散歩

 朝の光を感じて目を覚ます。それがどれだけ幸福なことかヘズはこの日をもって初めて知った。自分のいる場所が無機質で冷たい城の中ではなく、温かみのある木造の家であると言うことも。まるでもう一度この世に生まれ落ちたような新鮮な感覚を、暫く横たわったまま噛みしめていた。

 一階のベッドで上体を起こすと、すでに起きていたラッリが声をかけてくる。


「おはようございます、殿下」

「おはよう、ラッリ。いい朝だな」

「ええ」


 ラッリが朝食の準備をしている間、見えない状態で行き来していた部屋の中を見える状態で歩き回る。まるで動物が自分の縄張りを確認するかのように、ヘズはいろいろなものを見たり触ったりしていた。

 テーブルを触り壁に掛かったタペストリーを眺め、二階への階段を上がろうとしたところでラッリに止められる。


「殿下、いくら目が見えて嬉しいからと言って、ライラ殿の寝顔を見に行こうとするのはやめて下さい」

「上にライラが寝ているのか」


 只の好奇心でなんとも無しに歩き回っていたヘズだが、二階を見上げて心をときめかせていた。が、すぐに顔を曇らせる。


「ライラが王女、ということは弟殿が私の先祖かも知れないのか」

「それはあり得ませんよ。確か彼が子供を残さなかったので、有力貴族は残ってもフォレスタリアは滅びたのですから。……ほら、顔を洗って。目が見えるようになったのだからなおさら身だしなみに気を付けないとライラ殿に笑われますよ」


 ラッリの言うことももっともだと思い、ヘズは顔を洗う。その後、久々に自分の顔を鏡で見て、息を飲んだ。赤い蝶のような禍々しい呪詛の紋様がくっきりと浮かび、クレルヴォの憎しみを初めて感じ取った瞬間でもあった。

 見える世界の素晴らしさに浮かれていた心に、冷水を浴びせられる。未だ解呪はなされておらず、視力を得ることは出来たが問題は何も解決していない。

 幾分か落ち着いたヘズは、今後の予定を思案し始めた。


「ライラに感謝を表すにはどうしたらいいだろうか。今までならドレスや宝石を贈っていたが……」


 その感覚は、元婚約者のロウヒ基準である。森から離れられないライラにはきっと必要の無い物だ。もしかしたらリンルの瓶詰の方が喜ばれるかもしれないが、その場合、贈るのはラッリだ。


「あまり喜ばれないかと思いますよ」

「やはりラッリもそう思うか」

「まずは殿下が無事に呪詛を解くことだと思われます。ライラ殿の厚意を無意味にしない為にも」

「分かった。何をするにしても、やはり最大の壁は兄上か」


 ラッリとヘズが話をしている間に、身なりを整えたライラとペルケレが二階から降りてくる。


「おはよう、ヘズ、ラッリさん」

「よお、ヘズ。目の調子はどうだ」

「ライラが美しすぎてまばたきするのがもったいないぐらいだ」


 ペルケレの褒め言葉はさらりと流していたライラだが、ヘズの褒め言葉に固まった。「朝から何を…」とごにょごにょ言いながら頬をわずかに赤らめ、ラッリの手伝いを始める。


 見えるようになったヘズが手伝おうとライラにまとわりつき、ペルケレのブラッシングを任された。見る見るうちに艶が出る毛並みに夢中になっている間に支度が終わり、ヘズはちょっぴり落ち込む。


 朝食を取った後、昨日と同じようにヘズを長椅子に座らせて、ライラは二つに増えた日課をこなそうとする。ずれることなくライラを捉えるヘズの視線をほんの少し意識しながら、首元へ手をやった。

 ライラの白い手がヘズの首筋に触れ、光の帯が輝きを増す。


「変な感覚は無い?締められている感じとか」

「大丈夫だ」

「そう、良かった。今日は一日様子見ね。今から石の方への日課をこなしてくるわ」

「それなら、元々森を散歩するつもりだったし私が付いて行っても問題は無いだろうか」


 ヘズはちゃっかりライラの両手を握りながら顔を覗き込んだ。ライラが戸惑っている内にヘズの問いに答えたのはペルケレだった。


「ああ、丁度良かった。ライラ、ヘズと二人で行って来い。俺はちょっとラッリに話がある」

「……分かったわ。行きましょう、ヘズ」


 家を出て城の方へ進もうとするとヘズがライラの腕を取った。王子であるヘズが逆エスコートかと訝しんだが、ヘズはあまりにも自然体だ。採取も行う森歩きにはあまりに不便なのでライラは窘めた。


「ヘズ、離して?」

「ああーっと、済まない。目が見えぬ時の癖でつい。外は大体、付き添いの腕につかまって歩いていたからな」


 ヘズは他意はないと、両手を万歳の形にあげた。


 いつもと違う連れ合いが森を珍しげに見て歩くのは、ライラにとっても新鮮だった。古城に近づくにつれて過去の残骸が増えることにヘズが気付く。

 建物の基礎部分がしっかりしている物は貴族街に多かったからだ。


「そこには劇場があったのよ。あちらの建物の一階には王室御用達のジャム屋さん。リンルのジャムはお気に入りだったわ。もしかしたらラッリさんの領地で採れたものだったかもしれないわね。ここが大通りで馬車を横づけにして買いに来てたの」


 ほとんどは風化したり木の根に飲み込まれていたが、ライラは両手を使って示しながらヘズに説明していた。ヘズは自分の住んでいた王都を元にして想像する。


「立派な大学だってあった。魔術を教える学科もあってね。私はそこでもっと本格的に学ぶ予定だったの」

「そのようなものがあったのに誰も何もしなかったのか」

「当時の魔術師は宮廷に雇われてはいても個人主義でね。だから皆、逃げ出した」


 個人で活動する宮廷魔術師を騎士団の様に組織化し、ライラがそこの長となる話もあった。婚約者には支えとなってもらうつもりだったのに、一夜にしてその道は無くなってしまった。街の残骸は、ライラの消えてしまったもう一つの未来そのものだ。


