【4】[過去]最先端生物化学研究所

[西暦2028年8月19日 23:37 東京都港区Soho]



 わたしとナインワンは、事件が起きる深夜1:07より1時間半前の地に降り立った。


 アインツとエルフが到着するのは、事件のおよそ15分前。現場に移動するのが1時ちょうど。少なくとも1時までには、周囲の安全を確保し、監視作業に移らないといけない。



 現在分かっている事件のあらましは、以下の通りだ。


 港区のソーホー地区にある、公には政府非公認の研究機関である 【Advanced Biotechnology Center 最先端生物科学研究所— ABC】の研究室において、実験段階であった被験体Xが逃げ出し、研究員12名他警備員など含め17名を殺害後逃走。


 逃走2時間後、3:00に自己免疫疾患により被験体Xは活動停止。


 その他詳細は不明であるが、事前情報———動物愛護団体を名乗る者による犯行予告を受けており、以前より数回窃盗・侵入などの被害を受けていた———おそらく、この動物愛護団体を名乗る何者かが被験体Xを逃がし、その結果大惨事が起きたのだと推察する。


 なぜ確定状況ではなく推察かといえば、アインツとエルフが被験体Xの監視を周囲から行なっていたのに対し、研究室の監視を直接行なっていたのはもう1班だからである。


 そして、彼らのデータは行方不明なのである。


————27————


「おい、111111112。お前、さっきから誰と話してる?お前の考えが、さっきからダダ漏れだぞ」


「いやぁ、今回の任務をしっかり確認しようかと思って」


 相変わらずの意地悪を言ってくるのは、わたしの相棒であり、唯一同じ場所、同じ時間に生まれた “奇跡の男” と呼ばれる男である。


 なぜ奇跡かと言えば、頭脳明晰ずのうめいせき、容姿端麗、スポーツ万能なのはもちろん、人への気遣いやマナーも心得ており、所作しょさまでも美しいからである。


 しかし、1番の奇跡はこれである。


{111111112、止まれ。3時の方向の3階にちょうど研究室がある。お前はここからすぐ上の窓から潜入し、監視せよ。くれぐれも見つかるな}


「了解しました、111111111。只今より、任務に当たります」


 ナインワンには接触した人の思考を読んだり、人を意のまま操り{服従}させる奇跡の力がある。


「なんだよ、ナインワン。命令なんかしなくたって、ちゃんとやれるよお」


「ふ。知ってるがな。たまには111111111と呼ぶお前も悪くない」


 ぶー!と口はとがらせたものの、ナインワンが陽気なのは調子の良い証拠なので、わたしも本当は心の中では嬉しいのだ。絶対、本人には言ってなんかやらないけどね!


 と心の中で舌を出しながら、ナインワンと二手に分かれ、すぐに3階の窓に音を立てないように飛びつく。


————28————


 窓の外から見る限り、中には研究員らしき人影が6~7人。他の研究室にも数人ずつ残っており、皆真面目に仕事をしているようだ。


 人の気配がない真っ暗な隣の部屋の小窓へと移動してみる。なるほど、こちらの窓はかなり小さく、大柄なナインワンでは通り抜けることはできなさそうだ。


 小窓を開け、中をさっと目視で確認し、そっと音を立てないように潜入する。どうやらこの部屋は冷蔵庫や薬品棚などが所狭ところせましと置かれており、冷蔵室なのだと分かる。


《寒っ…ちょっと入ってくるとこ間違えたかな…》


 冷蔵室のドアはガラス窓もないので、研究室内の様子が目視できない。小窓に戻りかけたところで、ナインワンからの通信が入る。


「111111112。どうやら研究員12名全員、研究室から出て行ったようだ。1階の食堂のようなところに食事や酒類が並べられているため、これから何かの祝賀会でもするようだな。そちらの状況はどうだ?」


 無人と聞き研究室内を入念に調べてみるが、小さい生物の鳴き声やカタカタ動く音がするだけで、特に変わったところはない。


「ん…こちらはナインワンが言った通り、研究室は無人になっている。研究室内にはいくつかおりがあるが、通信で見たような大型の生物用の檻は見当たらない。念のため、隣の研究室とこのフロア一帯を調べてみる」


「ああ。では、こちらは警備員5名の配置確認と、研究員の動向をしばらく追うことにする。何かあったらすぐ知らせるように」


————29————


[No.2 通信履歴]


