雨上がりの森の静謐な空気の中。いつもと同じ道のり、いつもと同じ日課。魔法陣に魔力を注いだ後、ライラはその場に腰を下ろしへたり込む。


「疲れた。自分の家なのに帰るのが嫌だ」

「同じく。あの王子、やたらと歩きたがるから気が休まらない。しっぽを踏まれても悲鳴が上げられないんだぞ。呪いが解けるまであの家にいるんだろう?だったらさっさと解く方法を探さないと」


 森にかかっている魔法と違って、個人にかけられた呪いならかけた術者に解かせるのが一番手っ取り早い方法だ。王族しか魔力を持たないならば、おそらく城の中にいる誰かが犯人なのは間違いないだろう。

 しかしライラには城に入る術を持たないどころか、今の国家の中枢がどこにあるのかも知らない。


 森に住むようになってから百年ほどは世間の情報もこまめに仕入れるようにしていたが、途中で面倒になって止めてしまった。


 現在のライラの情報源は専ら本だ。とは言え周辺の村々では新しい書物を手に入れられないので、五百年前の古い情報ばかり。森に浸食されてしまった城の中の図書室でヘズの呪いに関する本が無いか探す。玉座のある中央部分とは違い、別館は当時のままで形を保っていた。


 王女だった頃も良く読書をした。恋愛や冒険などの小説、魔法に関する解説書、政治や経済まで。必要に駆られて、或いは娯楽として数々の本をここで選んだ。

 劣化しないように保護魔法の刻まれた図書室は、木の侵入をも防ぎ書物は無傷だった。


 本のうちの数冊は持ち出して家に確保してあるが、その中に呪詛に関して記載されていた記憶は無い。料理や薬のレシピなど、生活に必要な事が書かれている物だけだ。


「呪いって言うと……この辺りか。何冊か持って帰って家で調べるしかないわね。ヘズが寂しがるし」

「なんだかんだ言って気にかけている辺り、本当にお人よしだな」


 ペルケレに指摘されて、ライラは無意識に言い訳を考える。


「国も玉座も無くなってしまったけれど、彼が私の国民の子孫であることに代わりはないもの。困っていて助けを請われれば手を差し出すのが王女としての役割と言うものだわ」

「弟だって子供を残さずに死んじまったんだから子孫も何もあったもんじゃねーだろ。それにヘズの髪色と瞳の色はどう考えたって外の血だ」


 山脈により外界と隔てられたこの国は、黒や茶系統の髪や瞳を持つものが多い。金髪にアイスブルーの瞳は、この地よりも遥か北方に住む人種の物だ。

 ライラは北方出身の母を持っていた為、瞳は緑色だった。異国との交流は少なかったが皆無ではなかったのでライラのように変わった色を持つ者は稀にいた。


「あら、肌や髪の色に関わらず山脈の内側に住むものは皆国民だと父様が言っていたわよ」


 滅んでしまった国にいつまでも縋り付くのは馬鹿馬鹿しいが、ライラが今生きて居る理由は王族としての矜持からだ。

 ペルケレはそれが哀れで仕方ない。

 ライラにとってヘズが他の生き方を模索する切っ掛けになればいいと思っている。


 契約は解けないが、自分の為に生きる時間があっても構わないのに。例えば恋愛をするとか―――


「……あ、一つだけ思いついた。真実の愛で呪いを解くのはどうだ?」

「悪魔が何寝ぼけたこと言ってるの。キスならペルケレがすればいいじゃない」


 心の底からライラを思うペルケレのせっかくの提案に、とんでもない答えが返ってきた。


「ななななななにいってんだ。俺は男だ」

「大丈夫。私、同性愛にも異種族婚にも理解はある方なの。そうなったら私は潔く身を引いてあげるから」


 慌てふためくペルケレはライラの返しを受け、ふと真面目な視線を向ける。


「身を引くって何だ。全てを諦めて死ぬって事か」

「言葉のあやよ。そんなに真剣にとらないで」


 ライラはペルケレを抱き上げて背中を撫でた。ペルケレはすんと鼻を鳴らして自分のあごをライラの肩に乗せる。


 ペルケレと別れるという事は不老長寿の契約を打ち切ると言う意味だ。ライラが死ねばその魂はペルケレの力となるのだが、五百年もの間を二人きりで生きて来たのでその関係性は家族や友人や恋人なんて物を越えたものとなってしまった。

