第2話 七転八倒(2)
部屋から飛び出した私は3人の男性に追いかけられていた。逃げるため、走る廊下には無数に感じるほどの病室の扉が左右に陳列されており、しばらく一本道が続いた。
後ろとの距離が徐々に縮まっていき、後、数十秒もすれば捕まってしまいそうだ。そのまま廊下の突き当りまで走り、横に曲がる。その先にもまた同じような一本道が続いていた。
「だめだ…このままじゃ…捕まる…」
息も絶え絶えになりながら私は頭をフル回転させる。どうしよう、どうしよう。
「こっち!」
「え」
急に聞こえた呼び声に反射的に呼び寄せられ、陳列されている中にある扉を開いた。
「早く閉めて!」
「あ、はい」
そこには一人の若い男性が病室に設置されているベッドの脇で車いすに座っていた。後ろにある扉の先で怒鳴り声が聞こえた。
「どこ行った!」「出て来い!」
その声を聞いた私は怯み、その場で膝を折り、肩を抱いた。すると、車いすが動き、カラカラと車輪がこちらに近づいてくる。
「大丈夫、外の連中が居なくなるまでここに居ればいい」
そう言って彼は肩を抱く私の手に手を重ねた。久しぶりに感じる他人の温もりを感じ、私は徐々に落ち着きを取り戻した。
しばらく私は彼から流れてくる暖かさに身を任せ、凍てついた心をじんわりと溶かしていく。動けない私の手を、この男性はずっと包んでいてくれた。
「落ち着いた?」
優しい声音で紡がれる言葉はすっと心に入り込んでくる。私は目の前の人物のペースに合わせるようゆっくり頷く。
「立ち上がれるかい?」
「はい…」
促されるまま、ゆっくりと立ち上がる。私は背があまり高くは無いが、この人は車いすに座っているため、先ほど目線の上にあった顔が、下へと落ちた。
彼は私を見上げ、少し羨望のまなざしを向ける。
「あ、あの…」
男性は私の言葉に、はっと息を吞み、わざとらしい咳払いをして、その顔に笑顔を張り付けた。
そして何も言わず、車いすを後方へ反転させると、カラカラと元のベッドの脇まで戻った。私もその後に続き、ベッドの脇に行くと、そこには立派な千羽鶴が吊るされていた。
私の視線に気づいた彼はゆっくりとその千羽鶴に触れる。
「これはね、昔、部活動をしていた頃に貰ったものなんだ。」
そういうと彼は昔を懐かしむ様に、ここには無い遠くを見つめる。よく見ると千羽鶴の鶴は幾らか色褪せてしまっていた。
「まぁ、もう5年ぐらい前の話だけどね」
苦笑する彼の顔を、なぜか私は直視できなかった。
「君の名前は?」
「私はり…」
そこで一瞬固まり、驚愕する。今純粋に、反射的に、すんなりと出てきた名前は本当の私の名前ではない。名前をたやすく騙ろうとした自分自身に私は少し恐怖した。
「大丈夫?ごめん、俺が変なこと聞いたね。」
顔面蒼白になった私を心配するかのように男性は近づきながら顔を顰(しか)める。
私は必死に首を横に振り、震えながら名乗る。
「つば…つばさ…」
「つばさちゃん、翼ちゃんね。ありがとう。俺は
そう言って、吉岡さんは膝を叩く。私の視線は自然とそこに向く。でも、包帯やギブスはされていない。
「これね、もう一生動かないんだって。下半身不随って言うんだって。」
少し自分から乖離した位置から足の事を話す吉岡さんは、まるで自分の事じゃないみたいに続ける。
「今朝も自力じゃ起きれなくてさ、笑っちゃったよ。」
そう言って、笑う吉岡さんに、私は何かが壊れてしまっているのだと悟った。
「って、ごめんね。翼ちゃん、ここから出たいんだよね。」
思い出したかのように、吉岡さんは私が逃げていたことについて触れた。私は急な話題転換に、少し動揺しながらも頷くことで肯定の意を示した。
すると、またカラカラと吉岡さんは車いすを動かし、病室の扉の前に移動した。
「扉を開けるから、ベッドの後ろに隠れて」
こちらを向かず、私に注意喚起をしてくれた吉岡さんの声は、出会った頃の暖かさを微塵も含んでいないかのような声だった。
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