悪夢

 どこまでも伸びていく木々による浸食を防ごうと、誰かが火を放った。だが生木は大して燃えず煙を出しながらそのまま動いたので、巻きつかれた木造の建物が燃えてしまう。ライラたちがいる場所からは距離があったが、赤く焦がされ火花と煙が登る夜空が見えた。


 穏やかな性格のはずの王妃はただひたすら絶叫し、酸欠になって気を失った。ライラも同じように出来たらどんなにか幸せだっただろう。それほど目の前に繰り広げられる光景は悲惨なものだった。


「父様……」


 王族を守るはずの近衛の鎧をまとった騎士が、民衆と一緒になって自分たちを取り押さえている。王の首は既に落とされた。真っ赤な切断面と生気を失った虚ろな目。理解できないまま死んだのか、恐怖に歪まず見慣れたいつもの王の顔であることが余計に不気味だった。


「森は止まったか」

「いいえ、まだ浸食を続けているようです。収穫間際だった畑が呑まれ始めました」


 騎士と民衆の顔が絶望に歪む。自分たちは何も悪くない、悪いのは王なのに何故自分たちがこのような仕打ちを受けなければならないのか。ただの自然災害なら励まし合って何とか立ち上がっただろう。戦争であれば一丸となって敵を追い返したはずだ。


 自分達には理解の出来ない力、もしこれが一瞬も気の抜けない危機であれば民衆は自分の命を守ろうと専念した。だが、只ゆっくりと木が伸びたり、足元から根の部分が生えてくるだけ。怒りをぶつける余裕が失われずにいたのは、ライラたちにとって不幸でしかなかった。生活を壊された人々の矛先は次の的へと向う。


「ならば、今度は王妃だ。王妃の為に王は木を切るよう命じたのだからな」


 血にぬれた剣を持ち、ためらいも無く気を失っている母の元へ向かった騎士団長にライラは叫んだ。


「待って、魔術師たちならこの状況を何とかできるかもしれないわ」

「とっくに逃げ出したよ、お姫様。転移魔術を使ってな。だから魔術を使う奴らは信用できないってのに」


 魔術師を政治に関わらせることもライラを魔術師に娶らせるのも、騎士団長は反対していた。確かに偏り過ぎていたかもしれない。けれど戦のない平和な世の中であるため、騎士よりも生活や文化の水準を上げる魔術師に天秤が傾くのは仕方のないことだ。


「だったら私が魔術で森を止めて見せるわ。先生にだって褒められたのよ」


 はんっと、騎士団長はライラを鼻で嗤った。お前にできるものかとも言った。いつもなら不敬だと怒鳴りつけるところだが、ライラは勤めてしおらしくする。


「お願い、せめて王族としての責任を取らせてちょうだい。その代り母様と弟は……」

「ああ、分かった。ただしできなかった場合は覚悟しろ」


 ライラが小さい頃から仕えていた誠実でおおらかなはずの騎士団長の顔が、王に剣を捧げたはずの騎士たちの顔が、そろいもそろって下卑た笑みを浮かべている。

 忠誠など最初から誓わなかったかのように態度を変えた彼ら。今でこそ王族に刃を向けているが、暴力が民衆に向かうのも時間の問題かもしれない。


 騎士たちにライラが連れて行かれそうになると、それまで恐怖で一言も発せられなかった弟が、悲鳴交じりに叫んだ。


「あねうえっ!」


 今まで甘えてばかりいた弟の、初めて聞いた声色。ライラを心配するものか、それとも自分を助けてと縋り付く声なのか。

 どちらにせよ、ライラの言えることはただ一つ。


「エリアス、誇り高くありなさい。父様がなくなった今、あなたがフォレスタリアの王なのよ」


 その途端、弟の鳶色の瞳に強い光が宿ったのを見て、ライラはにっこりとほほ笑んだ。王であろうとすることは弟にとって危険な思想かもしれないが、簡単に命を絶つような選択はしないと見越して掛けた言葉だった。


「私なら大丈夫。簡単には死なないわ。母様をよろしくね」

「お別れはそこまでだ。行くぞ」


 腕を強くつかまれながら城へと向かうライラの耳に、弟の叫ぶ声は聞こえなかった。


 騎士たちに囲まれながら森色の魔石がある広間まで移動すると、ライラは床へ手を着いて呪文を唱え始めた。

 魔法陣が白く浮かび上がる床から、幾筋もの光が魔石へと延びる。光は鎖のように魔石の周囲を取り囲んだ。


 封印と言う形で魔術を使ったのは、単純に力が足りなかっただけでは無い。不完全な形で森を止める方法は、毎日魔力を注がねばならない条件によりライラが自分の身を守る為でもあった。


 騎士団長は面白くなさそうにその条件を説明するライラを見る。


「すっかり魔術師かぶれになってしまって……随分と小賢しくなりましたな」

「私や母や弟を傷つけたら、魔術を解くわ。王族への忠誠は失ってしまったとしても、騎士でありたいのなら民を守りなさい」


 騎士団長はじろりとライラを睨んだだけで何も言わなかった。



 ヘズに婚約者の話をしていたせいか、ライラは昔の夢を見た。五百年も経っているのに余りにも鮮明過ぎる。

 両手で顔を覆い一度大きく肩を震わせると、いつの間にか部屋に入ったペルケレが心配してベッドの上に乗ってきた。


「大丈夫、昔の夢を見ただけだから。おはよう、ペルケレ」

「おはよう、ライラ。物憂げな顔も美しいが、元気な顔はもっと美しい」


 ペルケレの励まし方に、ライラは思わずふっと笑みがこぼれる。



 ライラの魔術により森の成長は止まったが、木を切り町や城を回復させようとは誰もしなかった。また呪いが降りかかるやもしれぬのだから当然だ。


 ライラは毎日魔力を魔法陣に注ぐために、城にほど近く無傷な二階建ての建物の一部屋を無償で借りることになった。持ち主は騎士団の所業を見ており、ライラに甚く同情してくれた。