現在時刻23:49


隣の研究室も無人であり、変わった様子なし。


3階一帯を確認、特に異常なし。



 ナインワンに再び通信をしようとしたとき、背後からカタンという音がする。振り返ると、長い廊下の反対側にある扉が閉じかけているところだった。


《ん?あんな所に扉…なかったよな?隠し扉か?》


 わたしは足音を立てないよう、急ぎ足で廊下を走り、扉が目の前で閉じそうになる寸前で滑り込む。


 すると、真っ暗な部屋の中、何者かと目が合う。


 正確には暗闇の中、目が合ったような “気がする” 。


 幸い、わたしは警備員の変装をしているため


「何者だ?ここの研究員か?」


と呼びかけてみる。


————と、暗闇の人物が動く気配がすると同時に、背後に激しいしびれを感じ、わたしはその場で倒れ————そのまま意識を失った。


————30————


「…2?おい、しっかりしろ!」


「ん~…ナインワン?あれ?こんなとこに、どうしたの?」


「どうしたの、じゃない。5分経過してもお前から連絡がなければ通信も遮断されてるから、探しにきてみれば…何があった?」


「あれ…わたし気絶してた…みたいだ」


「んなの、見れば分かる!まったく、お前ってやつは。見たところ外傷はないようだが、犯人と接触でもしたか?」


「犯人、犯人…はっ!しまった!」


 急いで隠し扉を開け、中の様子を確認してみるも、案の定小さな箱状の内部には檻があるだけで、中身は空であった。


「内部はすでに引き払われた後のようだな」


「いない!被験体Xがここにいたのなら、今すぐ探しに行かないと!」


「まあ、落ち着け。予定時刻までまだ1時間もある。それに、事件が起きそうな場所には、あらかじめ盗聴器をいくつも仕掛けてある。抜かりはないから、安心しろ」


「そんな悠長ゆうちょうな…」


“いいから休んでろ” と制止するナインワンの手を払い、立ち上がろうとしたところで…


ウギャアア!


 耳をつんざくけたたましい人の叫びと、激しい息遣い。それから何かがれるような不快な音と、規則的に何かが転げ落ちる鈍い音が通信機から聞こえてくる。それが幾重にも重なり不協和音を奏でていく。


「非常階段からだ!先に行く!お前は後からついてこい」


 ナインワンから通信が入ったときには、すでに彼の姿は目の前から消えていた。


「なんて鮮やかな!」


 などと感心してる場合でもなく、わたしは深呼吸をすると、頭を上げようとするも…頭がどうにもクラクラして視界が定まらず、首筋にはピリリと痺れる感覚がする。


————31————


 数分後、ようやく非常階段に到着したときには、すでにナインワンが現場検証を終え、未来へと報告を済ませたところであった。


「来たか、111111112。どうやら、予定が大幅に前倒しされたようだ。第1の殺人が起きるのは0時ちょうど、ここ非常階段になっている」


 非常階段には、無惨むざんにも打ち捨てられた警備員の亡骸なきがらが3体、2階の踊り場に折り重なっていた。


 ナインワンの現場検証(誤差0.00000001%以下)によると、首に小さな刺し傷があり、人の手によるものだということ。

 3名はほぼ同時に殺害されているところから、かなりのナイフもしくは刀の使い手であり、プロの手口であること。

 わずかに残る獣臭から、殺人犯が何らかの目的で被験体Xを連れ出したことは間違いない。とのこと。


「それと、先程生き残った警備員同士の通信を傍受ぼうじゅしたが、犯人の手掛かりになる言葉を見つけた。“例の黒いフードーThe Black Hood” と彼らは呼んでいた」


「ブラックフッド?」


「それに、もう一つ。 “白銀の死” という言葉も、何度か耳にした」


「白銀の…?」


「警備員によると、どうやら白銀の死ともブラックフッドとも呼ばれる者は、この研究所では何度となく現れ、すでに何度か檻を開けたり研究機材を壊すなどの被害を出しているようだ」


「でも、人に直接害を及ぼすことは…?」


「1度としてない」


「だよね…」


「…そろそろだな」


というナインワンの言葉を合図にしたかのように、非常ベルが館内中に響き渡り、今度は1階の方で人々の叫ぶ声が聞こえ出す。


————32————


「ナインワン!?大変だ!1階で事件が勃発ぼっぱつしたみたいだ!行かないと!」


 立ち上がり非常階段を駆け下りようとしたとき、ナインワンから強い力で引き止められる。


「抜かりはないと言ったであろう。盗聴器もカメラも全方位に仕掛けてある。我々がえて目視する必要もあるまい」


「え…でも!」


「すべては予定調和だ。更新された事件記録と、時刻も場所も人数も一致している」


 しかし、わたしは彼の手を振り払うと、足は自然に1階の食堂に向けて走り出していた。


「あんの…馬鹿が!」


 背後からナインワンの悪態を浴びせられながら、その身に感じたのは、それまで幾度となく支配してきた恐怖や罪悪感より、高揚感が優っていた。


「わたしたちにも、まだ出来ることがあるかもしれない」


 言いようのない使命感にも似た晴れ晴れとした気持ちが、わたしの心を内側から解き放ってくれている気がする。


 悲劇的な戦慄せんりつの調べは、刻一刻と館を恐怖へと落とし込んでいくのに、なぜだかわたしの心は踊り始める。


 それはさながら、観客を恐怖の旋律とともに舞台の登場人物とシンクロさせる、極上の舞台演出のようであった。


 いつか書物で読んだ、戦場に向かう兵士の気持ちは、このようなものだったのだろうか。


 食堂の観音扉かんのんとびらがすぐ目前まで迫った頃、わたしの身体は手を扉にかけた状態で凍りついたように動かなくなる。それは、ナインワンによる絶対服従の力ー決してあらがえない絶対的な力であった。


《あと…あと少しで…扉の向こうに…》


「まったく…仕方ない。お前に我々の真の役割を教えてやろう」


《真の…?》


「我々の目的は、過去の事件を監視することだが、ただ記録するだけではない。当然、被害者を救うことでは決してない」


「真の目的はー【殺人が記録通りに “きちんと” 行われるよう、見届けること】にある」


《ナインワンは…何を言っているの?》


「まだ、分からないか。【起きるべき殺人事件が “起きるように” 誘導する】のが、我々の本来の役割なんだよ」


————33————

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