護符作り
リンルの実の瓶詰が届くころを見計らって、ライラとペルケレは買い物に出かけた。暗殺者を警戒しながらのお出かけだが、呪いを解く方法を思いついた後とだけあって気分はいくらか軽い。うまくいくかは分からなくても、道が見えるのはそれだけで希望が持てた。
雨上がりの澄んだ空気の中、木漏れ日が葉についた雫を照らしてきらきら輝いている。
空を見上げれば薄暗い雲を背景に大きな虹がかかっていた。
「ヘズにはこの景色が見えていないのよね」
「ああ、それはちょっと可哀そうだな。汚いものを見なくて済むが、綺麗なものも見えないってのはもったいない」
ペルケレもとてとてと歩きながら瞳に虹を映している。
美しいものを見て沈んだ気持ちを浮上させる事も出来ない。せめて聴覚や嗅覚で少しでも幸せな気分になってもらおうと、ライラは店で何かを探すことにした。たとえ直ぐに別れることになったとしても、餞別くらいになる。
ヘズがこの森に来た時には他人のためにこのような思考をすることも無かったと、自分の変化をうっすらと感じながら村へと歩く。
残念ながらリンルの実の瓶詰はまだ届いていなかったが、目の見えない友達のためにと相談された店主はうーんと考えながらも答えた。
「食い物とか、酒とか……?」
「そう言えば味覚という手もあるのよね。音の鳴るものをイメージしてたのだけど」
「その人は楽器の類はできるのかい?できないならライラさんが演奏する手もあるけど。小さな笛のおもちゃなら在庫はある」
「全くやったことないわ。その人からもそんな話は出てきていないし」
楽器は誰かに演奏させて楽しむもの。元王女であるライラはそんな認識なので演奏どころか触った事も無い。母はたしなみとして多少は出来たとうっすら記憶の底にある。
同じ王族であるヘズの耳もそれなりに良いものを聞いて肥えているだろうし、贈るにしてもライラが演奏するにしても喜んでもらえるか微妙なところだ。
「香水の類は?」
「……男の人なの」
「…………だったらやっぱり酒だろうな」
ライラはどこまで明かしてもいいのか迷う間を、店主はライラと話題の人物がどのような関係か探る間をおいてからそれぞれ答えた。
「礼や侘びにも向いているし、値段や質もピンからキリまである。と言ってもうちに置いてあるのはこのくらいなもんだ」
そういって取り出してきた数本の瓶は、ライラも料理や調合に使っている酒だ。化粧箱にすら入っていない、贈り物にするには日用的すぎる安い酒。王族であるヘズには流石に贈るわけにはいかない。
実際のところはどうだか知らないが、店主の提案を無下にしない様にライラは嘘をついた。
「確かお酒はあまり強くない人だったような気がするの」
「いい案だと思ったんだがな」
「ごめんなさい」
再び二人で悩みこむ。ここは食材や日用品などを扱う店だ。どちらかというと服飾雑貨の店の方が贈り物に向いた品はあるのだが、そちらでは根掘り葉掘り聞かれると判断してライラはこの店で相談した。店主がヘズと同じ男性という理由もある。
「定番だが、ハンカチに刺繍なんてのはどうだろうか。触った感触で模様を楽しんでもらうとか」
「それだったら、何とか―――あ!」
「何か思いついたかい?」
「ええ、有難う。とても参考になったわ」
買い込んだ食料を持って、店主に礼を言いながらライラは急いで外に出る。
店に来るときはいつも澄ました顔でいるライラなのに、はにかむような表情を見せられて、店主は独りごちた。
「本当に、相手は誰なんだろうな。この前一緒に来た男だとは思えないんだが」
普通に目が見えていたようだし、何といってもライラには不釣り合いだ。印象が薄く低姿勢で、ライラに仕えていると言った方がしっくりくる男。役人が探しているらしいので厄介ごとに巻き込まれるのを心配しているが、今日見た感じではライラは疲れているような素振りは見えなかった。
「……それにしてもライラさんは力持ちだな」
実際には魔術をかけて軽くしているのだが、三人の数日分の食料を平気な顔で持ち帰るライラに店主は驚いていた。
服飾雑貨店の方で布地と刺繍糸を買ってライラは家路を急いだ。いつもは長引く店員との会話も早めに切り上げ、小走りのライラにペルケレが怪訝な目を向ける。
「何か、あったのか?」
「回復薬を作る前に護符を作っておかないと」
「ああ、そういうことか。そりゃあ確かに必要だな」
術を施した後、ヘズたちはきっと城に戻る。その時になんの対策も立てないのでは待つ方だって気が気ではない。
呪詛を跳ね返すのは嫌がるだろうから、無効化するものを。それから毒や物理的な攻撃を軽減化するもの。無効化してしまうと毒の成分もある薬が効かなくなる可能性があるし、悪意を持たない接触まで弾いてしまう危険がある。
攻撃の補助などをつけずに守りを特化させようと、ライラは完成形を思い浮かべていた。
家に帰るとヘズたちに声をかけてから二階に引きこもった。事情を話して食事の支度はしばらくラッリに任せ、護符の作り方の載っている本を書庫から引っ張り出して自分の部屋で準備を整える。
「日数をそれほどかけるわけにもいかないから簡単な図柄にしないと」
「いっそのこと糸に髪の毛でも混ぜ込んでみるか?」
「それ、確か魅了系の
