対話

 ライラに見送られながら、ヘズは愛馬ミエリッキと、ラッリは自分が用意した馬と共にヒーシ国の王城へと戻っていた。堂々と正面から入り、いつでも逃走できるように馬は厩舎に入れずに庭につないで兵に見張らせる。余分な攻撃を受けぬよう、ラッリの腕につかまって目の見えないふりをしながら城の中を歩いた。

 意識せず見ていた五年前よりも、いろいろなものが見えてくる。


 ヘズの生存を知って顔をしかめる者、安堵した顔をする者。名も知らぬ兵士や侍女に思ったよりも味方が多いことに内心驚きながら進んだ。


 ライラから受け取った護符を胸の辺りに忍ばせ、その上から手を当てて謁見の間で国王とクレルヴォを待つ。遠くにいるのに見えない力に守られ、ヘズは勇気づけられた。

 警備の衛兵以外にも、いくつか気配を感じる。斜め後ろで控えているラッリも神経を尖らせ、腰に佩いた剣を使うことにならぬように願っていた。


「ヘズ、生きていたのか」


 入室するなり発せられた、生存を喜ぶでもなく驚くでもなくただ淡々とした声は、国王のものだった。


 久々に目が見えるようになって見た国王とクレルヴォの顔は、老化が理由だけでなく環境によって歪んで見えた。ヘズにとって憎むべきはクレルヴォではなく、クレルヴォを悪い道へと進ませるイルマリネンや周囲の者たちなのだとばかり思っている。

 自分がそばを離れてみて、やはり彼らは王族に悪影響しか及ぼさないのだと確信した。


「ただいま、戻りました。父上、兄上、お変わりありませ―――」

「どうして戻ったのだ。せっかく城から目障りなお前が消えて清々していたのに」


 挨拶の言葉さえヘズに言わせず、遮ったのはクレルヴォだった。こちらも淡々とした口調で、だからこそ言葉の裏に隠されたものをヘズは必死に見つけようとした。

 ―――王族とは感情を隠す生き物だ。自分が生きていたと安堵する心であってほしい。


 対話している者がどのような印象を受けるのかも、前と違った視点で見られた。

 外に出てライラに会わなければヘズはクレルヴォと同じように居丈高な振る舞いを続けていた。


「呪詛を解いていただきたい。そうすれば私は王位継承権を放棄し、この城から出て行きます。二度と戻らないと約束します」


 継承権が無くとも王族または貴族として活動できると思っているヘズは、遠くからクレルヴォを支えるつもりだった。城の外の有力貴族を味方に付け、産業を活性化させたりとできることはたくさんある。

 目が見えないはずなのに真っ直ぐ見つめるヘズに気付かず、二人は嘲笑った。


「ヘズ、イルマリネン達に狙われぬようにクレルヴォが情けで視力を奪う呪いを掛けた、とでも思ったか」

「違うのですか?」

「お前はどこまで馬鹿なんだ。殺されなければ分からぬか。馬鹿は死なねば治らないと言うからな」


 そもそも会話をあまりしなかったヘズがここまで親兄弟に馬鹿にされるのは初めてで、怒りよりも信じられないとの気持ちが強かった。

 きっと、この言葉もイルマリネンによって用意されたもので、本心では違うと、心のどこかで信じていた。兄弟で争わせる父にも何かしら考えがあってそうさせているのだと。


「……ならば、兄上。私を死に至らしめる呪いを掛けなかったのは何故ですか」


 軽いめまいや吐き気に襲われながらも、辛うじて聞けた。兄弟の情にそれでも縋り付こうとするヘズに、クレルヴォは「ああ、それか」とこともなげに言った。


「母上を殺した術を覚えているか?あれはもともとお前に掛けるつもりだった。外の国の護符で母上はお前の身代わりになってしまったが、それ以来、相手が護符を持つのを警戒して死の呪いは掛けていないのだ」

