七月 花粉症

 ずずーっと、派手に鼻をかんでいるとパジャマ代わりのTシャツを着たご主人さまが驚いたように目を丸くして私を見た。

「・・・夏、風邪・・?」

「違いますよ。何でぞんなに驚いてるんれすが。」

鼻水がむやみに垂れるせいでうまく喋れない。毎年のこととはいえ、やはりかなり鬱陶しいことこのうえない。薬を飲めればいいのだけれど、保険証も何もないうえに一応家出の身分である。そう、はいはいと医者には行けない。

 それに第一に、私には金がない。

「だ、大丈夫ですか?目が真っ赤ですし、鼻も真っ赤。・・あれ、熱もあります?」

「ちがいまず、かふんちょーれす。」

「え、でも、だって、熱が、」

「あげぐぎーのかふんちょーはねつもでるんれす。」

「そう、なんですか?」

ずずーっとティッシュで鼻をかむ。温度なんてなかったティッシュが一瞬だけ温くなって外気に触れてすぐに冷たくなる。

「そうなんれ・・っくしゅん!ひっくしゅん!!ふぃっくしゅ!!!」

くしゃみ三連発。大魔王は出たり戻ったり忙しいな。目の前のご主人さまは相変わらず、美しい切れ長の瞳をいっぱいに開いているけれど、私は頭がぼーっとして正直そんなことどうでもいい。

「うう、めがかいーよ、かいーよ。」

うるうると視界が潤みはじめ、目が痒くてたまらなくなる。たまらずごしごしとこすると、手首が強い力で何かに掴まれる。

「ダメですよ、掻いたらもっと赤くなります。」

「でも、かいーんれす。はなしてくらはい。」

「薬、ないんですか?あ、氷で冷やすとか。」

「かいー・・・っくしゅん!ひっくしゅん!!ふぃっくしゅ!!!ぐじゅん!!」

あー最後のヤバイ。もう、涙なのか。鼻水なのか。何なのかわからない汁で顔中がぐしゃぐしゃだ。そのばっちい顔に恐れをなしたのか、ご主人さまは黙ったまま私の手首を放してどこかに行ってしまった。目が開かないから、どこに行ったかわからないけど水の音がするから台所。もしかして、どこかにくしゃみをかけてしまっただろうか。しまったな、かかんないように自分の肩のほうにしたのに。どうしよう。

 謝ろうかと、思案しているとまた目の前に人がきてそれから顔にひんやりべしゃりと濡れたタオルが当たる。何だろう。前にテレビでお年寄りの顔に濡れタオルを当てると窒息するって聞いたけど、ひょっとして私殺されるんだろうか。

「冷やすと少しは楽になりませんか?」

「ぐぶびーべぶ・・・ぶばっぐじゅっ!!」

「・・・また、洗ってきます。」

顔中を拭うように動くタオルに鼻が刺激されたくしゃみ。とりあえず、いったんストップしたタオルが顔から放れ、世界がぼんやりと見えるようになる。立ち上がろうとしているご主人さまの横顔が潤んだ視界に見えた。

「・・・つみまてん。」

うまく言葉にならない謝罪が悔しくて、だけどご主人さまは微かに視界の中で柔らかく微笑んでくれた気がした。

「いいえ、気にしないでください。」

ずずっと鼻水をすすって、それが喉に引っかかり私はほんの少し咳をした。


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