【第1章 1】[過去]ことの始まり

 我々は——時空監視官——通称タイムキーパー。内輪では、TKと略されることが多い。


 TKの中でも、新人が配属されるのが【Time Keeper Archives 記録保管省】であり、その監視官を【Time Keeper Archivist 記録官】と呼ぶ。TKAと略される。


 TKAは常に1チーム2人以上で行動をし、チーム内は偶数になるように調整してある。


 過去にのみ【Time Leap タイムリープ(時空移動)】することが許可され、【Time Gate タイムゲート(時空扉)】を通ることが義務付けられている。


 自由に過去と未来を行き来できていた際に起きた事件を境に、個人的な目的によるタイムリープは禁止とされた。


 今では、時空移動ができるのはタイムキーパーだけに限られている。さらに、時空移動が可能であること自体が、タイムキーパーとコンピューターしか知らない事実となっている。



 ここで、タイムキーパーについて簡単に説明しておく。


 タイムキーパーは誰でも希望すればなれる、というものではない。胎内たいないにいるうちから適性を判断され、誕生とともに振り分けられる。


 特にこの職業に就くものは厳選げんせんされ、成人までに英才教育を受け続ける。まず、アカデミーと呼ばれる特殊な学校に入学する。5歳から15歳まで様々な技能、頭脳、身体能力を伸ばす教育を施される。さらに、15歳から18歳までは、あらゆるトラブルに対応できるよう、特殊な訓練を受ける。


 生まれながらにして———エリート———と呼べるのかもしれない。しかしながら、一般には知られていない存在であるので———


えんの下の力持ち、って言葉知ってる?」


 隣で難しい顔をしながら報告している相棒に、ふと問いを投げかける。



 常に行動を共にしているこの男は、【Nine One ナインワン】。通称、“奇跡の男”と呼ばれている。


 世界認識番号GIN “111111111” から、わたしだけ、ナインワンと呼んでいる。


 奇跡と呼ばれる所以ゆえんは、ナインワンが何においても完璧であるということである。仕事も完璧にこなし、知識も豊富、運動神経もずば抜けている。


 容姿においても、先程人は似たような顔をしており、大別できてもせいぜい7種類であると記述したが、ナインワンだけは別である。金色のふんわりとした髪の毛と、彫りの深い端正たんせいな顔立ち、モデルのような9頭身はありそうな体躯たいく


 彼だけは誰にも似ていない…オンリーワンなのである。


————8————


 我々タイムキーパーは、主たる役割を隠し、スポーツ選手を隠れみのにしている。

ナインワンはその中でも別格、スポーツ界では英雄としてあがめられている。


 その英雄とまったく同じ場所、同じ時刻にこの世に生を受けてしまったのが、わたしというわけだ。


「そんな旧時代の言葉、知っていても使う必要などない」


 ナインワンはいつも通りのぶっきらぼうな態度で、こちらを一切見ずに黙々と仕事をこなしている。


「こういう昔の言葉こそ、潤いのなくなった今の世界で使うべきだと思うんだけどね」


 わたしは聞いているのかさえ分からない者に向かって、半ば独り言のように話す。


 そうなのだ。ナインワンが特別感情がないわけではない。わたしが、他の者とは考え方がずれているようなのだ。いわゆるマイノリティ…この言葉もきっとナインワンに呆れられるだろうな。


 などと一人で考えを巡らせていると、隣の部屋から物音が聞こえる。


 “ しっ!!! ” ナインワンは手で合図をすると、幾つもあるドアの中から1つを的確に選び出し、監視盗聴器(付近10m圏内の映像と音声を自動で探知し、記録する装置)を仕掛ける。それからわたしを隣の部屋にうながすと、2人で “事が起こる” までクローゼットに隠れることにする。


「今日の任務は、特に難しい事はない。隣室において殺人事件が起こる。記録によると、家族4人のうち父母息子の3名が命を落とす。我々は、順を追って記録すればいいだけだ」


「残り1名は助かるの?」


「娘は生きながらえる。友人の家に泊まっていて、難を逃れたようだ」


「そう。良かった」


「111111112は変な事を言う。ただ記録すればいいだけのこと。1名助かろうが、今更だろう」


 ナインワンの言う事はもっともである。千年も前のことに、いちいち感情を動かされる方が、きっとおかしいのだ。それよりも…


————9————


「111111112はやめてくれ。ナンバーツーか、ツーでいいだろう?」


「何を言っている。111111112は正式な呼び名ではないか。あだ名など、わずらわしいだけ。しかも————」


 わたしは説教を始めた男を横目に、これから起こるであろう事件に思いを巡らす。


 なぜ、この家族は殺されなければいけないのだろう。

 家族を失い1人生き延びた少女は、孤独に生きていけるのだろうか。

 監視する以外に、我々にできることはないのだろうか。


 毎日のように過去の事件をのぞき見しては、記録をしたのち報告。

事件などなかったかのように忘れ、次の現場へ向かわないといけない。


 感情を殺し続けているせいなのか、元々なのか———わたし以外の時空監視官は、総じて無機質で仕事一辺倒しごといっぺんとうだ。


「そういえば、この時代は何が流行していたんだっけ?」


 わたしは出し抜けに、益々険しい表情になっている男に問い掛ける。ナインワンは人間辞書のように、いかなる情報でも記憶から引き出せる。


「それ、今必要な情報か?まあ、いいだろう。2015年8月19日、この時代は、マスコットが横行しているようだな。ゆるキャラだとか言うらしい。2000種類も似たようなキャラクターがいたようだな」


