実験その一

 日課の為に森を歩きながら、薬草を摘む。呪いの正しい解き方が分からないので、まずは目に効く薬を作り試そうと、ヘズと話し合った。魔力を使う物は準備が必要だからだ。それに、使いすぎて魔力の回復が遅れると日課に支障が出る。

 魔力の回復薬を作っておかなければならない。飲んで瞬時に回復するような強力なものだ。慣れない魔法であるため準備は万全にしておきたい。

 思いつくあらゆる可能性を試してみてダメだったら、ペルケレの言う方法を試してみるのも……とそこまで考えたライラは頭をぶんぶんと振った。


「いや、いやいやいや。それは有り得ないわよ」

「ん?どうかしたか」

「あ、何でもない」


 ―――真実の愛だなんて。誰がそんなこっぱずかしいこと。

 誤魔化すように歩みを速めてライラはペルケレと共に家路を急ぐ。


「おかえり」

「ただいま」


 外套を扉の横に掛け、摘んだ薬草が入った籠をテーブルの上に置いた。


「今日は薬草を使って医学的な方面から視力の回復を試みようと思うの」

「病気やけがと同じような治療をしてみるという事か。呪いを解くことばかりに目が行って、城では考えなかったな」

「そうでしょう?思いつくものを一つずつ地道に試していくのが一番よ。そのうちに何か閃くかもしれないし」


 そう言ってライラは薬の調合に取り掛かる。下ごしらえをしてある様々な生き物の目玉や刻んだ薬草、特殊な製法の酒などを釜に放り込んで呪文を唱えてから火にかけた。

 釜で煮込む間、ヘズが手持無沙汰になっていたので中身を混ぜる役目をさせる。薬草がどろりと溶け込んで重たくなった中身を大きな木のへらで延々とかき回すのは重労働だ。


「なんだかものすごく臭いのだが」

「それだけ良い薬が出来ると言うものなのよ。材料は内緒ね」

「これはライラ殿が考案された物なのか?」

「いいえ、五百年前のレシピだけど」


 ヘズはそれを聞いてかき回す手を止めた。


「誰かに試したことは?」

「似たような薬でものもらいを治した時は、目に注した途端に患者が転げまわっていたけれどちゃんと治ったわよ。ほら、手を動かして」


 嫌な予感しかしないヘズは再び手を止め、ライラに怒られた。


「ものもらいと呪いは違うだろう」

「目の病気に対しては万能だって書いてあったわ」


 出来上がった目薬をスポイトで吸い上げる。あれだけ土止め色していた液体が今は無色透明だ。釜いっぱいにあったものが凝縮されてわずかな量になった。

 ヘズを長椅子へ寝かせ、素早く両目に二、三滴ずつたらすとヘズはもがき苦しんだ。


「く、臭い。ものすごく臭い。鼻の奥に……いや。喉の奥までに、苦い」

「だめよ、暴れないで。量が少ないから失敗したらもう一度作り直しよ」


 ライラはヘズを必死で抑え込んだ。長椅子から落ちて頭でも打っては大変なのでヘズの額にはペルケレを乗せ、それから目元に伸ばそうとする両手はライラがぎゅっと押さえつけている。