「これが、この場所が、滅びた私の国。どうか、目に焼き付けておいて。王族の行動ひとつでどのような結末を迎えるのか見られる機会は中々無いわよ」


 片付けられなかったがれきを足元に、ライラは両手を広げて言った。寄る辺は簡単になくなり、希望はあっという間にねじ伏せられる。報われぬ努力を続けながら、果てのない日々を送っている。せめてヘズに何かを学んでもらえたら、それらも少しは浮かばれるかもしれない。そんな思いを抱きながら、儚げに微笑んだ。


 ヘズは、ライラとの間に大きな隔たりを感じた。昨日まではそれが目が見えるか見えないか、だったのに今日二人を分けるのは滅亡と現存だ。そして、ライラの『滅亡』は今でも続いている。

 ヘズは、ライラを救い出したい衝動に駆られた。


 古城に着いて、二人で森の石を見上げる。ラッリはただ禍々しいと感じていたが、ヘズは別の見方をしていた。


「これが、ライラを苦しめている石か」

「そう、あなたにとってのお兄さんと同じ。苦しめられているけれど憎めなくて、放っておけない」

「こちらの思いは一方通行。何度説得しても何も届かない、か?」


 話をしながら、ライラは石の周辺に浮いている光の帯に魔力を注ぐ。

 どうにかすることを諦めきれず、もがいてもがいて、もがいて。けれどヘズと違ってライラは少し疲れてしまっていた。


「自分が死んで楽になる方法を、一度も考えなかったわけではないの。ヘズを拾った日の朝もね、もう終わりにしようかって思ってた」

「それは、それだけはダメだ。私も手伝うから……だから!」


 ヘズはライラの両肩を掴んで叫ぶと、ライラはにっこりと微笑んだ。


「大丈夫、もう少し頑張ってみるわ。ヘズを見てると自分も何とかできるかもしれないと思うもの。前向きになることで運だって開けるかもしれないし」


 心配をしたヘズは、ライラの笑顔を疑いながらもゆっくりと両手を降ろす。降ろしながら、未来につながる提案を申し出た。


「私の呪いが解けて、ライラの問題も解決したら、今度は町の中でデートしよう」

「デート……?今しているのはただの散歩で……いいえ、そうね。いいわ、約束しましょう」


 叶えられるかどうか、分からない約束。ライラの問題が解決する頃にはもしかしたらヘズはおじいさんかも知れない。それでも互いに励みになると思ってライラは約束した。


 城から出て暫く歩くと、木々の間から馬の嘶きが聞こえる。開けていく未来を象徴するかのように、白い馬が二人の前に現れた。


「ミエリッキ?」


 ヘズが呼びかけると、白馬は主の無事を喜ぶかのように鼻先を摺り寄せた。






「さてと、ラッリ。二人が出かけている間にお前の言い分を聞いておこうか。王族であるヘズが学んでいない歴史をどうしてお前が知っている?ライラの弟に子供がいないと断言してただろう?」

「聞いていたのですか。ペルケレ殿に隠し事は出来ませんね。……私もすっかり忘れていたのですがライラさんの話を聞いて思い出しました。これから話す内容は内密にお願いします」


 ライラの母と弟、フォレスタリアの最後の王妃と王子が頼ったのはラッリの先祖だ。二人は忠臣の元に身を寄せて国家の立て直しを図るつもりだった。周囲の協力を得て王妃は再婚し王子は即位をして王となった。王は在位数年で病死し、二人とも子供を残さなかったのでラッリにもヘズにも血のつながりは無い。


 その後、新たに建てられた王はフォレスタリアの貴族たちが話し合って決めた人物で、彼は国名を変えた。


 森となって失われてしまった国土を取り戻すことはできない。王都から一気に人が流れた森の周囲では度々衝突が繰り返され、人々は不満を口にするようになった。

 それに乗じてライラ自身に手を出せなかった騎士団長が鬱憤を晴らすために、森の外では騎士団を中心にした魔術師狩りが行われた。

 ライラに言われた通り、民を守るためとの名目を掲げながら。


 始めこそは生活に必要な魔術師を減らすなと擁護する者も多かったのだが、百年も経って人々からフォレスタリアの記憶が消えた頃、爆発的に盛んになった。国の興亡も何度か繰り返されてヒーシ国が興り、魔術を扱えるのは王族のみとなった。


「ライラ殿が生きていた時代から他の国と比べて我が国の文明は衰退しています。リンルの実だって世界規模で見れば常時栽培できる技術だってあるらしいのに」

「そんなのはライラと俺の知ったこっちゃねぇ」

「他国から攻められたら森ごと滅びるかもしれないんですよ。石どころかライラ殿だって危ない」


 ペルケレは、探るようにラッリを見た。へらへら笑っているラッリは悪魔のペルケレにも心を掴ませない。それがほんの少しだけペルケレの癇に障る。


「お前は、何を期待している?」

「もしもペルケレ殿が本当に悪魔なら、クレルヴォの暗殺をお願いできませんか。術者が死ねば、呪いは解けますよね」

「―――主たちが何とか血を流さないよう努力してるのに、裏切ることは出来ない」

「ですよねぇ。はぁ、もう誰でも良いですからこの状況を覆してほしいですよ」

「それについては、同意する」


 ペルケレはライラを、ラッリはヘズを思って深々とため息をついた。

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