実験その三

 ラッリに手紙で店に取り寄せるよう頼んでいたリンルの瓶詰が手に入り、魔力回復薬が出来上がったので、ヘズの呪いを解く方法の一つを試してみることになった。正確には、呪いを封じる方法だ。

 森の石に掛けている魔術を人間用にアレンジしたもので根本的な解決にはならないが、たとえ一時的にでも視力を取り戻すには有効であるとライラは考えたのである。


「一つ問題があるとするならば、毎日術者である私の魔力を注がなくてはならないの」

「注がないとどうなるんだ?」

「術が解けて再び呪いの効果が出ると思う。つまり、ヘズはまた目が見えなくなる。もう一度掛けなおすにはヘズにもきっと負担がかかるから、時間を置かなければならないの。短期間で解呪の目処が立たないのなら、できれば毎日そのまま継続させたいわ」


 事前の説明として術の効果と注意点をヘズとラッリに話を聞いてもらう。今後ヘズ達の行動によっては、十分な支援が出来ずぬか喜びさせてしまう結果になる。


「それを踏まえた上で、今後どのような道を選ぶかヘズに聞いておきたいの。一つは目が見える状態でお城に戻ってお兄様に呪詛を解いてもらう。これが一番の解決策ね」

「ああ、理解しているし、そうありたいと願っている」


 ヘズが頷いたのを見て、ライラは続けた。


「二つ目はお兄様を頼る以外で呪詛を解く方法を探す。具体的に言えば王子と言う立場を利用して解くことのできる魔術師を連れて来るか、魔術書を探し出す、くらいかしら。ヒーシ国内にどちらかが残っているのはあまり期待できないけれど、外の世界で探すように誰かに頼むことだって出来るだろうし。最後に王子としての役割を放棄して生存を明かさず、ずっとここに居る……ってところかしら」


 ただし最後の選択肢を選んだら、ライラはきっとヘズを嫌いになる。五百年も責を負っている自分の傍に無責任な男がいたらきっと苛立つだろうし、全てを捨ててライラを選んでくれた、なんて甘い考えを持てるほどお花畑な頭になれない。

 あくまでライラの理想の押し付けで、死んで欲しいとまでは思わないがそれくらいの覚悟を持って生きることを望んでいた。


「あともう一つ、城に戻って兄貴を殺すって手もあるな」

「ペルケレっ!」


 物騒な選択肢を付け加えたペルケレをライラが窘める。ペルケレは前足をなめながら悪びれず言った。


「冗談だって。悪魔的に仕方ねぇだろ。俺だって本気でヘズがやらかすなんて思ってねぇぞ。でも、本当は術者を殺すのが一番手っ取り早い方法なんだが―――」

「……それだけは絶対にしない。何があってもだ」


 怒りに満ちた低いヘズの声にペルケレは慌てて「悪かった」と謝った。続けてラッリが自分の意見を述べる。


「二つ目の魔術書、或いは解呪できる魔術師の移動はおそらく無理かと…我が国は彼らに避けられてますし、書物も密輸とされ国際問題に発展します」

「三つ目を始めから選ぶつもりはないが、もしもやむを得ず一つ目が不可能になった場合は……」

「ええ、その場合は仕方がないから許してあげる」


 ただし、ライラの気持ちがどう転がるかライラ自身にも分からない。

 ということでクレルヴォを説得して呪詛を解く一択になった。


「お城に戻るのにどれくらい時間がかかるの?最初にこの森に居た時は確かお昼前だったわよね?」


 ライラはヘズを助けた時を思い出していた。もしも一日以上かかるのなら、ライラの掛ける魔術は全くの無意味になる。

 目が見えない状態で攻撃を受けながら馬に乗って、しかも魔女を探しながら森で一昼夜も過ごせるはずがない。


「あの時は夜が明ける前に城を抜け出してきたつもりだ。目が見えないから確かではないが…ラッリ」

「ええ、目的地がはっきりとせず時間がかかりましたが、おそらく半日も必要ないと思います」


 ラッリがヘズの答えを補足する。ライラの予想通りだ。


「だとしたら一日で行って戻るのは不可能ではないわね」

「ええ。となると、馬が必要ですね。その辺りは私が手配しましょう」

「術が安定しているか二日ほど様子を見たいから、馬を用意するのはその後にお願い」


 ラッリの申し出にライラが待ったをかけた。見送る側にも準備が必要だ。ライラ手製の護符はすでに渡したが、途中で食事もとらなければならないだろうしある程度の金子も持たせておきたい。


「おそらく一度で説得は無理だから、何度か通うことになるだろうな」


 殺されるかもしれない城と森との往復が過酷になると誰もが予想出来た。ヘズにとってだけではなく、ライラの危険性も増す。結界のすぐ外で待ち構えられるかもしれないし、森を焼打ちでもされたら無意味だ。

 もしかしたら近くの村にも何らかの手が加えられるかもしれない。


 ヘズはふと、あることを思いついた。


「ライラ、一緒に城へ来てくれないか」

「無理よ」

「安全は出来る限り保障する。魔女だと見下す奴がいるようであれば処刑する。悪いようにはしない」


 クレルヴォが見下したら結局はペルケレの言う通りでは?と言う言葉をライラは飲み込んだ。


「味方は少ないと言っていなかった?そうではなくて、石にも同じ術をかけているから毎日魔力を注がなくてはならないの。万が一でも森に戻れない場合の可能性を考えると、簡単には離れられないわ」