「ヘズ、実は今、お前はライラに膝枕をしてもらっている。暴れるのはもったいないぞ、我慢しろ」


 ペルケレがそう言った途端、ヘズの動きはぴたりと止まった。見えない目を必死に動かそうとし、全神経を後頭部に集中させている。


「え?してないわよ膝枕なんて。ペルケレったら、嘘をついてはダメよ」


 ライラがペルケレを窘めるとヘズは再び暴れはじめた。


「騙された、悪魔に騙された。なんて奴だ。水をくれ、洗い流すから」

「だぁめ。いい子だから大人しくしてなさい」


 駄々をこねていた弟を思い出してしまったので、ライラの口調も自然と言い聞かせる様なものになってしまっている。


「ライラ、お願いだ、頼む」


 綺麗なアイスブルーの瞳が潤んで、見えない筈なのにライラを捕らえている。とくんと高鳴ってしまう鼓動を意識しないように、ライラはヘズに告げる。


「このまま明日の朝まで様子見ね。それでも見えないようなら次の手段を考えるわ」

「ライラぁ」

「いい年した男が情けない声を出すんじゃねぇ。全く」


 ペルケレがヘズの頭の上で呆れた声を出す。結局、夜まで様子を見たがヘズの目は見えないままだった。




 次の日、日課を済ませて家に戻る途中に、一昨日見かけた男が木陰から現れライラに声を掛けた。


「あのーすみません。この辺りで顔にド派手な刺青をした男を見ませんでした?赤い蝶のような刺青なんですけど」


 一昨日と違いペルケレにすら気配を感じさせなかった男は、王族に仕える侍従と言うよりも商人の下男のようだった。あまりにも遜った態度だが、鼻にはつかず、己に対して相手がどんな印象を持つのか熟知しているようだ。


「あ、私はラッリと申します。怪しいものではありません。バカお……じゃなかった、とある高貴なお方に仕えている者です」

「苦労しているのね」


 ポロリとこぼれたラッリの本音に同情したライラ。


「あはははは。よく言われます。御存知でしたら案内をお願いしたいのですが」

「ええ、本人から聞いているわ。こちらよ」


 ライラが案内すると家の周囲の結界は自然と開かれるようになっている。許可のない侵入者は家を認識する事すらできないように結界で、ここに住み始めてすぐに男が夜中に不法侵入をしようとして以来、ずっと掛け続けている。空き家になった家での盗みか、それともライラ目当てかは分からない。


 ラッリは辺りを見回しながら付いてきた。何度も歩いたはずの場所なのに、見慣れない建物がある。


「こんな所に家が……今まで気づきませんでした」

「結界が張ってあるから普通の人には見えないの」

「流石は魔女……で合ってますか?」

「ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私はライラ。こっちはペルケレ。おっしゃる通り魔女よ」

「よろしくな」


 ペルケレが言葉を発すると、ラッリは目を見開いた。


「猫が喋った……うわぁ、おとぎ話みたいで感動します」


 本当に人当たりの良い好青年だ。侮蔑する感じは少しも見受けられない。


「ヘズ、ただいま。ラッリさん連れて来たわよ」

「どうして王子の俺が呼び捨てでラッリにさん付けなんだ?」

「ヘズに仕えているすごい方だからよ」


 腑に落ちないヘズの前に、ラッリが跪く。先ほどまでの柔らかな態度が、主に対する緊張感を持ったものに変わる。


「殿下、ご無事で何より」

「ラッリ、苦労を掛けたな」


 見えないにも拘らず忠誠を示すことを怠らないラッリ。それに対するヘズの顔も王子のものになっていた。たった少しのやり取りで二人の絆がどれだけ強いものか、ライラは感じ取れた。


「最初に一番大事なことを聞こう。…………ライラは美人か?」

「美人ですっっそりゃもうこの上ないくらいの美人ですっっ」


 ヘズには見えないのに、ラッリは親指を立ててとってもいい笑顔で答えた。緊迫した空気が一気にお茶らけたものに代わる。

 二人の様子を見て昔を思い出し、少しだけしんみりしていたライラは思いっきり項垂れた。ペルケレが間髪入れずに突っ込む。


「再会して初めに聞くのがそれかっ。一番大事なのかっ」

「答える方も答える方よ。美しいかどうかは主観によって変わるものだわ。というか何言っているのよ!」

「まんざらでもなさそうな声だな。ああ……早くライラの顔が見たい」


 憂いを帯びた顔だが、その中にあるのは単なるスケベ心だ。


「ご期待に添えるものか分からないわよ」

「わざと声色を変えるほど奥ゆかしくて優しいのはもうわかっている。料理が上手なのも、魔法によるものかもしれないが家を整えるのが好きなのも知っている。カビやほこり臭さが一切ないからな。あとは顔だけだ」

