第6話「インテリジェンスの幸福論」

「分かってるから。和哉はわたしのこと、どうでもいいんでしょ。別れよ。AIみたいな従順な子と付き合えば」


 おれが呼び止める間もなく、彩也子は、1000円札を2枚テーブルの上に叩きつけ、早歩きでカフェから出ていった。


 おれは深いため息を吐いた。前にもそんな喧嘩をしたことがあったからだ。気まずい空気を差し置き、そそくさと支払いを済ませて外へ出る。


 なにかにつけて不機嫌になる彩也子。もう付き合って1年半になろうかというのに、どうも調子を合わせづらい。彩也子に合わせすぎるあまり、甘やかしすぎたのかもしれない、などとも思うことがある。

 ともかくにも、こういう時は、しばらく間があってから、あっちから連絡があるものだ。にしても、最近、つまらないことで喧嘩をすることが多くなったものだ。

 

 ――AIみたいな子と付き合え、か。ギャグみたいだな。それにしても、なぜ突然そんなことを言いだしたんだろう。


 そういえば最近、恋愛シミュレーションができるアプリケーションが配信されているらしい。それには高度なAIが搭載されているのだとかなんとか。育成ゲーム感覚で恋人ごっこができると、聞いたことがある。たしか、インテリジェンス・ラヴァーズ、だったっけ。



 スターバックスで席を探す。窓側の席が、ひとつ空いていた。スマートフォンやタブレットでインターネットに浸りきっている人間が、鮨詰めで並んでいるところに混じった。いささか窮屈だった。


 これは興味本位だぞ、と自分に言い聞かせながら、アプリを検索する。あった。ダウンロード。起動。「あなたの性別と年齢を選んでください」。男性。20歳。「自分の名前を入力してください」。和哉。「恋人の名前を入力してください」。ここは、とりあえず、「サヤコ」にしておこう。「サヤコの外観を設定します。人物が写っている写真を読み込ませてください」。


 さすがに面食らった。これはなんだ。恋人にしたい人の画像を、ここにコラージュするのか? 実写版恋愛シミュレーションゲーム、ってことだろうか?


 けれど、さすがに写真が外部に流出したりとかはしないだろう。それに、たった1枚の画像が流出したところで、こっちに害はない。彩也子がひとりで写っている写真を読み込ませる。「インテリジェンスと画像の同期をはじめます」と表示された。