 建物は宿屋として使われていたらしいが、周りの状況からも営業は難しいと判断したそうだ。井戸はつぶれてしまっていたが庭は残っており、持ち主に聞いて足りない知識を補いながら畑を作ったりした。

 森に潰された家から必要なものを持ち出すために周囲には暫く人が残っていて、しばらくはその人たちの休憩所にもなっていた。ライラはライラで木々の間に取り残された者がいないか探し回ったり、父の遺体を城の地下墓地に一人で埋葬したりした。


 一番近くの村から来る手紙の配達人をしている女の子と仲良くもなった。ライラの正体が分かった途端に虫けらを見るような目で見られたのは苦い思い出だ。



 ライラが森の石に施したのは仮初めの物なので、逃げた魔術師たち、或いは森の外へ出た母や弟がきっと解決方法を見つけてくれるのだと信じていた。


 母の再婚、弟の即位、そして……婚約者の手紙。皆は既に前を向いて歩き始め、そして自分だけがここに取り残されたままなのだと初めて気づいた。

 気づいて初めて、ライラは涙を流した。


 ―――いいや、違う。私は、自ら人柱に立ったのだ。持てる能力を使うべき時に使ったのだ。王族としても責任を果たさなくては。

 そう思い込むことで気力を振り絞った。私が死んだらきっと魔法陣は解け、森の浸食が再び始まってしまう。そうしたら次はきっと弟やその子孫が犠牲になる。

 方法を見つけなければ。石を無力化するか、自分が長く生きる方法を。


 それからのライラは狂ったように魔術の研究に打ち込んだ。中途半端だった知識を書物を読むことで補い、日課以外にも様々な魔術を扱いたいので魔力の総量を高めるための訓練もした。だが独学では限界があり、年を追うごとに魔力の成長の衰えも感じ、何より当初の目的にかすりもしない。


 いつの間にか森に残っていた者たちもいなくなり、宿屋の持ち主もよそへ行ってしまったので建物全体を一人で使うようになっていた。無力感に苛まれ孤独を一層感じるようになっていた。


「お前、こんないわくつきの森になんで一人でいるんだ?」


 だから、何の脈絡も無く突然現れた悪魔ペルケレの誘惑にも容易く乗ってしまった。森にはもう自分しかいないと思っていた話をする生き物に、訝しむでもなく返事をしてしまったライラはきっと悪くない。


「あなたは、誰?」

「俺の名はペルケレ。もとは雷神だったんだがいつの間にか悪魔になっちまった。まぁ、神だの悪魔だのなんてもんは人間の都合でコロコロ変わるもんだ」


 以前のライラならばなんて罰当たりなと怒っただろう。けれどいろいろな経験をした後ではこの悪魔の言い分も納得できてしまう。


「そうね。森の神って言われても私にとっては悪魔のような物だわ。あんなに良い人たちを変えてしまったのだもの」

「あァ~、お前もしかしてなくてもフォレスタリアの王女か。なるほどなるほど、確かなまえは、ライラって言うんだったかな。んで、どうすんだ?」

「どうするって、何のことかしら」


 ペルケレは面倒臭そうにくわっと欠伸をする。


「悪魔と言えば取引に決まってんだろ。お前の魂と引き換えに何でも叶えてやる」

「それなら、森の神に懸けられた呪いを解いてもらえるかしら」

「解呪を悪魔に頼むなんて正気か」


 むしろ狂っていた方が気が楽になるかもしれない。期待を込めながら見つめるライラに、ペルケレは申し訳なさそうな顔をした。


「できない。済まない」

「なら、私の魔術の才能を引き上げて。それで、石を―――」

「俺に使える魔術の範囲でしか、引き上げられないんだ。叶えたとしても石の呪いを解くなんてことは出来ない」


 目の前に突然現れた一筋の希望も、状況を打破する手立てにはならなかった。見る見るうちに表情が消えてくライラにペルケレは焦る。


「なんか他の事なら…あ、不老長寿はどうだ?お前が年とってくたばったら、封印は解けちまうんだろ」

「そう、そうね。一人ぼっちは寂しいから、あなたが一緒にいてくれるなら」

「ああ、契約する以上最後まで面倒見るのは当たり前だ」



 ―――そうして五百年もの長い間ずっと傍にいてくれたペルケレを、ライラは抱え上げた。悪魔だと言うのに温もりや手触りはまるっきり猫だ。頬を摺り寄せてもペルケレは嫌がらずに受け止めた。


 悪魔との契約はどの時代であっても異端とされる。それでもライラは不老長寿となっただけでなく魔力の総量が増え、魔術の知識を教わり、信頼できる仲間としてペルケレを受け入れられた。


「どうした。そんなに怖い夢だったのか」


 ライラを気遣いながら見上げる真ん丸の目は、余程の事がない限りは決して裏切らないと断言できる。


「ええ、今までいてくれてありがとう。ヘズ達が来て最近は少しずつ何かが変わっているけれど、いきなりいなくなったりしないでね」

「……大丈夫だ。約束だからな」

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