「まるで嫁にするような言いかたね。呪いを解いたら出て行く約束を忘れないでね」

「……ああ、分かっている」


 ライラは食事の支度を始めた。また一人増えたので、保存していた調理済みの食材を駆使して三人プラス一匹の食事だ。

 ライラにさじを手渡され言葉で誘導されながら自分で食事するヘズを見て、ラッリは感涙していた。今までの気苦労がうかがい知れる。



「私の居ぬ間に、何か変わったことは無いか?」

「元婚約者であるロウヒ様が無事に婚儀を終えられました」


 短く「そうか」とヘズは返事をして、それっきり黙ってしまった。

 食事を続ける音だけが響く。


 婚約破棄に至ったのは、ヘズが呪いに懸かったことが一因だとライラは推測する。

 耐え切れなくなってライラはぽつりと呟いた。


「私も、婚約破棄されたことがあるわ」


 ライラはそう言いながら昔を思い出していた。


 共に生きてくれるものと信じていた。次代の王である弟を支える臣下として頭角を現し、故にライラの婚約者として選ばれた。逢瀬を重ねて信頼も愛情も互いに深まっていたはずの関係は、魔石が現れたことによってもろくも崩れ去る。


 婚約者は、逃げ出した魔術師のうちの一人だった。


 傍に居てくれれば、もう少しまともな手が打てたかもしれない。ライラの拙い魔術では無く、当時最新鋭の魔術だったならば。或いはそれが出来なくても、一緒に解決する方法を探してくれたなら。心構えも出来ぬうちに王位を継がざるを得なくなった弟を支えてくれるだけでも構わなかった。

 逃げ出したのは驚いてしまったからで、待っていればきっと戻ってくると、信じていた。


 ほとぼりが冷めた頃にライラの元に届けられた一通の手紙によって、あっさりと別れが告げられる。山脈を越えた他の国で王族に取り入って、別の王女と結婚する運びとなったらしい。籍を移すための手続きの依頼のみで詫びることも案ずることも一切書かれていないその手紙を読んで、ライラの心は打ち砕かれた。


 魔法陣をあくまで一時的な処置として考えていたライラが、新たな解決法を探るのを放棄し現状を維持することを選んでしまった理由の一つだ。


「許せたのか?」

「許すも何も、もう亡くなっているもの。道が分かたれてからは連絡を取ってないから、幸せになれたかどうかも知らないし」


 あれから五百年も経ってしまった。顔すらも思い出せない相手に腹を立てるなんて馬鹿げている。


「生きて居る間に復讐はしなかったのか。それなりに思いを寄せる相手だったのだろう?」


 ヘズの問いかけに、ライラは思わず笑ってしまった。


「私は森を離れられないのに、山の向こうにいる相手にどうやって復讐するの。それに、せっかく相手の顔も忘れたのにわざわざ会いに行くなんて馬鹿げているわ」


 忘れることで前に進もうとした。実際には何も進めなかったが、気持ちは軽くなった。


「目が見えるようになったら、私は元婚約者にどんな思いを抱くのであろうな」

「その人が不幸になる為に自分が捨てられたなんて思いたくない。自分よりも『不幸』を選ぶなんて、そんな理由で捨てられたくない。だから、幸せを願うのよ。今はどんなに憎くても」


 もともと才のある魔術師だったのだ、幸せにならないはずがない。ライラには、共に過ごしている間も性格に難があるように見えなかった。婚約者を置いて逃げる時点で十分に問題はあるのだが。


「お人よしの魔女、だろ?」

「ああ、やはりここに来てよかった」

「どういう意味よ」


 今は、城にいる誰よりも信用できる。ライラなら、どれだけ時間がかかってもきっと呪いを解いてくれるだろうとヘズは期待した。


「ラッリさんもここで寝泊まりするのでしょう?二階に客室があるの。ヘズは不便だろうから一階の長椅子で寝てもらっているのだけれど」

「でしたら、私は一階の床の上で大丈夫です。殿下に何かがあった時に対処できるようにしたいので」

「そう、なら毛布を用意しないとね」

「有難うございます」


 一人で気ままに手を抜いて過ごしていた生活も改めなければならない。家の裏で小さいながら畑も作っているが、収穫はまだ先だ。

 近いうちに買い出しをしなくてはならないと心に留めながら、ライラは眠りについた。

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