「そ……んな……」

「それに視力さえ奪えばお前など怖くないからな」


 自分のせいで母親は死んだと言外に示されて、いや、それよりも兄が意図的に殺そうとしたと言われてヘズは目を見開いた。


「父上もお前を恨んでいる。父や私の様に政治に生かせる魔術ならともかく、相手を確実に殺してしまうお前の魔術では何の役にも立たない」

「魔術以外にだって役に立って見せます!魔術が全てではないでしょう」

「何を言う。魔術を扱えるからこそ、一族が王族であれるのだ。私が王として君臨できるのだ」


 クレルヴォに反論したが、答えたのは国王だった。王族だから魔術が扱えるのではなく、魔術が扱えるから王族で居られる。それは魔術師狩りを収束させるための約定に記され、それによってヒーシ国が成り立った。

 その事実は代々王位を継ぐ者と古くからある貴族に秘匿され、表向きはどこにでもあるおとぎ話を当てがわれているのでヘズはそれを知らない。


「国を治めるのに魔術など必要ないと思います。知識や努力や経験、求心力、それから―――」

「ヘズ、魔術を扱えなくてもいいのなら王になりたい奴はたくさんいる。認められないんだよ、綺麗ごとは」


 わがままを言う子供に言い聞かせるように、クレルヴォは言った。次期王として幼い頃より父親から聞いているクレルヴォは、ヘズの能天気な考え方すら憎んだ。何も知らず、真っ直ぐにクレルヴォを慕うヘズを恨んだ。


 ヘズの様に使い勝手の悪い能力ならば、ヘズの言うような政治だって出来たかもしれない。必ず攻撃が当たり殺してしまう魔術は、戦時には重宝しただろうが平時には何の意味もなさない。

 対してクレルヴォの呪詛は、術者の望む道へ進むように相手を誘導することができる。


「お前に恨みを買っていると自覚をしている者は、この城にたくさんいる。お前が死なない限り、我らに平穏は無い」


 我ら。国王とクレルヴォをも含む言葉。

 ヘズが子供の頃から何度振り払われても親愛の情を向けていたクレルヴォは、歪な笑みを浮かべていた。その狂気の中にほんの少し、仲の良かった幼い頃のクレルヴォを見た気がして「兄上」と小さく呼んだ。

 伸ばした手は、最後にもう一度、振り払われた。


「ヘズ、頼む。死んでくれ」


 その言葉を合図に姿を現した暗殺者たち。ヘズは魔術を使うために魔力を剣に注ぎ、控えていたラッリと共に応戦をする。

 攻撃が絶対に当たり、そして必ず相手を殺す魔術。ライラに嘘をついたのは嫌われたくない一心からだった。ヘズは手数を多くし、ラッリはヘズの攻撃の邪魔にならないよう補助に徹する。

 ヘズの動きから見えていると気づいた国王とクレルヴォは、焦り始めた。


「何故見えているっ!クレルヴォ、ヘズは何故っ」

「分かりません。紋様は消えていないのに」


 首元を隠しているのでライラの魔術の痕跡を見ることが出来ず混乱した。クレルヴォの術が無効化されたのは初めてで、魔術に頼り切って思いのままに人を動かしてきた行動が根底から覆される事態に恐怖を覚えた。

