第3話 外柔内剛(3)

 大きな手足が、転がった大きな箱を踏み潰す。



グシャリッと悲鳴を上げて潰された箱は、平たく伸ばされた。されど、影は歩みを止めることは無く、そして身体全体が姿を現す。



輪郭は揺らめき、こちらを向く影の先端には、大きな赤い瞳が二つ、煌煌と輝いている。四足歩行する影は、手足が長く、大きな犬に似た姿をしていた。



「な、なんだよ!こいつは!?」



男は恐怖に身を強張らせ、その場で立ち尽くす。そこへゆっくり、しかし確実に1歩、また1歩と進む怪物は、私の座るベッドを踏みつける。



バキッと、ベッドが真ん中から折れてベッドの端で茫然と座る私はバランスを崩し、床に叩きつけられた。



「…カハッ」



床の堅さに体がしなり、呼吸が一瞬できなくなる。



「やめ、来るな!来るなぁぁぁぁ!」



周囲には絶叫が響き渡り、その惨たらしい残響は耳に残り続ける。逃げ出そうとした男の足を、触手のように怪物の背から伸びたが絡め取り、身体は宙釣りにされた。



「ひっ」



怪物が持つ深紅の瞳が、男をほぼゼロ距離で捉える。男は絶望に震え、みるみる顔面蒼白になっていった。



 しかし、そこで事は終わらず、影は男が下へ垂らした腕に向かい、勢いよく頭を振る。



「あああああああああああああ」



悲痛な叫び声が、部屋中に響き渡る。男の腕は影に包み込まれ、こちらからは見えない。



しかし、直感的に分かった。腕に噛みついたのだ。



男は痛みに顔を歪めながら必死に抵抗するが、下から振り上げられるもう片方の腕は、虚しくも実体のない影に触れることができていない。



影は、ひらりひらりと腕が通過した箇所から崩れ、またかたどる。そして腕を覆う影は動き出す。



ブチブチと何かが千切れる音と、より強くなる叫び声。



私は、その惨過むごすぎる情景から目を逸らすことしかできなかった。



形が一部欠如してしまった男に襲われていた時とは違う恐怖…まるで死が具現化したような恐怖に耐えきれず、私は嘔吐する。



涙は出ない、汗も出ない。何も感じない。血の巡りが急激に下がり、激しい頭痛にも襲われる。



ドンッという鈍い落下音が前から聞こえ、逸らしていた目線を元に戻す。



そこには、職種から解放され、その場に倒れ込む男の姿があった。



もう生きているのが不思議に思えるほどの広がる大量の血に浸る彼の身体は、対局に、手足が片方ずつ足りていなかった。



倒れ込む男は、ゆっくりとこちらを見る。目からは光が消え、意識は朦朧としているようだった。彼は口パクパクと開閉し、ほとんど聞こえない、かすれた声で私に訴えてくる。



「…けて」



「助けて!」




グシャという音と共に、男の顔が消えた。顔のあった位置には、大きな影の塊が鎮座し、悲しい懇願は虚空に消え、残酷な静寂が訪れた。

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