破壊

 朝が来てライラが交渉の様子を聞こうとしてもヘズは問いかけにどこか上の空で、経緯をラッリから聞くより他になかった。


「そう……ヘズはお兄さんを慕っているのに残念ね」

「相当落ち込んでますね、あれは。ライラ殿が慰めて差し上げて下さい」


 食欲がなくなる気配もなく、朝食はもそもそとゆっくりだがしっかり食べた。体自体はライラの魔術で回復したが、心まで治す魔術はない。

 時折思い出しては、アイスブルーの瞳から一筋涙を流す。あまりに綺麗でライラは一瞬息を飲んだが、それもずっとしくしくうじうじと続くと冷めた。


 首元に施した魔術に魔力を注ぎ終わり、ライラはそのままヘズの頬を両手で包み込んで数センチほどの距離まで近づいた。それまでぼーっとしていたヘズは目を瞬かせると、状況を把握して顔じゅうを赤く染める。


「ヘズは、呪詛が解けたら私を助けてくれるのではなかったの?」

「ライラ、近っ……っていうかこれでは生殺しだ」

「簡単に行かないのは行く前からわかっていたでしょう。そうやってずっと落ち込んで何か解決できるの」

「わかってるから離してくれ、頼む」

「元気でた?」

「出た、出たからするかしないかどちらかにしてくれ!」

「あら、何かされるつもりだったの?」


 ライラにがっちりと固定されて近づくことも遠ざかることも出来ないヘズは悲鳴を上げた。くすりと笑ってライラはヘズから体ごと離れる。

 ヘズは自分を落ち着かせるために顔を両手で覆った。


 離れて見ていたラッリとペルケレがにやにやしながら茶化す。


「やーなんだか見てるこっちがどきどきしますねー」

「ようやく魔女っぽくなってきたな。なるほどーヘズ限定かー」

「ペルケレったらうるさい。日課をこなしに行くわよ」

「へーい。じゃ、ちょっと行ってくらぁ」


 ペルケレを連れだって古城へと赴くライラは、昨日ヘズを待っていた時よりも晴れやかな顔をしていた。


「なんか、ご機嫌だな?」

「取り敢えずでもなんでも、生きて戻ってくれたのを喜ぶのはそんなにおかしいかしら?」

「いいや。良かったな」


 ライラは変わった。ヘズが生きている間だけでも幸せになるようにペルケレは願う。




 ライラが家を出て行った後、落ち着いたヘズは真面目な顔でラッリに話しかけた。


「ラッリはあの石を見てどう思った?」

「禍々しいなとは思いましたけれど、どうしたんです?」

「壊そうと思う」


 唖然としたラッリをヘズは気にせず言葉を続けた。


「私が使える魔術は、攻撃が当たりさえすれば相手の息の根を確実に止める魔術だ。あの石を無効化することも可能だと思うんだ」

「ちょ、ちょっと待ってください。あれは神の遺物ですよ。壊すなんて……何が起こるか……」


 森の魔女を探し出して呪いを解いてもらうとヘズが言い出した時にもラッリは混乱した。おとぎ話にすがる自分の主は、家族の仕打ちに耐えきれずついに狂ってしまったのかとも思った。

 ところが今の状況だけを見れば呪い自体は解けていないものの、視力を取り戻し魔術も扱えている。結果は散々だったが家族との話し合いも出来た。

 こうと決めたら必ずやり遂げるヘズに着いてきたのはラッリだ。とは言え神に弓を引くまでに大事になるとは予想もしなかったが。

 ラッリは続きを話すようにヘズに促した。


「次の手段として外の国で呪いを解く方法を探すつもりなのは変わっていない。だが使いをやるにしても公としては出来ないし、あてにできるのはそなたくらいなものだ。寧ろ私自身が行ってしまった方が早い」

「それは理解できますが、ライラ殿の術の期限は過ぎてしまいますよね」


 魔術書を持って帰ったところで扱えるのはライラ一人。そのライラが扱えなかったら全くの無意味だ。魔術師を連れて帰るなら、施術を受けるヘズが外の国へ出た方が早い。

 その場合は一日、二日で帰ってこられる距離ではない。目の見えないヘズを守りながらラッリは探さなければならない。


「だから、その前にライラの枷を解いておきたい。目が見えるようになった後にライラの問題をどうにかするつもりだったが、順番が前後しただけだ。何年も待たせることが無いようにな。石がなくなればライラは自由になる。どこへでも行ける。どこへ行くかはライラの自由だが……」

「求婚でもしてついて来てもらうつもりですか。ライラ殿は不老長寿なのに」


 ヘズはほんのり頬を赤く染めながら目を逸らし、指先を弄んだ。


「し、城にはもう戻れないだろうし、これだけ殺されそうになっているのなら私が誰を選んでもいいではないか」

「殿下がよぼよぼのお爺さんになってもライラ殿は若々しいままなんですよ。浮気される可能性だって格段に上がりますね」

「かっこいい爺さんになるよう私が努力すればいいだけの事だ。うん、そうだ、その通り」


 その辺りを悩んでいたヘズは自分で出した答えに納得して頷いた。話題が逸れていたことに気づき、ヘズは慌てて姿勢を正す。ライラたちが帰ってくる前に話し終らなければならない。

