9月 彼女と対面。


 見てはいけないものを見てしまった。私の頭の中をそんな文章が、我が物顔で跋扈した。

「葉くん、今日は、楽しかったですね。」「はい。」

ちょっと読みたい本があったから、バイトの帰りに本屋に寄った。寄り道をしてはいけないという約束を破ったからこんなことになったのか。私は、腕の中に抱えるようにして持っていた本の入ったビニール袋をぎゅっと抱きしめた。

「今日は、お部屋に寄って行ってもいいですか?」

人魚が、水の中から男の人を呼ぶような。例えるならそんな綺麗な女性の声が喋る。今、まさに水の中に引き込まれようとしているのは、他の誰でもないご主人さまだ。

「光江さん、今日はもう遅いですから。」

言葉を交わす二人の空気が、少し離れた場所に隠れるように息を潜める私のところに流れてくる。これは、間違いようがない。男と女の空気だ。

「でも、私・・まだ、帰りたくないです。」

そうだろう、どう考えてもそうだろう。彼女さんは、このままお泊りを決め込みたいんだ。ご主人さまに恋人がいた。

さっきチラッと見えただけだけど、とても綺麗な人だ。言葉使いも綺麗でご主人さまの腕を恥らうように掴んでいる長い指は、華奢な砂糖細工のようだ。

「困りましたね。」

ご主人さまに恋人が、いた。

そんなの当たり前だ。あんなに優しくてかっこいくて仕事をしている人なら、彼女がいない方がおかしい。普通に考えて、恋人がいないはずがない。そうだ、なのにどうして今までそんな簡単なことに気がつかなかったんだろう。

「ダメですか?葉くん、」

甘えたような声音。そっと息を飲む音。私は、気配の全てを消すことに全神経を集中させた。そうして忍者のように静かに元来た道を歩き出した。

背後で聞こえる恋人たちの声が、まとわりつくように頭を巡る。

だって、仕方ない。他にどうしようっていうんだ。

ご主人さまに、恋人がいた。

そんなこと、知りたくなんてなかった。

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