 強いて言うなら魂の片割れ、或いは絶対の信頼を置ける相棒だ。


「泣かないで。そんなに簡単に死ぬわけないじゃない」

「泣いて、ねぇ」


 ヘズと関わることで変化が生じ始めている。普段は憎まれ口を叩くペルケレも実は寂しん坊なのかもしれない。赤子をあやすようにペルケレの背中をさすりながらライラは古城を後にした。


 家に帰る森の中の道で、誰かの視線を感じたペルケレはライラに注意を促す。


「例の、殺し屋かしら」

「わかんねぇ。でもまだ殺気は感じないから撒いちまえばそれでいいと思う」

「そうね」


 ペースを崩さず歩くふりをしてすっと巨木の影に隠れると、案の定、一人の人間が走ってきた。どたばたと慌ただしく、想像していた殺し屋とは違うようだ。隠れているライラたちには気づかずに走って行ってしまう。


 赤みを帯びた茶色の髪に若草色のマント。ヘズよりも年上のようだが、一瞬だけ見えた顔は気弱そうだ。とても殺し屋だとは思えなかったライラは、ふとある可能性にたどり着く。


「考えてみれば王子が共もつけずにこんな森へ来ること自体、おかしいのよ」

「じゃあ、あれは味方だってのか。どちらにしろヘズに問いただすしかなさそうだな」


 ライラとペルケレは見つからないように気配を消しながら家へと戻った。




「おかえり」


 家の扉を開けると、目の前にヘズがいた。ペルケレはいつも一緒に出掛けるので出迎えることは無い。

 少しだけくすぐったい思いを感じながらライラは老婆の声で「ただいま」と返す。


 森で見かけた人間の様子を話すと、ヘズは頷いた。


「ああ、そいつは味方だ。従者兼護衛兼料理人。名前はラッリ。ああ見えてそこそこ強いし使える」

「苦労してそうだったのう。誰かさんに振り回されていそうな、そんな顔じゃった」


 普段なら言わない皮肉も、老婆の口調だとするりと息をするように出てくる。


「次に見つけたらここへ連れてきてくれて構わない。きっと目の見えない私よりも役に立つはずだ」


 自嘲気味に言ったヘズの傍らに座りながら、ライラは分厚い本を開いた。役に立つと言われても居候が二人に増えるのは勘弁してほしい。それよりも呪いを解いてさっさと出てってもらう方が先決だ。


「呪いに関する本を持って来た。どれに該当するか、近くで見させてもらうからじっとしていておくれ」

「ああ、頼む」


 ページをめくりながら呪いを確認する。蝶の模様は整っているヘズの顔にとてもよく似合っていて、まるで仮面をつけているようだった。


「ふうむ、似たような系統の呪詛はいくつか存在する、か。細かい部分が違うようじゃの」


 顔に紋様が現れ、視覚を奪う呪詛のページはあった。解呪の方法も描かれており、辛うじてライラにも使えそうな魔術だった。だが描かれている物よりもヘズの紋様は複雑だ。更に手が加えられて簡単には解けないようになっている。


 追加された赤い線をなぞるようにライラがさわると、ヘズがピクリと震えてその手を取った。目の見えない者に声も掛けずいきなり触るのはタブーだと、ライラは失敗を反省して素直に謝った。


