実験その二
甘味なしの魔力回復薬が準備できたライラは薬の瓶をベッドわきのチェストに置き、城の図書室から持ち出した古びた本を開きながらヘズ達に説明する。
「ヘズに掛けられた呪いは、昔使われていた魔術を進化させたものらしいの。追加部分を解明するにはとてつもなく時間がかかるけれど、準備も整ったしまずは追加された分を考慮せずに解く方法を今回は試してみるわ」
「ああ、頼む」
「まずは、目を閉じて」
フォレスタリアよりも昔に使われていた古代語の呪文を、本を見ながらライラは唱えていく。普段は使わない言語であり学んだのは昔の事なのでたどたどしかったが、ヘズ達はライラの美しい声で奏でられる耳慣れない不思議な響きの言葉に聞き惚れていた。
古代語はペルケレがまだ神様だった頃、神の使う言葉として人間にもたらされた。言葉だけで魔術の要素がある。
ライラの細い指先から溢れる光で、ヘズの顔にある呪詛の紋様の付け加えられた部分を残して順番にたどっていく。多くの魔力と集中力を必要とし、ライラのこめかみから汗が一筋流れてぽとりと落ちた。
ライラが好んでつけている花の香りが、ヘズの鼻孔をくすぐる。魔術の光なので触れている感覚は無いはずなのに、こそばゆさを感じていた。衣擦れや息遣いまで聞こえ、抱きしめたい衝動を抑える為に今後の行動を考えていた。
―――見えるようになったら、まずは城に戻り兄上や父上と話し合って王位継承権を放棄しよう。場合によっては死んだものとして扱ってもらい……いや、もしかしたらここにいればそのように扱われるのではないのか。王族として無責任と言われるかもしれないが、仕事に支障が出るほど憎まれ阻害されているのだからいなくなった方が良いに決まっている。問題はライラが何と言うかだ。やはりきっちり片を付けてからの方がライラも安心できるかもしれない―――
ヘズにはとても長い時間のように思えたが、様子を見ていたペルケレが失敗と判断して首を振り、ラッリが気を利かせてお茶の用意を始める程度の時間だった。
終着点まで光をたどらせたが紋様は消えることなくヘズの顔に残されたまま。
「終わったけれどやっぱりダメね。魔力が吸い取られていくだけ。ヘズ、目を開いてみて。見えないでしょう?」
ヘズは目を開き何かを言おうとしたが、只短く「ああ」と返事をしただけだった。ライラはその瞳に落胆の色を見て申し訳ない気持ちになる。
調合時にペルケレに聞かれた問いはうまくごまかしてしまったが、面倒だと思う気持ちはいつの間にか「どうにかしてあげたい」に変わっていた。途中で放棄するのは癪に障るし、結果を出せるまで付き合うつもりになっている。
だからこそこの失敗は、ライラにとっても挫けるのに十分な結果だった。
「まあまあ、最初からそう簡単にうまくいきませんよ。こういう事はゆっくりじっくり焦らずに。お茶でもどうです?」
「有難う。でも魔力の回復を優先しないと」
ラッリに断りを入れてからライラは鼻をつまんで回復薬を一気に飲み干し、あまりの苦さに気を失いそうになって隣に座っているヘズにしがみ付いてしまった。口を押えながら思わずうう、と呻く。
「大丈夫か」
自分で作った薬である手前、とても苦いとは言えないライラ。しかもヘズには劇薬のような眼薬を処方し我慢しろと言った経緯がある。何とか飲み込んで息も絶え絶えに口から出てきた嘘は、ライラの中のプライドと乙女心が手を取りあった結果だった。
「ご…ごめんなさい。魔力不足よ。貧血のようなものだから少ししたら上へ移動するわ」
「謝らなくてもいい。無理を言っているのはこちらなのだから。本当に大丈夫なのか?」
心配する言葉をかけながらも再度のチャンスにヘズの両手はそろそろと動き、ライラを抱きしめにかかっている。ペルケレはライラの異変の種明かしをした。
