尾行

 毎朝ライラとペルケレがどこかへ出かけるのを、ヘズは黙認していた。木の実などの植物を持ち帰るので料理や調合などに必要な採取だとばかり思っていたが、雨の日にも出かけたことがあり不思議に思っていた。

 目の見えない自分が手伝いをすると言い出すのもおかしな話ではあるし、後を勝手に追うのもためらわれる。もとよりそのような危険を冒すつもりも無い。

 だが、最近は手足となり目の代わりともなるラッリと言う、疑問を解消する手段を得ることが出来た。

 女性の秘密を暴くのは気が引けるが、暗殺者が出てきた以上、心配しているのも本心だ。


 朝食を取った後、ライラとペルケレはいつも通りに出かける。


「行ってきます」

「ああ」

「気を付けて下さいね」


 留守番組もいつもと何ら変わりなく見送り、窓から姿が見えなくなったとラッリが報告したところでヘズは指示を出す。


「ラッリ、頼む」

「お任せください」


 初めて森に入った時はライラたちに警戒心を抱かせない為にわざと足音を立てていたが、今は気配を殺して尾行を悟らせないようにしている。普段は便利な従者を演じているが、ラッリは影の者としての教育を受けた経験があった。

 領主の息子として生まれたラッリには片手では足りないほど兄が多く、家族仲は良かったが家を出て誰かに仕える道を余儀なくされた。それでも二人の王子の内どちらかを選ぶ自由を与えられたので、ラッリはヘズを選んだ。

 選んだ根拠はただの勘だが、今のところ後悔はしていない。兄の中にはクレルヴォ派に貴族として属している者もいたが、穏健派で対立するまでには至っておらず、家族仲に影響は出ていない。


 ヘズに仕えるには騎士より影の者の方が好都合だった。縛られるものが少なく、忠誠は国家や王族ではなく個人にのみ向けられる。何より偏見を持たないヘズは影を切り捨てる対象として扱わない。心酔するほどまでではないが、命を懸けられる程度に信頼はしていた。



 ラッリが追い始めて直ぐにペルケレは気付いたが、ライラに知らせることはしなかった。ライラは次の魔力回復薬を作るために必要な植物の採取場所を確認をしていて、周囲への配慮が疎かになっている。暗殺者が来たばかりだと言うのに、考え事をしているせいかペルケレとの会話もどこか上の空だ。


「なぁ、たまには魚が食いたい」

「んー?そうねー」

「この前食べたばっかりだぞ。またなのってツッコまねぇのか」

「釣るのが面倒だわ」

「なんか会話が噛み合わねェな……」


 ラッリは多少の寄り道をしながらも森の奥深くへ真っ直ぐ進んでいくライラたちを訝しむ。

 現代では鎮守の森と呼ばれていて神が住まう場所で誰も入れないはずなのに、何故悪魔と魔女が踏み込めるのか。ヘズは気を許しているようだが本当はとんでもなく悪い者たちではないのか。

 そう思うと、森特有の湿気さえラッリには嫌なものに感じられた。


 恩人たちを疑いたくはない。疑いたくはないがヘズを守れなくなっては意味が無い。


 ラッリはためらいながらも後を追っていくと、うねるように木が纏わりついている崩れ落ちそうな城が視界に飛び込んできた。石の積み方や装飾は故郷の古い建物に似ているので、ラッリは五百年以上前のものと推測する。ただしその辺りの記録は故郷にも残っていて、ここが神話の時代のものではなく、語り継がれてきた鎮守の森などではないと理解し、驚いた。


 新しく興った国には残されていない歴史の書物の中で、五百年ほど前にこの地域に存在した国は確か『フォレスタリア』と言ったはずだ。詳細を覚えていないのでどのようにして滅んだのかは知らないが、ヘズから聞いたライラの年齢とも合う。


 もしもその滅亡にライラたちが関わっていたら。そんな恐ろしい考えがラッリの頭をよぎる。

 動揺したラッリは尾行の対象を見失っていたが、辺りを見回すと木々の間を縫って城の入り口から入っていく姿が見えた。


 ―――まさか、魔王の城なんてことは……ないか。そんなよその国のおとぎ話。


 ふと浮かんだ考えにかぶりを振って、城の中へと入る。秘密を知られたライラがいきなり攻撃するとも思えないが、後を追うラッリは殊更慎重に後を追った。


 保存状態の悪い城の中は訓練を受けたラッリでも歩きにくく、音を立てず姿を隠しつつ、更に見失わないようにするのには骨が折れた。それでもライラの目的地である玉座の間にたどり着き、開いたままの扉の隙間から中の様子を窺う。


 玉座の前には禍々しい緑色の光を放つ石が宙に浮いている。その周りに浮かぶ光の帯が、ライラが何かをすることで輝きを強くするのが見えた。


 ―――あれをライラ殿は封印しているのか?それとも力をため込んでいるのか。


 魔王復活の文字が頭から抜けきらないラッリは、魔術を全く知らない事もあって光の帯の文字を読み取れないでいた。極めて簡素な魔術なので、見るものが見ればすぐに分かるものだ。

