六月 おでかけ
夢見る少女じゃいられない。やけにガツンとくる歌詞を聞きながら、私はぼんやりと車を運転するご主人さまの横顔を見ていた。この人、車の運転ができたのか、すごいなあ、なんて思っていた。そもそも、拾われた日以来、外に出たのは初めてかもしれない。別に外が怖いとかそういうのじゃないので、出ようと思えばいくらでも出れたのだけれど。
「久しぶりの外で緊張していますか?」
「あ、いえ・・そういうわけでは。」
「なら、良いですけど。」
何がいいのですか。思ったけど、きっと聞いたところで曖昧に笑われるだけなのは目に見えていたので口を閉じた。
見たこともない道をご主人さまの車はぐんぐんと走る。母とも父とも違う運転の仕方。荒いわけでもないけれど、決して安全第一というような模範的運転でもにない。時々グンとスピードを出すし、ブレーキは優しい。まるでご主人さまそのものだ、と思う。
「新しい服と下着をとにかく買いましょう。外に着ていける服が一着しかないというのは、非常に不便です。それから、この際ですから身の回りの物も揃えてしまいましょう。」
「はい。わかりました。」
窓の外、信号で止まった外を見ながら、私は返事をする。外に着ていける一着だって家にいるときに部屋着として使っていたものだ。決しておしゃれでもないし、新しくもない。むしろ、中学校の頃から着ているためボロボロだ。それでも、他の服と違って自分のサイズにあっているし、何より自分の物なのでしっくりくる。ただ、それだけのことだ。
「はい、着きましたよ。降りてください。それと、絶対に逸れないでくださいね。」
「はい。最善を尽くします。」
バタンとまるで新車のようにピカピカしている車のドアを閉めて、鍵をかけたご主人さまは真剣な顔をして言うから私も真面目な顔をして頷いた。私はこう見えても、迷子になるのがうまい。家族と買物に行くと必ず私は迷子になった。いつもそれで怒られたが、私に言わせればいつの間にかいなくなっているのは家族のほうだった。私がほんの数秒、他の何かに気を取られている間にふらりといなくなっている。最近では、家族がわざといなくなっていたんじゃないかとも思うようになった。もし、そうで私が毎度捨てられていたのだとしたら、家族は今頃大喜びだ。
「さて、ではまずは下着ですね。」
「安いのでいいです。どうせ、ニートなんでワゴンセールので大丈夫です。」
歩き出したご主人さまにぱたぱたと小走りでついて行きながら言うと、ご主人さまはだめです。と楽しそうに意地悪を言った。
「え、で、でも、そんな高い服を買っても、どうせ、たぶん、ご主人さまには何もいいことなんてないんじゃないかと・・・」
「ふふ、そんなことありません。ペットなんですから、俺が選んだ服を着てもらいます。」
「うん?ど、どういう意味ですか。」
すたすた、とても長いわけではないけれど、それなりに少なくとも私よりは長い足でご主人さまは歩き続ける。私はずっと小走りでその後ろを追いかけていく。顔を見上げる隙間もない。
「あなたは、ニートではなく。俺のペットだということです。」
私の中では今更感のある言葉を、ご主人さまは楽しそうに呟いた。いつもよりも低いその声に一瞬、ざわりと首の後ろと背中辺りが冷えた気がした。
「・・・・知ってますけど、どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。知っているなら、いいんです。」
掴もうと伸ばした手をすり抜けられ逃げられたような気分だ。丁寧な口調とは裏腹にちょっと突き放すような内容。私はどうしたらいいかわからなくて、心の中でおろおろと情けないくらいに迷っている。
私はまた、いつの間にか迷子になっていた。
「ご主人さま、私は、」「まずはここですかね。衣類です。」
何かを言おうと開いた口は、くるりと振り向いたご主人さまの言葉とその拍子に正面からぶつかったご主人さまのお腹で遮られた。
すいませんと、ぶつけた鼻を擦りながら身体を離すとご主人さまはいつものように優しく笑って、大丈夫ですか。と低く細い声で尋ねた。また、口を開いて何かを聞こうと思ってけれど一体さっき何を言おうとしたのかを忘れてしまったため、私ははいとだけ答えた。
私は、またいつの間にか、迷子になっていた。
ご主人さまはまわりの目が気にならないタイプのようだった。家族で買物に行くとたいてい男子チームは倦厭する下着売り場にも平気な顔をして入るどころか、いつの間に私のサイズを知ったのか、ピッタリのサイズを持ってくる。
「これなんていいですね。」
「・・・はあ、」
「それとこっちも、似合いますよ。」
「そ、そうですか。」
何と答えるべきか非常に迷いながら、私はご主人さまの持ってきた下着を受け取る。ふわふわのフリースの着いたのやら、ド派手な黒や目に鮮やかな紫まで。ご主人さまは一体どんなイメージで私を見ているのだろう。とちょっと困惑する。
「そういえば、下着は何枚あれば足りますか?」
「いえ、あの、五枚もあれば十分かと。」
「そうですか。・・・まあ、ありすぎて困ることはありませんからね。」
ご主人さまはそう言うと実に楽しそうに、私の手に乗っていた下着を全て持って会計に行ってしまった。結局、何枚買ったのかわからないのが怖い。
ちょっと休憩にしましょうか。とご主人さまが言ったのは、ご主人さまの両手に紙袋が二つずつと私の手に大きなビニール袋が二つ装備された頃だった。重いわけではないけれど、それでも重量のある袋のビニールが私の手にぐいぐいと食い込んであともう少し遅かったら、指が四本ほど切断されていただろう。
「・・・何か飲み物でも買ってきましょうね。」
「はあ、」
溜め息のような返事をして、私はベンチに深く腰掛けた。こんなにたくさん本格的に買物をしたのは初めてかもしれない。疲れすぎてこのままずぶずぶとベンチと共に地面に沈んでしまいそうだ。
「くくく、何あれ。スゲーな。あんな格好で買物来れるとか勇者だわ。」
「本当にね。どんなに服買っても勿体無いよ。」
「俺も給料がもっと入ったらあれくらい買いたいな。」
「だねえ。」
悪意、というには些細な言葉が耳に入ってくる。私が何か迷惑をかけたのだろうか、と思ってちらと顔を上げる。私とさほど歳も変わらないような男女のグループが私を見ながらクスクスと笑う。またか、私は何も見ないフリをして俯く。大きな笑い声が何度も爆発する。そうして流れている音楽に負けないくらい声が鳴る。
うるさい。そう思ったけど、私に彼らをとやかく言う資格はない。少なくとも彼らはああ見えて仕事をしている。つまり、私よりも社会的には価値がある人種なのだ。何もしないで家にいる、やっていることといえば非生産的な家事ばかり。世間的にどちらが真人間なのかなんて一目瞭然だ。今、ここで日本が沈没することになったらひょっとして彼らは国外に連れ出してもらえる確率があるけれど、私はゼロだ。なにしろ、私が必要とされているのは自分の家族のいる家庭内だけなのだから。私は、この国においてクズ同様の社会のごみだ。
「・・・・はふ、」
溜め息を吐いて涙を必死に飲み込んだ。私の何が気に入らないのか、それとも何かが気に入ってしまったのか。放っておいてくれればいいのに。誰にも気にされないでまるでここに私なんていないように振舞ってくれればいいのに。何度も思ったことをまた頭の中で反芻する。
あなた達の方が私なんかよりもよっぽど偉いんですから。そのまま、どうぞ社会のために生きてください。喉元まで出かかった言葉は吐き出すことはできずに、ただ心の中にみみず腫れのように傷を付けた。
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