「あー気にしなくていい。リンルのジャムをケチっただけだから。在庫を使えばいいのに」
「誰のせいだと思ってるの!」
思わず叫んでしまったライラに、ラッリが呼びかける。
「お茶、飲みますか?」
「いただくわっ!」
ライラは勢いよく立ち上がってラッリの元へ駆け寄り、ヘズの手は対象を失って空を切った。
「リンルのジャムを入れないだけでこんなに苦くなるとは思わなかったわ。レシピを習った時は魔力の為の薬に加えるのが本当に不思議だったけれど、れっきとした理由があったのね」
「今までに作った時は切羽詰まった時だったからな。急いでいる時こそレシピに忠実に、だったろ」
頷きながらライラがお茶を何度か流しこみ漸く口の中の苦さが緩和したころ、状況を理解できたヘズはライラの心を十分につかむ言葉を発した。
「ラッリの実家の領地は確かリンルの実の産地だったな。瓶詰も特産として製造しているのだったか」
「本当っ?」
「ええ、砂糖の価値には到底及びませんが王室に献上もしているほどで……ペルケレ殿に無断で上げてしまった手前もありますし、取り寄せましょうか?」
「お願いできるかしら?でも、足がついてしまいそうね」
ラッリがここに留まっていることが知られれば、自然とヘズに繋がってしまう。手紙のやり取りも商品を受け取るにしても偽名を使う必要があるが、果たしてうまくいくのだろうか。
「雑貨屋さんで取り置きしてもらってはどうでしょうか。注文の際に手紙も渡してもらえば、直接配達されるよりは安全だと思います」
「有難う!助かったわ。次の術をヘズに使うにしても、また苦い思いをするのはやっぱり大変だから」
ライラの声色が上機嫌になる。ヘズの為、と言われてラッリもヘズも感動していた。
「パンに塗ったり紅茶に入れたり、自分の為に使わないのか?」
「貴重なものだからお客さん優先で使うのよ。甘いものは好きだけど、価値が分かってしまった今ではもう昔みたいな贅沢は出来ないわ」
「昔?」
ヘズが聞き返すとライラはしまったと顔をしかめた。
「……独り言よ。今のは忘れて」
「それにしても進化させた術を扱うなんて、かなり優秀な魔術の使い手なのね。王族なのでしょう?誰か見当はついているの?」
「使ったのはクレルヴォ兄上だ」
はっきりきっぱり断定したヘズが、ライラは不思議で仕方ない。呪詛を掛けた犯人が特定できる方法は五百年前でも難しい術の部類に入った。それをヘズが持っているとは思えない。
「そんなに簡単に判別できるものなの?」
「王族にしか魔術が扱えないのは知っているな。王や王子に嫁いだ女性は魔術を扱える子供を産めるが、王女が他所へ嫁いでもどういうわけか子供に受け継がれることは無い。だから血筋と言うよりも王族だけなんだ。そして使える魔術は一人につき一つの系統のみだ」
ライラが五百年の時を生きていると知ったヘズは、どの知識が呪詛を解く手掛かりになるか分からない以上、魔術の現状を包み隠さず伝えた。知識の隔たりを失くせばライラの手助けになるかもしれないからだ。
「呪詛を扱える王族は今の所、兄上だけだ。私は兄を支える為に励んだと言うのに、それが却って兄上を追い詰めてしまったらしい。その隙を能力を利用したい連中に付け込まれ、兄上は狂ってしまわれた」
「逆に、呪いと言う忌避すべき能力を持つ者を王として立てるべきではないとの意見もございます」
ヘズが憂う部分をラッリが補足する。魔術能力の高さはヘズを遥かに凌ぐのに、呪詛と言う恐ろしげな能力はクレルヴォから求心力を奪う一因となってしまっていた。
「魔術を教える先生はいないの?」
「王族のみと言う特性である以上、教えられるのは王族のみとなる。それも系統が同じなら出来ることで、ほとんどは手探りで自分の物にしなければならない。兄上は……意図せず様々な生き物を犠牲にして……」
