっくりと歩く。私の隣に並んでいる。

「・・・こんな暗い中、お前一人で歩かせられるかよ。送ってやるだけだから、心配すんな。」

ずしりとした重みが私の頭に乗って優しく髪を撫で付けられる。だから、チャラいとか言われるんだ。思っただけで口には出さずに掴んだままだった、スーツの裾を放した。

「ムカつく。残念なくせに。」

「はあ?何か言ったか?」

「いーえ、お腹減ったなあ、と思っただけです。」

「そーかよ。」

同じ速度で並んで歩く。時々向けられる気遣うような細い目つきと、つまらない会話。伸びては髪や頬に触れる大きな掌。

 優しすぎて温かすぎてさり気なさすぎて当たり前のように、それら全てを見逃してしまいそうになる。当然のことのように甘えてしまうようになる。

冷たく突き放されるべきなのに。甘えるな、と叱咤されるべきなのに、それが当然なことであるはずなのに。

ふらりとやってきた、私をこの人たちはペットとして優しく愛してくれる。普通のことのように受け入れて甘やかす。私はそれに気づいているのに、知らないふりをして甘えている。

『いいんだよ、ゆっくりでいいから。仕事なんてしなくても。』

『輝のペースでいいんだから。ね。』

人間だった頃と同じ。私は何も変わらない。変われない。両親も、兄弟も、いつもそう言って甘やかしてくれた。私は、それに甘えて擦り寄って生きてきた。見なきゃいけない物。向き合わないといけない事。何もかもに目を閉じて安全な道を優しい誰かに手を引いてもらって。優しい誰かに頼らないと、私は生きられない。

失敗作の不良品だ。

ごめんなさい、と心のなかで両親に謝った。生まれたのが私じゃなければ、今頃もっと楽ができたのに、と。

ごめんね、と心の中で兄弟に謝った。私が姉じゃなければ、きっと友だちに隠すこともないのに、と。

どこまでもいつまでも続く先の見えない生の中で、だけど生きているのは怖くて、死ぬのはもっと怖くて。

身動きがとれなくて、苦しくて、だけど、息は止まってはくれないから。私は、ただこうして、ずっとこうして。


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