「あ!あのベッドの上に置いてあるクマのぬいぐるみもそのひとつかな?」


「そう、2000年代に流行の兆しを見せ始めたゆるキャラは、あのクマをモチーフにしたものを皮切りに……………しっ。隣の部屋でどうやら動きがあったようだ。111111112はその場で待機。わたしは窓の外に回り、監察してくる。絶対に見つかるんじゃないぞ」


 言い終わると、ナインワンは身をひるがえしてクローゼットから出て行き、音もなく窓の外に消えていく。


 流石さすがの運動神経。彼がみなの羨望せんぼうを一身に受けるのもうなずける。


————10————


カチャ…


 ナインワンが出て行ったのとほぼ同時に、ドアノブの回される音がする。わたしは息を殺し、クローゼットの隙間から動向を見守る。


 1歩1歩と足音が近づくと共に、緊張が高まる。何度やっていても、この仕事に慣れない。


 なんとか吹き出しそうな汗を抑え、真っ暗な部屋を通り過ぎる影に注目する。


 足音の主がちょうどクローゼットの目の前を通りかかったとき、何か言い知れない違和感を覚える。右から左に移動していく影は、暗くてよくは分からないが、白っぽい服装をしていることは分かる。


 物音じゃない、はっきりとした音声を聞き、わたしは違和感の正体に驚愕きょうがくする。


「あったあった♪これがないと寝れないんだあ」


 鈴のように高らかに響く声の主は、クマのぬいぐるみを手に取ると、愛おしそうに抱きしめている。


 この珍しい光景に、わたしは少しの間魅入ってしまった。現時代(我々の住む時代)において、無機物の対象に対し愛情を示すことは、まずありえない。


 クマのぬいぐるみを持った人物は、何を思ったか、いきなりこちらに顔を向ける。


 その瞬間、本来一番に疑問視しなければいけないはずの問題に気づく。


《え………!!!少女じゃないか!友人の家に行っていて、いないはずの彼女が、なぜここに!?》


 窓の外から差し込む月明かりを背中に受け、白いのは服装だけではなく、長い髪の毛も透き通るような白であることが分かる。しかし、それとは対照的に少女の表情は闇に包まれ、まったく見て取れない。


「だれ?だれか、そこにいるの?」


 ひっそりと静まり返る空間に、少女の声だけがこだまする。


《気づかれたか?いや...そんなはずは...》


「おにいちゃん?もしかしてかくれんぼ?」


 最初よりは幾分か軽くなった口調で、少女はまっすぐこちらに向かってくる。


————11————


 近づく小さな影。

 大きくなっていく足音。

 遠くなりそうな意識を何とか留め、息を押し殺す。


 滝のように溢れ出す汗を背中に感じながら、わたしはようやく覚悟を決める。


 クローゼットに手がかけられ———隙間から月影がわずかに差し込む、その時———けたたましい悲鳴が、辺り一面に響き渡る。


 さらに、何かが壁に打ち付けられるような鋭い音と、鈍い低音が交互に繰り返される。一度でも聞いたことのある者であれば、この音の正体を知ることは容易たやすい。しかし、初めて聞く者にとっては、ただ得体の知れないものに恐怖するしかない。


 扉に手をかけたまま、少女はしばらくの間、固まっていた。


 クローゼットの扉を隔てて、2人は固唾かたずんで状況を見守っていた。狂気の調しらべが、壁を隔てたこちら側でも伝わってくる。泣き叫ぶ声はものの数秒で消え去り、後にはリズミカルに鈍い音だけが繰り返される。


