第8話「悪夢と幕切れ」



 夜になると、ひどく臆病になる。明日の朝が遠く感じられるからだ。あの夢を見てしまうから。いつか、あれがぼくの現実を蝕みはしないだろうか、と思ってしまう。


 寝るのが嫌で、カフェインの錠剤を呑んだこともある。けれど、押し寄せる眠気から逃れることは、結局できないようになっている。そうすると、逆に、寝なくてもいいときに眠ってしまって、あの夢を見てしまう。なるべく悪夢が長引かないよう、睡眠は1日4時間に削り、それでパターン化をはかることにした。が、そうしても、悪夢は等量に見せつけられる。8時間寝ても4時間寝ても、悪夢の内容が変化するわけではない。かりに1時間眠ったとしても同じだろう。


 などと考えているうちに、寝てしまったらしい。悪夢が始まったのだ。



 ぼくは、早朝の中学校にいた。教室の机の上に突っ伏して寝ていたらしい。外からは強い朝の陽光。こうしてはいられない。目をごしごし擦り、教室から出る。


 7時40分ぐらいになって、校舎にぞろぞろと生徒たちが入ってくる。ぼくは男子トイレの個室に身をひそめた。級友らしい生徒がふたり、入ってくる。ごく小さな話し声に耳をそばだてた。声を聴いてすぐに、いつもと同じふたりだということがわかった。


 ――楢木のやつ、きょうも来てないな。いつまでサボるつもりなんだろうな。


 ――いいよ、あいつのことなんて。どうせ、消さなきゃならないんだ。


 ――だけど、あいつがいないことには、俺たちもさあ。


 ――もうどこかで死んでるんじゃないかな? まあ、あいつは忘れた頃に来るよ。


 やはりだ。やはりきょうも同じ状況なのだ。


 煎じ詰めれば、この悪夢は、ぼくを消すための作戦を企てている学校、そしてそこにいる人間たちから逃げ続ける、という内容なのだ。どうしてかは分からない。けれど、ぼくがもし見つかってしまうと、ぼくは殺されるのだ、という確信がある。


 殺されたら、状況が好転するかもしれない。かつてはそんなことを思っていた。けれどやつらは、予想以上に苛酷な殺し方を仕向けてくる。


 いつだったか、この夢の中で、担任と目を合わせてしまったときのことだ。担任が腰からトランシーバのようなものを取り出して、楢木譲介がいた、と校内放送をかけたのだ。すると、ぞろぞろと全校生徒が現われ、ぼくは取り囲まれた。へたに身じろぎできない状態だったが、ぼくはその巨大な円からかけ逃げようとした。男子生徒にぶつかった。するとその生徒は物凄い力でぼくの右腕を掴んだ。それが糸口となり、ぼくの身体は全員に拘束された。


 ぼくは校舎の外へ運び出される。皆が声高に気味の悪い歌をうたう。神輿のように全員に担がれている。学校の外へ、そして山道へと向かう。その先には、墓場がある。


 その時は運よく、途中で目が覚めたのだった。未明に、全身に大汗をかいて飛び起きた。二度とあんな真似はするまい、と思った。


 現実のことと、夢の世界のこと。夢の中でも両者の判別がつくのは、いささか不思議ではある。それも感覚的にしかできていないのかもしれないが。



 朝礼のチャイムが鳴った。いつものパターンだと、学校が終わるまで、ぼくは逃げ続けなければならない。


 だが、今回は違った。


 どうしてそんなものが、アイテムよろしく存在しているのかは分からなかった。だが、足もとに、錆びかけのネイルハンマーが転がっていたのだった。ぼくは手に取ってその質感を確かめた。戦うべき時が来たのではないか、と思った。


 ハンマーを持ったまま、ぼくは目を閉じた。不思議に、力が湧いてくるようだった。悪夢を断ち切るための好機が訪れたのか。きっとそうだ。ぼくはゆっくり、個室を後にした。


 教室のドアは開け放たれていた。後ろのドアからゆっくり教室に入りこんだ。担任は説教じみた口調でなにかを話している。ぼくには、見つからない自信があった。


 ――つまり、終わらせなければならん、ということだ。あの虐殺のあと、あいつだけが捕まっていない。お前たち全員が、協力しあって、それを終わらせるんだよ。あいつと眼があったら、必ずあいつは、……


 そうだ、目を合わせなければいい。目を合わせないかぎり、ぼくがやつらに見つかることはないんだ。それは完璧な確証だった。ぼくは俯き加減のまま、かつ誰にも目を向けず、担任のほうに歩み寄った。喋りつづける彼の背後に回り込み、ハンマーを頭部めがけて一振りした。








 教室は依然、パニック状態だった。ぼくは誰とも眼を合わせず、前側のドアから外に歩み出た。すると狂騒の中から、


「楢木だ! 楢木がいる! 捕まえるんだ!」


 と声があった。ぼくの確証は揺らいだ。なぜだ? ぼくは見つからないはずなのに。


 刹那、後ろから物凄い力でひっ掴まれた。ぼくの手からネイルハンマーが落ちた。


 勝どきを上げるように、あるいは喝采するように、生徒たちが狂喜していた。ぼくの頭は冷静に疑問符を放出しつづけた。どうしてか、ぼくは現実に引き戻されたような気がしていた。


 それから、ぼくは警察に連れ出された。散々な人生はもう終わろうとしている。ひとつだけいいことがあるとするなら、悪夢に怯える日々がなくなった、ということぐらいだ。


 あるいは、カフェイン剤を飲んでいた日々には、もう戻らなくてもよくなったことだろうか。





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