 クレルヴォは、自分の立場を脅かすヘズはやはり死ぬべきだったのだと確信する。だがどうにもできず、ただ立ち尽くすだけだった。



「腕を上げましたね、殿下。リハビリもしてないのに」

「私は彼女の元へ戻らねばならない。彼女を捨てた魔術師と同じ轍を踏みたくはないんだ。というわけで父上、兄上」


 あっという間に暗殺者たちの屍を築いたヘズは、国王とクレルヴォを見た。二人は「ひっ」とそろって短い悲鳴を上げる。


「こ、殺すのか、ヘズ。私たちを」

「いいえ。泣かせたくない人が出来たので城を出ます。出来の悪い第二王子は死んだものとして扱ってください。今までお世話になりました―――ラッリ、行くぞ」

「はいはい」


 城を出たヘズ達の元へ、遅れて情報を得たイルマリネン達の暗殺者が放たれた。




「ライラ、ヘズは帰ってくると思うか」

「うまくいったら、帰ってくる必要はないわね。お兄さんと仲直り出来たらそちらの方が良いもの」

「殺し屋まで送ってくる奴らがいるのに、そう簡単にいくもんかねぇ」


 日が沈む少し前。目印になるようランタンを掲げながら、ライラは家の外でヘズ達を待っていた。出迎えなくては結界で家を見る事すらできないからだ。

 ヘズに掛けた術に魔力を注ぐのは明日の朝でも構わないのだが、何となく今日中に帰ってくるような気がしてならない。

 最悪の事態に備えてペルケレも一緒に待っている。


「待つしかできないって、相変わらず嫌なものね」

「戻ってくるだろ。でなくとも連絡一つ寄こさないような奴じゃない」


 帰ってくるか聞いたすぐそばから戻ってくると確信しているペルケレに、ライラは思わずくすりと笑いながらその通りだと頷いた。


 ライラには崇める神などいないが、ただひたすら祈った。五百年も同じ暮らしを続け、それにライラが想像するものとは別の形で終止符を打ってくれた人。

 ―――たとえこの先また同じ暮らしに戻ろうとも、あともう少しだけ。和解できたのならそれでもいい。

 ライラはどちらにせよ、無事であることを両手を組んで願った。


 宵の口に涼やかな風が吹き始め、遠くでも相手を感じられるペルケレが森に入ってきた気配に気づいた。


「お、ヘズ達が帰ってきた」

「追手は?」

「二、いや三か。馬に乗って矢を放ってる。どう見たって襲われてるな」

「迎撃をお願い」

「了解」


 元雷神のペルケレが遠隔攻撃で暗殺者だけを狙って上空から雷を落とした。やがて矢を受けてけがをしているヘズとラッリが、馬に乗ったままライラの目の前までやって来た。


「お帰りなさい。そのまま結界の中に入るわよ」


 ライラはけがの様子を見たいとはやる心を抑え、二人の乗った馬を誘導した。結界内に入るなり、二人は転げ落ちるようにして馬から降りる。


「ヘズ!」

「ダメだった。兄にも父にもそんなに恨まれているとは思わなかった。すまん、ライラ。せっかくの術が無駄に―――」


 泣きながらヘズは膝から崩れ落ちて意識を失った。ライラは慌てて駆け寄り、ヘズを宙に浮かせる。


「ペルケレは暗殺者の後始末を」

「了解。絶対助けろよ」


 ペルケレは一言だけ残すと暗闇へと駆けていった。


 ヘズを家の中へ運び込むとライラは魔術で傷口の浄化を行い、タオルを噛ませて背中に刺さっていた矢を慎重に抜いた。体の正面にけがはなく、けがは全て後ろにあった。


「死なせるもんですか。せっかくここまで戻ってきてくれたのに」


強い魔術を使いながら治癒を行い、懐を探って持たせた護符を確認した。護符はクレルヴォの新たな呪詛と死に至る攻撃を防ぐ物で、未だに発動中であることを不審に思いヘズの体を確認した。

 熱を帯び苦しそうな呼吸をしていることから毒と判断し、慌てて解毒を行う。


「毒を受けたのね。護符を持たせて良かった。ラッリさんも見せて」


 脂汗を流しながら立っているラッリを座らせて、同じように魔術を掛けていく。


「殿…下は、大丈…夫なのですか」

「ええ、もう大丈夫。あなたの方が傷が多かったくらい。護符を見せて」


 ラッリはたどたどしい手つきで取り出したところで、気を失った。安心しきったように穏やかな顔をしていたので、嫌な予感がして慌てて脈を測る。規則正しく力強い脈があるのを確認して、ライラは「紛らわしい」とぼやいた。


 ヘズの元へと戻り、もう一度様子を確認する。呼吸はすーっと穏やかなものに変わり、眉間のしわも消えていた。

 汗で額にへばり付いた前髪を、労わる様にそっと撫でてかき分ける。顔にある赤い蝶の紋様は消えていなかったことから交渉は決裂に終わったと推測した。

 それでも無事に帰ってきてくれたので、これからいくらでも探すことは出来る。


 二度と帰ってこなかった婚約者と違う。流れる時間の差を今だけは忘れようと思いながら、ライラはヘズの頬に口づけた。


「お疲れ様。今はゆっくりおやすみなさい」

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