気持ち悪いと反論が来ると思っていたペルケレは、続きが来ないことに驚いて顔を上げた。ライラは自分の栗色の髪の毛の先をくるくると弄りながら考えている。ペルケレは慌ててライラの思考を中断させた。
「おい、冗談で言ったんだぞ?」
「え?あ、ええ、もちろん分かっているわよ」
ライラは髪の毛から手を離して膝の上に置く。ペルケレが疑わし気に真ん丸の目で射貫くと、ライラはコホンと短く咳払いをした。
「数日で刺繍できる図柄で、なおかつ毒と物理を軽減、呪詛を無効化するものを作らないといけないから余分な効果をつけるのは無理ね」
「当然ラッリにも持たせてやるんだよな?」
「……も、もちろんよ」
眼をそらしながら、すっかり忘れていたと明らかに考えているライラに、ペルケレは説教を始めた。
「受け入れられたからって一気に傾きすぎだ。ヘズを信じるなとは言わないが、疑う心を隅っこに少しでも置いておけ。あと、いくらなんでもラッリが可哀そうだ」
「分かってるわよ。もしも次の術が成功してヘズがお兄様と仲直り出来て呪詛が解かれたらきっと簡単にはここへ戻ってこないことくらい分かっているわよ。でも」
まるで言い訳をするように早口でまくし立てるライラ。ペルケレはじっと見つめながら話を聞いている。話をしている内に冷静になっていくライラは、息継ぎをするために一度言葉を切って呟いた。
「少しくらい、期待してもいいじゃない」
何を、とは言わなかった。呪詛が解けてもヘズが戻ってくることか、呪詛が解けなくてヘズが戻ってくることか。元婚約者とは違うところを見たいのか、それともそれ以上のことか。
ペルケレは小さく頷いた。
「ああ、少しなら良いんだ。欲を制御できなくて本格的に魔女になっちまうんじゃなけりゃ、それでいい」
「何よ、いつもはもっと魔女らしくしろって言うくせに」
ライラは文句を言いながらも、手のひらに乗る程度の小さな布切れに魔術用の薬液を振りかけた糸で刺繍をしていく。図柄は幾何学模様に見えるが、動物を意味しているらしい。狼、熊、鹿など、この辺りでは見かけないものばかりだ。
山を越えてくる野生の動物はほとんど数を増やせず、山脈の内側には家畜化された生き物ばかり。唯一の例外が鳥だった。
これらの
布地の面積は狭いが細かい刺繍なので慣れているライラでも時間を要する。食事の時間も惜しんで作業を続けようとしたライラをペルケレが咎め、布にじゃれるようにしがみ付こうとするので、休憩はそこそこ取れていた。
元々、王女時代には魔術の一環として、或いは花嫁修業として刺繍をしていたので、それなりにできる。けれど暇なときに少しずつ、護符なら一か月以上をかけて行っていたので、集中力を必要とした。
急ぐあまり、針を指にさしてしまう。痛みを感じた場所には、ぷっくりと膨れていく赤い血。思い起こされるのは、五百年前の惨劇。
ヘズを父のような目には絶対に合わせたくないと、ライラは再び針を持った。
刺繍を終えた布を袋状に縫い合わせ、中に特殊な紙でできた札を入れて口を閉じる。同じものを二つ作り上げたのは、思いついてから数日経っていた。
「ペルケレ。これで、どうかしら?」
「ああ、さすがに身代わりの模様は入れなかったか」
「そんなもの入れて困るのはヘズでしょう?ここへ戻ってきて私が死んでたら術をかけなおすことだって出来ないし」
魔力を込めなくてもいいので、知識さえあればこれは魔術を扱えないものでも作れるものだ。悪魔と契約した魔女でも、全く支障ない。出来上がったものを持って一階に降りると、ヘズたちは心配そうにライラを迎えた。
「そんなに根を詰めて大丈夫なのか?食事と日課で出かける以外にまともに話していない気がするんだが」
「もう終わったの。ヘズ、手を出して」
出された手のひらに護符を持たせると、ヘズはそっと指先で感触を確かめ始めた。刺繍糸の膨らみを嬉しそうな顔で撫でている。
「刺繍をしていたから時間がかかってしまって」
「母から受け継いだものに手触りがよく似ている気がする。あれは災いから守ってくれたらしくぼろぼろになってしまったが」
「もしかして北方のご出身なのかしら」
「聞く間もなく亡くなったからな」
護符の効果を説明しながら同じものをラッリにも渡すと、ラッリは驚きを隠さなかった。
「え、私にもですか」
「生き延びる確率を上げるためには当然だろ」
「いくら主君が生き残るべきと互いに思っていても、万が一の時には一瞬の隙が出来ると思うの。見える状態であれば、余計に」
想像してしまったのか、ヘズはライラの言葉に息をのんだ。
隣で大きなけがをしていても、物言わぬ屍となっていたとしても目の見えない状態では気づく事も無い。
自分が死ぬことはいつでも考えていても、ラッリが先に逝く可能性は考えていなかったと苦い顔をした。
「ライラ、私からも礼を言う。実は私だけではないのかとちょっと嫉妬もした。ラッリ、すまん」
ヘズが謝るとさらに驚き、しばらく目を見開いたまま固まっていた。あまりに直立不動なので、面白がったペルケレが足元からよじ登り始める。頭に到達したところでヘズが声をかけた。
「ラッリ?」
「い、今までの殿下だったら問答無用で二つとも自分の懐にしまい込んだのに」
「そうして欲しいのなら寄こせ」
「嫌ですよ!」
慌ててしまいこむラッリに、ライラは思わず笑ってしまった。
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