幸福
ライラたちが重い足取りで家に帰ると、何とも言えない良い匂いがしていた。ラッリの作る料理から漂うもので、ライラとペルケレの二人暮らしでは経験できなかったことだ。それだけでほんの少し沈んだ気持ちが回復していく。
「お帰り、ライラ。少し遅かったな」
「お帰りなさい。晩御飯もうできてますよ」
ヘズとラッリが出迎えるとライラは自分も綺麗な人間になったかと錯覚してしまう。そして、暗殺者を処分していなかったらこの平和が壊れていたのかもしれないと言う矛盾。結局手を汚したのはペルケレだったが、顛末を説明しなければならない。
―――ヘズの目が見えないからこそ、誠実で居たい。けれど、その思いを叶えるには汚れた自分も曝さなければならない。
隠して対処が遅れるのを恐れ、料理が用意され全員が席に着いたところで、ライラはぽつりと言った。
「帰り道、暗殺者に襲われたの」
早速食べ始めようとしていたヘズが動揺してカチャリとさじを置く。最近は一人で食べるのにも慣れ、余計な音を出さずになってきたにもかかわらず、である。
見えない目を見開いたヘズの口から出てきたのは、ライラを心配する言葉だった。
「けがはしなかったか?」
「大丈夫。戦うのはあまり得意ではないけれど、この時代の人たちは魔術にあまり耐性が無いようね。あっさりと無力化できたわ」
「そうか、良かった」
ほっとした顔で頷くヘズとは逆に、ラッリは後悔した。行き先は女性向けの服飾雑貨を取り扱うお店だと聞いていたので、遠慮をして付いて行かなかったのだ。
「私も一緒に行けば良かったかもしれません」
「ラッリさんを手掛かりに城の役人が探しに来ているらしいわ。そちらとは遭遇していないけれど、もしも会っていたら厄介な事になっていたのではないかしら?」
「それは、確かにまずいですね」
ラッリ一人ならヘズの捜索をしていると言えば済む。問題はライラが一緒にいた時だ。
薬を作りながら生活していると言えばいいのだが、もしも魔女だと少しでも疑われたのなら正義は向こう側にあると主張されて必要以上の捜索、或いは行き過ぎた暴力を振るわれるのがライラには予想出来た。暗殺者とは戦えば済むけれど、役人に手を上げれば討伐隊が組まれる可能性がある。兵士だけではなく、下手をすれば村人を含むような。
ライラは食事を始める。世間話でもするかのように暗殺者から得た情報を告げた。
「聞き出した情報によると、大臣のイルマリネンとやらの手先らしいわよ。あまり手練れと言う感じはしなかったわ」
「兄上の為を思って先走ったのか。でもどうしてこの場所が分かったんだ?」
「呪詛の相手が生きていれば、おおよその居場所は分かるそうよ」
ヘズの居場所が分かるのは呪詛魔術を扱えるクレルヴォだけ。その情報が派閥のトップにいるイルマリネンにもたらされて暗殺者が仕向けられた。
「兄上が……完全に私の敵に回ったのか……」
呪詛以外の攻撃手段、例えば毒や暗殺者などはクレルヴォの派閥の誰かが今までしてきたことと黙認してきた。ヘズは兄の力を削ぐつもりはなく、犯人を知っていても防衛を強化するだけで敵対する意思が無いと示してきた。
クレルヴォが目の見えなくなる呪詛をかけたのは、ヘズの一番恐れるべき魔術の力を削いで派閥の争いを止める為だと今でも思っている。同時に兄を支える手段も無くしてしまったが、それでもクレルヴォがヘズに敵対する意思があるとは信じがたかった。
「殿下、お気を確かに。まだ手練れを送られていないのなら話す余地はあります」
ラッリは慰めるが、ライラもペルケレも流石にそれを期待するのはどうかと思った。
「一つ不思議に思ったのだけれど、ヘズのご両親はどうされているの?」
「母上は、兄上の魔術の最初の犠牲者で他界している。父上は兄上を恐れてはいるが、きちんと政治に携わらせて学ばせている」
「ヘズが受けている仕打ちに対しては、なんて言っているの?」
「それは……」
言い淀むヘズの代わりにラッリが答える。
「黙認されておられます。山脈に守られているからと言って平和ボケしないようにと、寧ろ兄弟喧嘩を推奨されてます」
「身内で殺し合いしてるのにか。一番平和ボケしてんのはその国王じゃねぇのか」
「ペルケレ、言い過ぎ……でもないわね。共倒れしたら後継者がいなくなってしまうのに」
ヘズもラッリもペルケレやライラの意見に文句が言えず、黙々と料理を食べ続ける。
ふと、思い出したようにヘズが口を開いた。
「それで、その暗殺者はどうした?」
ついに、ライラの恐れていた質問が来てしまった。食べかけの一口をゴクリと飲み込み、どのように答えたものかと考えている。返事をしないライラを、まずラッリが手を止めて見やる。ライラはその視線を受けてペルケレを見るが、あれほどの大きなものを食べたにもかかわらずむしゃむしゃと呑気にご飯を食べていた。
そのやり取りが見えないヘズはもう一度聞いた。
「ライラ?もしかして逃がしたのか?」
「あ……」
殺害した非人道的な結果を責められる他に、逃がした結果を責められる可能性をライラは失念していた。先の事を考えるならば、そしてヘズが王族としての自覚があるならば後者を失態とするべきだ。一人の素性も知れぬ暗殺者の犠牲でここにいる者たちが助かる、うち一人は王子だ。