ヘズはそれっきり言葉を飲み込んだ。犠牲の中には人間も含まれているとライラは推測する。制御できない魔術ほど恐ろしいものは無い。本人にとっても周囲にとっても、いつ暴発するのか分からない怖さはライラも身に染みて分かっていた。それでも根気よく教えてくれる先生がいたからこそ学ぶことを止めなかったのだが。
ほんの少し嫌悪を抱いただけでも相手に何らかの障りが起こるのは、クレルヴォが心を閉ざし歪めるのに十分だった。
「ならば呪いを跳ね返すと言う方法は無理ね。いくらなんでもヘズのお兄様を殺したくないもの」
魔術の本をパラパラとめくりながらライラは言った。呪いを跳ね返した場合は術者に何倍にもなって返るので、視力だけではなく命に係わる可能性がある。
「ああ、出来ればその方法は選ばないでいてくれると助かる。どれだけ疎まれてもただ一人の兄弟だからな」
いくらクレルヴォよりも優秀と謳われても、兄より上に立つ道をヘズは絶対に選ばなかった。敵とみなして兄を攻撃しなかったヘズの意図をライラは汲む。自衛にしても復讐するにしても理由は十分すぎるほどなのに。
ライラは弟を思った。もしもあの夜、弟がライラと離れるのを嫌がったのなら、恨まれるのを承知のうえでクレルヴォと同じ行動を取ったかもしれない。何か軽い攻撃の魔術を使い、傷をつけて母親と逃げ延びる道を無理やり選ばせていたかもしれない。
犠牲になったライラと、母と共に生き延びた弟。釈然としない不公平さを感じながらも、殺したいと思うほどには憎めなかった。ペルケレにお人よしと言われてしまうのも仕方がない。
「命を奪う呪いをかけなかったのはお兄様のせめてもの優しさだと思うの。もしかしたら自分が身動き取れない状況でヘズを危険から遠ざける為なのかもしれないし、仲直りできる隙間はあると思うわ」
ヘズは驚いた顔をした後、破顔した。
「……理解してくれて有難う。味方にも中々分かってもらえないのに」
顔をほころばせてはいるが、少し泣きそうな顔にライラはギュッと心臓を掴まれた気がした。ペルケレはその表情を見て片眉を上げたが、何も言わずに伏せをしている。
「ライラ殿、お茶のおかわりはいかがですか?」
「ええ、もういいわ。それよりも……」
ライラは言葉に表せない感情を悟られまいと、話を聞きながら疑問に思っていたことをぶつけた。
「ヘズが扱える魔術は何なのかしら?」
「攻撃が絶対に当たる補助的な魔術だ」
ラッリが片付けている茶器をカチャリと鳴らす。
「ただし対象を一度視界に納めて認識していないと効果が無い。だから、森に来るまでに大けがを……」
死を覚悟した程のけがを森が簡単に治してしまうのなら、この呪詛だって無効化しても良さそうなものだ。ヘズ自身もすっかり忘れていたのだが、その兆候は全く見られない。あの時ライラは老婆のふりをしてヘズを騙し、ヘズも警戒心を抱いていた。
改めてライラに聞く。
「本当に森が治したのか?」
「黙っててごめんなさい、私が魔術で治したの。出血もひどかったし、落馬までしてあらぬ方向に足が曲がっていたのよ」
「殿下っ!?後遺症などはございませんか」
今更ながら、ラッリが慌ててヘズの手足を確認する。ヘズはライラの才能に驚いた。過去の記録に治癒の魔術を扱えたものはいたが、時間をかけて治していた。夢か幻かと思う程、見事なまでに一瞬で完治させられる者はいない。
ライラは本当に命の恩人だ。まだまだ困っていることを聞き出せそうにもないので、こっそりと絶対に恩返しをするとヘズは固く誓った。
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