「ああ、いきなり触ってすまんかった。痛みはないじゃろうか」

「大丈夫だ」


 ライラは手を引っ込めようとしたがヘズは掴んだまま離さない。光のない、けれど透き通るようなアイスブルーの瞳で間近に見つめられ心が揺さぶられる。


 ―――これほど近くで異性の顔を見るなんていつ以来かしら。


 頭に思い浮かぶのは、五百年前の顔も忘れた婚約者だった。以来、恋愛とは無関係でいたから何でもないふりをして平然と振り払うことが出来ない。


 ライラが見惚れている間に、ヘズはおもむろにライラの手のひらへと顔を摺り寄せ、口づけをした。感覚の鋭い部分への接触にライラは驚いて振り払ってしまう。


「何をするの!」


 咄嗟に出た声は老婆では無く自分の声そのもので、ライラははっとして口を押えた。その手がたった今ヘズに捕らわれていた方の手だと気づき、火照った頬をさらに赤くしながら慌てて口元から放す。


「どうして年寄りのふりをする。魔女として目の見えぬ私をたばかるつもりか」


 緊迫感を含んだヘズの冷たい声に、甘い空気が一気に霧散する。熱を帯びていたライラの頬も徐々に冷め、冷静さを取り戻していた。

 身を守るために老婆のふりをしていたが、相手の目は見えない。見えないヘズからしてみれば嘘をつかれることは物凄く恐ろしいのだろうとライラは察する。

 情報を得る為に一番重要な視覚を失っているのだ。聴覚から入ってくる情報がまがい物なら何も信じられなくなる。


「若い女の声で私を誘惑するならまだわかる。けれど年寄りの声で話す意図は何だ。私を油断させるためか」


 怯えているような威嚇の声に、ライラは自分の声で答えた。


「その魔女を頼ってきたのはあなたの方よ。魔女とは言え女の一人暮らし、警戒しないわけがないでしょう?」


 ヘズの緊張感がそのままライラにも伝染する。冷や汗を垂らすライラとは対照的にヘズはへにゃりと相好を崩した。


「分かった。異性として見てもらえて何よりだ」

「そう言うことを言っているのではなくて……何故そこでにやにやするのよ」


 ライラの見る限り、ヘズは二十歳前後だ。五百年も生きている自分が手玉に取られるなんてと憤慨している。


 ヘズは「いや」と言って誤魔化すために手で口元を隠した。老婆の声で話している時よりもライラの感情や性格がにじみ出ている。丁寧な言葉遣いはきちんと教育を受けていた育ちがうかがい知れた。

 この国に魔術師がいない事を知らず自分の若い頃は―――と、まるで年寄りのような口ぶりだった。なのに先ほどの咄嗟の反応は少女のようだ。


 呪詛を解いてもらうだけであとは繋がりを断ち切る予定だったのに、ヘズは興味を引かれてしまった。


「一人暮らしって、ペルケレ殿は?」

「俺は猫だ。いや、違った。えーと悪魔だ」

「なんと、私は猫に運ばれたのか。重たくなかったのか」

「あう、だから違うって。ライラが魔法で運んだ」


 ペルケレのついた嘘まで何故かどんどん剥がされていく。悪魔なのに取り繕う事も出来ず、白状してしまった。


「ペルケレ殿、どこだ?昔、猫を飼っていたんだ。少しだけ触らせてくれ」


 ペルケレは自分から触られにヘズの手元へとすり寄った。気づいたヘズは見えないにも拘らず慣れた手つきで耳の間、背中、顎の下を触る。くすぐったいのかペルケレの耳はしきりにぴくっと動き、そのうち喉がごろごろなり始めた。なすがままにされるペルケレをライラがじとーっと見ていると、はっと気づいたペルケレは誤魔化すようにヘズの手から逃れ、啖呵を切った。


「と、とにかくライラには手を出すなよ。ただじゃおかねェぞ」

「目の見えない私に何が出来る」

「たった今やらかしたばかりじゃねーか」

「ライラ殿の手があまりにもなめらかでたおやかだったものだからつい……だが、ペルケレ殿の毛並みも中々……」


 撫でたりないのか、ペルケレを求めてヘズは両手を伸ばし辺りを探る。その様子を見て耳を伏せ項垂れるペルケレ。


「俺か、むしろ身の危険が迫っているのは俺の方なのか」


 ペルケレが形無しにされるのだから自分が少しだけほだされるのも仕方のないことだとライラは思った。

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