 ライラから光の帯へと魔力が移動しているのも、ラッリには感じられなかった。


「よし、今日の分は終わり」


 作業が終わり倒れた石の柱に腰掛けて、ぼうっと石を見ているライラ。その姿がどこか寂しげに見えたラッリは、声をかけず耳を澄ませた。

 しばらくの間、静寂が訪れる。ラッリが古城ごと周囲が時を止めてしまっているような錯覚に陥りそうになった時、ライラが静かに口を開いた。


「ペルケレ、私ね。強くなれたんだと思ってた。石を封じる為に自分を犠牲にして国を守って、皆が出来なかったことを私一人でこなしているんだって。王族としての責任だってきちんと果たせているんだって思っていたわ」


 ライラの言葉をペルケレは傍らで大人しく聞いている。


「ヘズに会って、それが違うと分かったの。王女だった頃に描いてた幸せと、少し形は違うけれど似たような暮らしに触れて。こうして毎日の日課を放棄するつもりはないけれど、もう少し欲張ってもいいと思ったの」

「昨日と同じことを言うが、だったら望めばいい。魔術を使うのが嫌なら誘惑でも何でもして幸福を手に入れろ。見えるようにしてやったヘズに頼んで、死ぬまで一緒にあの家で住めばいい。一緒にいられるんだったら、相手だけが老けていくくらい何でも無いだろ」


 陰でこっそり聞いているラッリは戦々恐々とした。やはり、魔女と悪魔の会話だ。ヘズが魔の手に絡め取られる前に脱出するべきだと判断されたが、次のライラの一言で踏みとどまる。


「……出来ない。それは、私の望むものではないのよ」

「ヘズが居たいって言ってもか?」

「年長者として、一度は拒絶するべきだと思ってる。自分のするべきことを全部放ってこの森に留まるとしたら、それは多分私の好きなヘズではないわね。行く当てがないなら受け入れてあげるけど」


 上から目線になってしまうのは仕方がない。ライラはこれ以上犠牲にできるものが無いのだから。ペルケレがふっと呆れたようにため息をつく。


「ったく、小難しく考えすぎなんだよ、ライラは。好きなら好き。それでいいじゃねーか。あいつは多分、悪魔の俺から見ても裏切るようなまねはしねーぞ」

「ふふっ、面倒臭い女でごめんなさい」


 ライラは笑いながら、もう一度石を見上げる。見上げながら、いろいろなものに思いを馳せる。ヘズの顔に施された呪詛の解読をして新たな術を造り出す方法と、手持ちの魔術から何とか探し出すのとどちらが早いのか。ライラはただ確立された術式を教わって来ただけなので、前者を選ぶにもまず何をしていいのか分からない。となると残りは後者だ。

 使える魔術の中で、完璧なものではなくとも一時的に見えるようにする方法がないかどうか。


 一時的、という単語と目の前の石が結びついて、ライラはあることを思いついた。


「一つ、方法を見つけたわ。この石に掛けているものをヘズの呪いに掛けるの」


 ペルケレに方法を告げたのはそれが不可能ではないか確認のためだ。反対も否定もされなかったのでそのまま続けた。


「成功すれば一時的にでも見えるようになって、今の…えっとヒーシ国だったかしら。お城がどこにあるのか知らないけれど、山脈の内側にあるのなら早馬で移動すれば二日以内には帰れると思うの。私が掛けた術の効果が消えても命に係わる危険は無いし、また見えなくなるだけだから試してみる価値はあるわね」

「毎日行き来させるつもりか?」

「もしもヘズがそれを願うのなら、支援は惜しまない。お兄さんと関係を改善させるのか縁を切るのかはヘズが選ぶことだわ。出来るところまでは手伝うつもり」


 まずはもう一度魔力回復薬を作らなければならない。リンルの実の瓶詰が手に入るまで時間がかかるが、その後は直ぐに取り掛かろう。

 自分の動くべき方向性が見えてきたライラは腰を上げた。


 ライラたちよりも先にその場を離れたラッリは、ヘズに報告するために情報を整理しながら森の中を歩いていた。事実をきっちり正確に主に伝えるには、悪魔だの魔女だのと言う先入観を捨てなければならない。


 森の中には五百年前の城が建っていて、王族だったライラは玉座の石の周りに何か魔術を施していた。今日の分と言っていたので毎日あの場所へ行かねばならない様だ。

 もしかして五百年もずっと、同じことを続けていたのだろうか。

 ラッリはライラが困っていると言う話を思い出した。あの石があるがために森から離れられないのだとしたら、辻褄が合う。


 五百年も掛けて魔王復活を目論むような魔女には見えない。寧ろ封じていると思った方が良さそうだ。それならば国を挙げて封じる手立てを提供する事だって出来るかもしれない。


 話してもらうより他になさそうだ。


 魔女や悪魔など、この時代ではすでにおとぎ話になっていたはずの存在を身近に感じてしまっているせいで、ラッリは石イコール魔王だと決めつけてしまっている。魔王を倒すには勇者が必要で、勇者には呪術を扱うクレルヴォではなくヘズこそがふさわしいと、ラッリは先走った考えにとらわれる。考えながら歩いていたので、正しい道順を歩いていたにも関わらず不安になってしまっていた。


「あれ……この辺りだったはずなんだけどな」


 見慣れた場所まで来たと思ったのに、いつまでたっても森の家が見つからない。ライラが居なければ入れない結界の存在をすっかり忘れていたラッリは、ヘズから事情を聴いたライラが迎えに来るまで迷子になっていた。

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