事前にライラの迷いを察していたペルケレが助け舟を出した。
「俺が跡形もなく丸呑みにしたから、大臣に細かい情報が知られることは無いだろう」
「丸呑み―――?」
「悪魔だと言っただろう。猫じゃない。暗殺が失敗したと向こうさんに知られるまでは平和に過ごせるんだ。感謝しろ」
悪魔をどのような存在として見ているのか、改めてヘズの反応を見る機会である。突き放したように言うペルケレの気持ちが痛い程ライラには理解できた。
悪魔として距離を置かれるのか、罵られ嫌悪されるのか。
「済まなかった、私のせいで命を奪わせて。……触ってもいいか?」
神妙な顔をして謝ったのちに、ヘズは微塵もぶれずに猫好きを発揮した。ペルケレはがっくりとうなだれた後、くわっと口を開けて怒りを露わにした。
「お前、今の話ちゃんと聞いてたのかっ!俺は人を殺したんだぞ」
「ああ、私を守ってくれたのだろう?有り難う」
ペルケレは口をはくはくとさせた後、口にしたい文句が見つからずに「か、勝手にしろ」と自らヘズの手元に寄っていた。恐れられるのに慣れているペルケレでも、ヘズに手のひらを返されるのは怖かったので安心して大人しく撫でられている。
一方のライラは呆然としていた。
人を殺すのはどんな理由があろうと禁忌で、それを犯すものは相当の報いを受けなければならない。森に一人で住むようになってから、そんな覚悟を自分にも相手にも求めて行動していたので、時折矛盾が生じていた。
ライラは生き続ける。ライラだけが生き続けてきた。報いの代償は、ライラの心。
ここ最近、心が弱くなっていると自覚していたライラは、ペルケレを受け入れあまつさえ礼まで言えるヘズを見る。
守った人間から礼を言われるよりも魔女や悪魔と言った立場なので罵られる方が多い。
偏見を持たずに礼を言えるヘズを、ライラは尊敬し始めていた。
夜になり二階の寝室で、ライラは五百年前と同じ栗色の髪をしている鏡の中の自分を見ていた。白髪は無いし、手入れを怠らないので十分に艶やかだ。
父を亡くしたのはライラが十五歳の時。ペルケレとの契約によって老化を止めたのは二十四歳。結婚して子供が一人二人いてもおかしく無い齢だった。
ライラの理想は、父と母。伴侶だけでなく子供たちにも愛情を注ぎ、自分の仕事もきっちりとして人生を楽しんでいたように思う。最期は悲劇になってしまったが、それでもライラが将来描きたいと思っていた『幸福の形』だった。
ヘズがここへ来たことで、失ってしまった『王女としての幸福』を取り戻せる気がしていた。皆に守られて自分は手を汚さず、大事に大事に扱われていた頃の自分。盲目ではあるが『王子様』であるヘズが、何かを変えてくれるのではという期待。それはあまりにも幼稚で一方的な妄想だ。
森と言う閉鎖的な空間で五百年と長い時を過ごし、俗世を離れた清らかな存在だとどこかで錯覚してしまっていた。
暗殺者が来たことで自分がとんでもなく汚れていると落ち込んでしまったが、ペルケレを受け入れたヘズに同じ王族としての自覚を促されているようだ。
大した努力もせず、無為に同じ毎日を過ごすだけで幸せになんてなれるわけがない。
「いつまでお姫様気分でいるのかしらね。五百年も生きてるお婆さんなのに」
「夢くらい見てもいいんじゃねェか。ライラが婆さんだったら俺なんかもっとよぼよぼの爺さんだ」
ペルケレの言い草にライラはふふっと笑みを浮かべた。
「ヘズはすごいね。悪魔であるペルケレも受け入れてしまうんだもの」
「……惚れたのか」
「まだはっきりと自信を持って言える気持ちではないけれど、誠実でありたいと思う反面、婚約破棄されていて良かったなんてずるい自分もいるの」
「だったら、ずっといてもらえば良いじゃねーか。呪いを解かないのも一つの手だし、魅了の魔法で虜にしちまったっていい。俺はヘズがずっとここに居たって構わないぞ。って言っても寿命で死んじまうまでだが」
ペルケレの誘惑に、ライラは首を横に振る。
呪いを解かなければ何かが起きない限り確かにヘズはずっとここにいる。意図的に解かないのは、ヘズに対して誠実ではない。きっとヘズの信頼だって失ってしまう。
『その人が不幸になる為に自分が捨てられたなんて思いたくない。自分よりも『不幸』を選ぶなんて、そんな理由で捨てられたくない。だから、幸せを願うのよ。今はどんなに憎くても』
なんてことをカッコつけて言ってしまった手前、醜く執着する自分をヘズに晒したくなかった。
「別れが前提になる悲しい恋かもしれないけれど、ヘズの呪いを解くのに迷いはないわ」
「そうか。まぁ、好きにしろ」
ペルケレは目を細めながら言った。
ヘズの目が見えるようになってこの家をでたら、出会いを無駄に悲劇にするのではなく、停滞を進展に、絶望を希望に替えられるようライラはもう一度石と向き合おうと思った。
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