 意思を固めるように、ヘズは拳を握った。


「最悪、石を壊した途端に死ぬことも覚悟している。でもこのままライラだけが責を負い続けるのは山脈の内側に住む人間として見過ごせないんだ」

「分かってます。私だってそれには同意します。放っておいていい問題ではありません。ただ―――」


 ラッリの顔からすっと笑みが抜ける。


「やるなら私がやります。別に殿下の魔術が無くともあの石を壊すことは出来るでしょう」


 普段へらへらと笑っている分、真面目な表情の時は忠実な臣下としての態度なので茶化してはいけないと知っているが、ヘズはわざとおどけてそっぽを向いた。


「やだ」

「やだってそんな、子供みたいな」

「約束したのは私だ。それに……これは国を捨てるかもしれない王族として矜持を持ちたいと言う最後の願いだ。ライラへの愛情から来る決意だ。何だ、お前も好きなのか」

「いえ、横恋慕するつもりはありません。そこまで言うのであればお譲りします」


 ヘズはほっとした。ラッリが力づくで止めようとしたらヘズには反撃できる術が無い。たとえでなく本当にラッリの屍を超えて行かねばならない。それだけはどうしても避けたかった。


「ライラ殿に話さなくてもいいのですか?」

「絶対に止められる。話して私が死んだら止めれば良かったとライラは後悔するだろう。話さなければ、暗殺者が森に入り込んでいたとお前が嘘をつけるからな」

「私は後悔しても構わないのですか」

「状況を話す人間が必要だからな。ライラ達が帰ってきたら入れ替わりで城に行こう」

「え、きょ、今日ですか。遺書を残したりとかは」

「しない」


 話をしている内にライラたちが帰ってきた。いつもと同じく出迎えるのもこれが最後かもしれないと思いながら、ヘズは声をかけた。


「お帰り。ラッリと散歩に行きたいんだが」

「二人とも病み上がりなのに?」

「次の殺し屋が来る前に少し森を歩いておきたいんですよ。結構体がなまっていたみたいで」


 ラッリが助け舟を出すと、ライラは不思議そうな顔をする。ヘズはこれからいたずらをする子供の様な感覚に陥った。ここで躓いてしまってはせっかくの決心が無駄になってしまう。今朝の様にして問いただされてしまったら、話さないでいられる自信が無い。

 何とか抜け出して城まで行かなくてはと、ヘズが別の手立てを考え始めるとライラは頷いた。


「いいわよ。どのくらいに迎えに出ればいいのかしら?」

「あ、ああ結界か。一時間ほど、かな」

「分かったわ。いってらっしゃい」

「ああ、ライラ、―――行ってくる」


 ヘズはわずかな時間だがペルケレを思う存分構い倒し、扉が閉じるその瞬間までライラの姿を目に焼き付けるようにして出て行った。

 その一方でライラも、悟りを開いたような笑みを浮かべていたヘズに予感めいたものを感じてぽつりとつぶやく。


「なんか、変ね……?」



「良かったんですか、もっとしっかりお別れしなくて」

「絶対に死ぬとは限らないだろう?石だけ壊してそのまま何事もなく帰って来られるかもしれないし」


 出がけに家の外につないだミエリッキにも軽く触り、ヘズ達は森の奥へと歩いている。


「変に大げさな別れ方をしても、帰った時に恥ずかしいだけだろう。一時間後には戻るつもりなんだから」

「それは、そうですけれど」


 別れを惜しむ気持ちに偽りはないが、父や兄が本格的に動き出す前に片を付けたかった。ヘズを殺すだけならまだしもライラに手をかけられるのは我慢できない。ライラが死んで森が動き出す形で、必死に頑張って来たライラの努力を無駄にする様な事だけはしたくなかった。


「ラッリはここで」

「ええ、気を付けて下さい」


 謁見の間の片隅の崩れた壁の元、直ぐに外へ出られる場所で待機を命じた。外からの侵入者に対抗する為でもあるが、石を切った際にラッリに被害を及ぼさないようにする為でもある。


 玉座の前に浮いた石は相変わらず緑色の光を湛えている。石の周りには魔力を注がれたばかりの光の帯があり、ライラ特有の優しい魔力を発していた。ラッリと違って禍々しいと思わないのは、ヘズがライラの魔力を感じられるからだった。


 ヘズは正面に立って石を見上げる。この石がライラの国を滅ぼし王女の位から退け、終わる事の無い苦難の道を選ばせた。

 毎日毎日、ライラは何を思いながらこの石を見ていたのかと考えると、苦しくなった。自分にはそんな真似はとてもできない。同時に、身内で争いばかりしている現代の王家がとても恥ずかしくなる。


 ライラを開放するために、そして自分の全てを断ち切るためにもここで終わらせなければならない。


 ヘズは、剣にゆっくりと魔力を流し込んでから気持ちを落ち着かせるために深呼吸をした。まるで一騎打ちでも始めるかのような心持ちだ。敵は、神の力が宿る石。切れば、何が起こるか分からない。


「他人の咎を受けて民衆を守るためにあり続ける。自分の幸せなど考えもせず、誰かの幸せを真っ先に考える。俺が呪詛を受けた五年間もかなり苦しんだが、ライラはその百倍を堪えてきた。彼女は、魔女などではない」


 魔石は言葉を発しないが、緑色の光は意思があるかのように揺らめいている。


「五百年、ライラを苦しめてきた落とし前をつけさせてもらう」


 勢いをつけて、ヘズは魔石に切りかかった。 

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