第3話「エントランス・イグザミネーション」
おれは、当たり前のことだが――エントランス・イグザミネーションに命を懸けている。略してEEだ。EEってのは、日本語に訳すと「入学試験」だ。けれどEEは、入学試験とは比較にならないほどパスしにくいんだ。
EEは、プレ・イグザムと、前半、後半の三部で構成されている。後半にたどり着くまでに多くの同胞、いや、多くの敵を薙ぎ払ってきた。今回、プレの通過率は0.0025%、前半は0.000012%しか通過していない。プレ・イグザムは脳構造と筆記試験の結果によって、前半は身体能力によって通過者が決まる。後半の受験者数は、おれを含めて14393名だ。そこからたった1名、もしくは2名の合格者が決まる。
さっきおれは、このEEに命を懸けていると言った。理由は簡単だ。EEの合格者は、ほんとうの命を手に入れることができる、それだけだ。合格者以外は、不浄な命として、ずっとこの黒くくすんだ世界を彷徨い続けなければならないからだ。
実のところ、ほんとうの命がなんなのか、というのは、おれにもよく分からない。黒くくすんだ世界を僅かに照らす光があり、合格者はその光源へ飛び立ったのち、ほんとうの命を享受できるというのだ。
けれどもとにかく、この試験をなんとか攻略してやろうと、受験者はみな必死に、努力に努力を重ねるのである。だが個々人の能力はそれぞれ異なっている。どれだけ死に物狂いに全てを尽くしても、結局そのほとんどが無駄になってしまう。
おれは、しかし、勝てそうな気がしていた。この生き残りを賭したゲームにおいて、すでに不浄になってしまった者たちを何千、何万と見てきた。生ける屍となった者たちが、喉から絞り出す呪詛。それは、この密室のなかでも、耳鳴りのように間断なく聞こえる。差し詰め、奴らにはおれたちが見えているのだろう。
後半のシミュレーションは、プレを受ける前から何度も試みてきた。おそらく、第1段階として大量の水が密室に送り込まれる。それを躱して第2段階の部屋に移行し、ある謎を解く。おそらく飛空船の製造だ。そして12時間内で第3段階に移行し、天へと浮かび上がらなければならない。天へ辿り着いたとき、それが、おれが勝利するときだ。
薄暗い部屋の中で、眼球搭載型のゴーグルのスイッチを入れると、部屋の脱出口が見えた。天井。そこに、1メートル四方の口が開いている。あれが水圧で外れれば簡単に出ることができる。
試験開始1分前のベルが鳴った。もうすぐだ。もうすぐ、おれは勝つんだ。長い長い闘争に、終止符が打たれ、おれはほんとうの命を授かるんだ。おれは脱出口がある部分を見つめながら、開始の合図を待った。
はじめ、とどこからか男の声がした。
と同時に、目の前が真っ暗になった。
冷たい水の感覚。それはやがて全身に行き渡った。息を思いきり吸い込もうとして、液体を飲んでしまった。苦しい。息ができない。窒息してしまう。その状態と恐怖から逃れるのに20秒要し、そしてようやく考えることができた。
これは、黒炭を混ぜた水だ。なんてことだ。おれの予行演習とはまったく違う試験が用意されていたんだ。急いで、急いで逃げなければ。感覚は警鐘を鳴らすように意識に訴えかける。
脱出口はどこだ。天井の位置が変わったのか、そもそもおれが動けていないのか、手探りでは逃げ道を探すことができない。やがてその手探りの手も、冷水によって腫れるように痛くなり、痺れ、動かすことが能わなくなった。そして全身も同じように、おれの感覚という範疇から消え失せた。
おれの意識だけが生きている。おれは死ぬ。死ぬという恐怖が、不浄になるという恐怖が、はじめて意識に降り立った。なぜ、なぜ、こんなところで。
肉体が完全な水死体になってしまってから、おれの意識は、失格になったことを悟った。もうほんとうの命に辿り着けないことが分かった。不浄になるんだ。おれはこれから、地獄のような日々を送ることになるんだ。
地獄? 思えば、今日にいたるまで、地獄のような日々だった。同胞と争い、休まる間もなくシミュレーションを重ね、ひたすら、訳も分からず、光に向かって進み続けた。その先には、もしかしたら別の試験が待っているかもしれないのに。そうだとしたら、おれは不浄で結構だ。済々とした思いが、脳裏を掠めていった。
意識は肉体と切り離されていた。いつの間にやら、おれはあの密室の外にいた。密室から100メートルぐらい上だろうか、第2段階に進んだ者たちの姿があった。そしてその天上に、光があった。
消えゆく光。意識が何者かに引き寄せられていくような感覚。その時にあって、おれははじめて驚愕した。
光から、1本、肌色の太いホースが、第2段階に進んだ者たちに向かって伸びているように見える。しかしそれは逆で、受験者たちの方から、何千本も、肌色の触手が天に向かって伸びているのである。その、糸蚯蚓にも似た艶めかしい触手の先端部に、受験者たちの頭が付いている。消えゆく光のなかで、苦悶の表情を浮かべるろくろ首の、その無数の顔を認めてしまったのだ。
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