 それも、長くは続かなかった。時間にしたら1分もしないうちに、辺りは静寂に包まれる。


 そのとき、玄関をガチャガチャと開ける音が聞こえる。


「ただいまー。お腹空いたー」


 悲劇に全く気づいていない陽気な声は、靴を脱ぐと階下を歩き回っているようだ。


「あれ…母さん?父さん?いないの!?」


 快活な少年の声も、さすがに違和感に気づいたのか、階下を探し回った後、階段を急いで駆け上ってくる。


「お…おにい…ちゃん?」


 やっと聞き取れるほどにか細い声で、少女は兄に呼びかけるが———その声が届くはずもなく———少年はこの部屋の扉の前を通り過ぎると、隣の部屋のドアを開ける。


————12————


 刹那せつな————


 再び、周辺が凄惨せいさんな音色一色に包まれた。


 少年のわめき声がし、それとほぼ同時に床を転がるような音がする。

それに男性らしき人物のうなるような怒号が続く。

床を激しく打ち鳴らす音と、不規則に駆け回る音…

おそらくは激しい攻防を繰り返しているのだろう。


 しかし、音は次第に一方的なものへと変化する。圧倒的な優劣がついたようだ。


…時間にして1分47秒…


 男の奇妙なつぶやきだけを残し、若い芽は呆気あっけなくまれた。


《記録は…ここまででいいだろう…》


 わたしは自分の耳に仕込まれた記録機【デバイサー】(録画と録音を視覚、聴覚を通して行なえる)を終了し、扉の前で立ち尽くす少女に気づかれぬよう、音もなくクローゼットからい出し、月明かりだけを頼りに窓から出ようとした———その時———廊下からかすかに人が息づく音が聞こえてきた。


《兄が、まだ生きているのか?》


 急いで記録機に手をかけようとした時、白い影がドアノブを回す音を耳にする。


 その瞬間、思いもよらないことが起きてしまった。


 自分の手に柔らかい感触を感じ、わたしは驚愕する。

少女を制止するため、わたしはほとんど無意識のうちに彼女の体を後ろから包んでしまったのだ。

前方にしか意識を集中していなかった少女は、後方からの接触に、思わずか細い悲鳴を発する。


 そして、思った通りのことが起こる。


————13————


 その声を聞き取ったのはわたしだけではなかった。

きしむ廊下の床鳴りと、規則正しく打ち鳴らされる金属音、それに何かを引きるような不快な音と共にドアノブが回転した。


 わたしは少女の口を手でふさぐと、瞬時にクローゼットに少女と共に飛び込み、息を殺す。


 その者は乱暴に扉を開け放つと、荒い息を吐きながら、そこら中を乱暴に荒らし始める。クローゼットの前を男が通過する度、クローゼット下部にあるルーバー状の隙間から入ってくる月明かりが怪しく揺れる。


 男が子供用のベッドを掻き回したとき、そこから小さな人形が落ちる。先程まで少女が手にしていたゆるキャラと呼ばれるクマの人形である。


 そして、男が床に落ちたクマの人形を手に取ると、人形の腹が悲鳴のような音を奏でた。


「ちっ………ただのぬいぐるみか」


 人形が奏でた悲鳴を少女の悲鳴と勘違いした男は、イライラを募らせたのか、部屋の真ん中に引き摺ってきたかつて兄だった物を踏みつける。幾度も繰り返される兇行きょうこうに、体からは割れた水風船のように赤い飛沫ひまつほとばしる。時折、クローゼットのルーバーの隙間から血煙が数滴、内部に入り込む。


 手の中の少女は、隙間から漂ってくる男の狂気と憤怒の香りに、小刻みに体を揺らしている。


 それでもまだ物心がついて間もないであろう小さき体には、声を発してはいけないという、生物が本来(時空歴以前)持っていた危機回避能力と呼ばれるものが備わっているようだ。


 これはわたしの時代においては、危機自体が無縁であるため、一般人には既に失われた能力でもある。とは言っても、わたしが今まで取り扱ってきた過去の事件でさえ、これほどまでに能力を発現した子供を見たことがなかった。


 では大人には備わっていたのか?と問われれば…それも襲われれば体が自動的に反撃する者はいても、野生動物の如き野性の勘と呼べるまでの能力は、わたしの知る限り過去の記録にも残っていない。


 我々タイムキーパーの中には、あえてこの能力を引き出そうと訓練をする者もいるが、それでもごく少数と言える。


 この少女の行動全てが、わたしの興味を引いたことは間違いなかった。


 太古の昔には、生物と人間において大きく隔たりもなく、危機回避能力は全ての生物に備わっていたと言う。この本来持っていた能力を少しずつ失っていったのも、安全神話による弊害へいがいと言っても過言ではない。


————14————


 十分過ぎる時間、その男は亡きがらもてあそぶと、どこかへと消えて行った。


 静寂に包まれた子ども部屋に残されたのは、微動だにしない幼体と、対照的に芯から興奮に沸き立つ男だけであった。


《やはり、昔の人々はおもしろいな》


 たった今見た光景に、かつてないほどの研究意欲が掻き立てられ、腕の中の少女の変化に気づかないでいると———不意に少女が声もなく立ち上がり、クローゼットの扉を開け放ち、出て行ってしまった。


「待った!そっちへはまだ———」


 わたしは言いかけた言葉を飲み込んだ。なぜなら、すでにむくろとなった兄の血だまりの上、微動だにせず見下ろす少女の姿があまりにも美しかったからだった。


 声も発さず、涙ひとつ流さず、ただただ床のシミを見るような瞳は、血だまりの鮮血よりも赤く光り輝いていた。


 そして、少女は何事もなかったかのように、赤く染めた白いワンピースの裾を揺らしながらベッド脇まで歩いていくと、再びクマのぬいぐるみを抱いて、わたしにささやきかけた。


「この子だけは、助けて」


と。


————15————

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