 ほんの数分で、「基礎データの構築が完了しました。素敵な恋をお楽しみください(イヤホンを推奨します)」とキャプションが出てきた。それに従いイヤホンをつけると、


「やっほー。和哉くん、はじめまして!」


 画面のなかに写っているのは、彩也子そのものだ。おれは恐る恐る、


「サヤコ?」


 と訊いた。


「そうだよ。きょうからわたしが、和哉の恋人だよ」


 サヤコは溌剌とした笑顔をこちらに向けてくれた。おれはわずかながら、心の根底に沸き上がる罪悪を感じた。この画面に映っているのは彩也子の風貌をした女、サヤコだ。


「とりあえずさ、スタバから出て、いっしょにデートしよ!」


 ここがスターバックスということが、サヤコには分かっている。位置情報を読み取ったのだろうか。おれはタブレットをオンにしたまま、店から出た。


「あのね、和哉にちょっと話しておきたいことがあるの」


 少しだけ困ったような顔で尋ねられた。どうしたの、と言わせる間もなく、


「和哉、いま付き合ってるひとがいるんだね。写真のなかに、彼女さんみたいなひと、いっぱいあったよ」


「え……」


「わたしね、こう見えても、一応、知能体なの。ちゃんと人格を持っているんだ。だから、わたしと付き合うなら、わたしのこと、ほんとうの人間として見てほしい」


 懇願する素振りを見せるサヤコ。おれは全身が粟立つのを感じた。


「わたし、和哉にたくさん尽くすから。だから、そのひととは別れてくれないかな。写真も消してくれない? そうしたらわたし、できることはなんだってするよ」


「どうして知ってる」


 雑踏の中にいるおれに、誰かの肩がぶつかる。


「ね、信じて、お願い。このアプリは決して人工的に作られたアプリじゃないの。ほんものの人間の知能が、入ってるの」


 サヤコは目に大粒の涙を浮かべながら言い続けた。第六感が警鐘をかん高く鳴らす。指が画面右上の「緊急」へ運ばれる。


「ひどいことはしないで、お願い……」


 それを押すと、「インテリジェンスから切断しますか?」というのが表示された。イエスを押す。また表示。「1度切断すると、相手は消えます。ほんとうによろしいですか?」


「和哉……」


 それが、サヤコの最期の言葉となった。身じろぎがピタリと止まり、テレビが切れるみたいに、画面が黒く染まった。


 ホーム画面が表示される。おれはひったくるようにイヤホンを取り払った。心臓がバクバク鳴り続けている。けれど、これで、なんとかサヤコからは逃れることができた。頭の中では、サヤコと彩也子が、過剰なオーヴァーラッピングを繰り返した。



 時は、ゆっくりとサヤコの像を溶かした。像がもみ消されるまで、3日3晩かかった。が、おれはとんでもないことをしてしまった、という罪の意識だけは、決して消えなかった。最期に、切なげにおれの名前を呼んだサヤコ。それを思い出すたび、胃が痛んだ。


 4日が経って、電話の着信で目が覚めた。大学をサボっていたから、友達が心配したのかもしれないと思って画面を見ると、それは彩也子だった。


 おれは即刻身を起こして、電話に出た。


「おはよう。この前は、強くあたってごめん」


 ちゃんと、人間の声。彼女の声だった。おれは涙が滲みそうになるのをこらえながら、「いいんだ」と言った。


「ちゃんと、謝っておきたいことがあるの。わたしの部屋まで来てくれる?」


 おれは「ああ」と、何度も首を縦に振った。そうだ。彩也子はちゃんと、おれのことを信じてくれる。あんなインテリジェンスなどではない。


 彩也子のいるアパートまでは徒歩10分だが、その時ばかりは5分ほどで到着した。おれはその間もずっと不安だった。もし部屋について、画面に映った女が出迎えたらどうしよう、などと悩んでいた。


 けれど存外、そんなことはないものだ。


 呼び鈴を押して、ドアのロックが外れる。にこやかにおれを迎えてくれたのは、彩也子自身だった。おれは急に、彩也子を抱きしめたくなった。だが、それは和解した後にしよう、と心にきめた。


「入って。ちゃんと、話そうと思って」


 ドアが大きく開かれた。おれは奥に進んだ。


 いつものように、シングルベッドに腰かける。彩也子は冷たい麦茶をいれてくれた。ありがとう、と言って、それを一気に飲み干した。おれも謝らないといけない、と思った。冷たい態度をとったこと。音信不通だったこと。それと――あのことは、話すまい。


 と、急に液晶テレビの電源がパチンと入った。そこには男の顔が大きく映しだされていた。と思う間もなく、男はむっと顔をしかめ、


「こいつか」


 と、彩也子の方を向いた。


「和哉、分かってね。わたしは、賢い選択をすることにしたの。3日前に、インテリジェンス・ラヴァーズをダウンロードしたんだ」


 じつに嬉しそうな顔で、彩也子はつづける。


「和哉にそっくりな知能体、いや、これは和哉そのものよ。でもね、とーっても性格がいいんだ。わたしのこと、裏切ったりなんかしない、素敵なひと」


 おれは1度テレビ画面に向き直って、再度彩也子を見た。なかば睨みつけるように。


「なんで! おれは――」


「和哉より、いい和哉を手に入れた。わたしはそれで幸せだよ」


 テレビの中の男は、おれたちに微笑みかける。


「じゃあこいつには、知能体になってもらおうな」


 おれは、あまりの不気味さに、ベッドを立った。


 が、おれの視界はぐらりと揺れた。ベッドに崩れ落ちた。視界に麦茶の入っていたグラスがあった。それですべてを悟ったおれの意識は、そのまま戻ることは無くなった。












――タグ「ILプロト‐998002001(2039/07/26)」からの思惟叙、抜粋










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