 元に戻るだけのヘズと、取り返しのつかなくなる森を天秤に掛ければ自然と後者に傾く。すげなく断られたヘズは気落ちした。そのまま嫁にする下心が無くは無かった。


「せめて勇敢なミエリッキがいれば心強いのに。ここへ来た時に乗っていた馬なんだが、まだ森をさまよっているのだろうか?」

「確か、白い馬だったと言っていたわね?ヘズを助けた日以来見ていないけれど……目が見えるようになったら少し森の外を散歩しましょうか。もしも誰かに捕らわれていないのであれば、ヘズの姿を見ればもしかしたら寄ってくるかもしれないし」


 今日と明日、術のかかり具合の様子を見て、それからラッリが馬の手配をすることになった。

 魔術を使っている間、家に掛かっている保護の魔法は消えるのでラッリに見張りとして外に立ってもらう。ラッリの補助としてペルケレがつけられた。



 ヘズを長椅子に座らせ、ライラはその前に立った。五百年ぶりに行う魔術にライラは緊張する。

 あの時は自分の命が懸かっていたが今回はヘズの将来だ。どちらも大切なものだが、自分の為よりも責任は重くのしかかってくる。

 日常的に使う小さな魔術と違って心が大きく左右するので、ライラは心を鎮める為に深呼吸をした。呪文は事前に何度も確認し、イメージトレーニングも繰り返した。

 大丈夫だと自分を鼓舞して、ライラはヘズに声をかける。


「目を閉じて、ヘズ。痛みを感じるようなら直ぐに言って」

「ああ、頼む」


 ヘズの顔にある蝶の模様を覆うように手を当て、ライラは呪文を唱え始めた。二度目の実験の時と同じく古代語で、違うのは本を読まずにそらんじていること。


 ヘズの頭の周りにたくさんの光の文字が浮かび始める。それらが帯状となり、蝶の模様と反応しあいながらくるくると回っていく。呪文を唱え終えた後、そのままライラは指先で光の帯を首元に誘導して固定した。石を封じた時の様に宙に浮かせたままでは、ヘズの目が見えたらきっと眩しいし、傍目にも間抜けだからだ。

 魔術師がいないので術に気づいて外そうとするものはいないだろうが、もしかしたら森の魔女に術をかけられたと勘付くものもいるかもしれない。その点、首元だったらマントなどで覆い隠せる。


 術を掛け終わりライラがふうーっとついた一息に、ヘズがピクリとわずかにまつ毛を揺らす。その様子が少しだけおかしくて、ライラはくすくすと笑った。


「終わったわ。ヘズ、目を開けて」


 ヘズがゆっくりと目蓋を上げる間は、ライラにとっても緊張する瞬間だった。


 一度目を大きく開くと、ヘズは二、三度まばたきをした。アイスブルーの瞳には光が宿り、しっかりとライラを捕らえている。戸惑いに揺れる瞳にはじわじわと涙が浮かび、一連の動作に見惚れていたライラはもしや失敗したのかと心配になった。

 そんなライラの思いも知らず、ヘズはくしゃりと泣いているような、笑っているような顔に歪ませる。


「見える……ライラの顔が見える!ああ、本当に美人だ。今まで見たどの女性よりも美しい!」

「それは、どうも」


 ライラは気恥ずかしくてそっぽを向いたのに、感極まったヘズに抱きしめられてしまった。ついでに頬にキスまでされ、流石のライラも非難の声を上げた。


「ちょ、ちょっと!」

「やった、やったぞ!ついに!有り難う、ライラ。いくら感謝してもしきれない。ラッリ、ラッリ!」


 はしゃぐヘズはどたどたと歩き、そのまま家のドアを開けてラッリにもペルケレにも抱き着いていた。嫌がるペルケレにも無理矢理キスをして「何すんだーっ!」と猫パンチを食らっている。王子とは思えずまるで子供の様で、笑顔がとても眩しい。ライラは良かったと静かに笑みを浮かべていた。


「ラッリ、ちょっと老けたか?」

「な、ひ、酷いですよ。たったの五年でそんなに老けるわけがないじゃないですか。殿下よりちょっと年上なだけなのに」

「あはははは、冗談だ!父上や兄上はどうなっているだろうな。城の皆にも会うのが楽しみだ」


 自分が五百年生きていなかったら、ヘズはそのまま絶望の人生を歩んでいたかもしれない。森の石を封じる以外に初めて自分が役に立ったと感じたライラ自身も、ほんの少し救われた気がした。


 ひとしきりはしゃいだヘズが、ライラの元へ戻ってきた。真面目に取り繕うとしているが、口元の笑みが消せずにいる。


「改めて礼を言う。ライラ、本当に有難う」

「いいえ、まだまだよ。中途半端なものしか出来なくてごめんなさい」

「いや、今はこれだけでも十分だ。何より希望が持てた。寝ても覚めても暗闇の状態から解放されたんだ!」


 ヘズは我慢できずにあちこちを歩き回った。うっかり結界の外に出そうになるのをペルケレが呼び止める。

 甘味の足された魔力回復薬を飲みながら、ライラは今後に思いを馳せる。


 これからは、ヘズが自分自身で切り開かなくてはならない。自分より目上の者、しかも傷つけたくない相手に呪詛を解かせるのだから、脅しなどの手段は使えず真っ向勝負で説得するしか手立てが無い。できれば和解までしてほしいとライラは願っていた。


 ライラが掛けた術は、あくまで一時的なものだが、本格的に呪詛を解くための第一歩だ。


 呪詛が完全に解けたなら、その後は―――

 ヘズとの別れもまた一歩近づいたと、ライラは覚悟していた。

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