第36話 あらためまして、宣戦布告②



 四人は、夜の町に出た。

 今夜は風もなく、息苦しいような熱気に包まれている。


「まだ暑いな」

「来週になれば、九月に入るのに」

「残暑も厳しいで、東京者。なあなあ、例のじゃんけん、またやるで。ペアで朝まで過ごすってルールはどうや? うち、玲と組む」

「危険です。それに私、祥子さんと組むことになったら、どうしたらいいの」

「喰ったる。うち、女の子もいける」

「ええっ、祥子。そんな趣味?」


 玲が立ち止まった。類も引いている。そしてふたりは結託した。さくらの両脇に立ち、それぞれ手を取った。


「さくらは渡さない」

「ならば、奪うのみ」

「……きょうだい揃って騎士気取り、か。あーあ。冗談も通じんなんて」


 祥子は到着したバスに、さっさと最初に乗り込んだ。


 乗客はいない。最後部の長い座席に、祥子がどかんと座った。酔っているので、動作が雑な上に、大股開なため、きれいな脚が丸出しだった。


 さくらは、類に寄り添っている。


「類くん、この読み取り機にカードをかざして。そうそう、ピッと音が鳴るまで」

「ここに?」

「うん。上手」


 バスの乗り方を指導していると、玲が横目で類のパスケースを確認した。


「……色違いかよ、ちっ」

「夫婦でお揃いのパスケース。ふふっ、いいでしょ」

「これは、お誕生日プレゼントなの。類くんへ」

「……俺は、祝ってさえもらっていないな」


 そうだった。また忘れていた。玲のバースデー企画。

 さくらはあわてて祥子の隣に座り、うとうとしかけている酔っぱらいの肩をたたく。


「祥子さん、駅前でいいお店、ありませんか? 玲のお誕生会をしたいんです」

「はあ? 玲のお誕生日って、五月の話やないか。八月も終わろうとしとるゆうのに、追加ちゃんはどんだけおっとりしとるんや」

「玲のお祝いなんて、めんどくさー」

「じゃあひとりでするよ。玲、どこか行きたい? なにがほしい? 叶えられるものなら私、がんばる。あ、玲にもお揃いのパスケースをプレゼントするね」

「さくらがほしい」


 間髪入れずに玲が、珍しく直情的なことを述べた。そのまま、さくらの身体を抱き寄せる。バスの揺れなのか、自分の鼓動なのか、心が激しく動いている。


「隠さない。逃げない。俺は、さくらが好きだ」

「勝手になにすんだよ、ぼくの花嫁に!」

「あんなの、よくできた作りものだ。二次元では名の売れているモデルだからって、現実と虚構をごっちゃにするな」


 バス車内はクーラーが効きすぎているので、玲の身体がとてもあたたかい。

 でも、みんなに見られてとても恥ずかしい。


「ねえ玲、父さまとの約束は?」

「ここは町家の外だから。血判は無効」


 そ、そうか。あの誓約書、けっこうゆるゆるでずさんっていうか、いいかげん? 父さま、甘い。でも、公共の場でこんなこと、していいのかな……玲の腕の中だよ、腕の!

 ふと、隣を見れば、心地よいバスの揺れに加えてアルコールがまわったらしい祥子は、ぐうぐうと寝ている。

 ほかに、乗客もいなかった。


 ま、いいか、たまにはこのままでも。さくらは、目を閉じて玲の胸に顔をうずめようとした。


「ずーるーい! ぼくも、さくらを抱きたい。だっこー!」

 

 しかし、万年発情期の類は、さくらたちを許さなかった。狭い隙間に入り込み、玲とさくらを引き離そうとしてくる。しかも、類はどさくさにまぎれてさくらの胸やら脚を触ってくる始末。転んでも、ただでは起きない。


「いやいや、無理だから無理無理」

「ケダモノはあっち行け」



 そんなこんなで、片道約三十分。奇妙な四人を乗せたバスは京都駅に着いた。

 そして、再び暑さに包まれる。


 西陣と違って駅前はいつまでも明るく、人も多い。類は変装用のメガネをかけた。

 バスを降りるときに、玲からたたき起こされた祥子だが、まだ眠そうに目をこすっている。足もともおぼつかないので、仕方なく玲とさくらが支えてやっている。


 お酒は、のんでも、のまれるな。



「……あ。あそこやねんけど、人だかりができとるわ」


 祥子が指さした先には、若い女性を中心にした群れが、立ち止まって北澤ルイのポスターを眺めていた。

 同じポスターが十枚ほど、壁一面にずらりと貼り出されている。


 壮観だった。


 観光都市・京都に、軽井沢のホテルのブライダルフェア用ポスターをずらりと掲示するなんて、かなり挑戦的なことをしかけてくるものだ。

 京都には、挙式のできるホテルがたくさんあるし、平安装束で結婚式ができる神社もあるというのに。


「派手!」

「オトーサンの会社、やるね。オトーサン、子どものおかげで出世しちゃうんじゃない?」

「そうかな」


 さくらは、注視できなかった。テレビで観るのとは、まったく違う。ここは公共の場で、ポスターに反応している生身の人たちがいる。


 熱い頬をおさえ、下を向く。それでも、ざわざわ感がさくらの耳を襲う。



『ルイくん、かっこええ。十八とは思えへん、色気と麗しさ』

『年下でもええ、結婚しとうおすえ』

『こんだけ成熟しとってもまだ十八やさかい、結婚は難しいやろ』

『このポスター、ほしいわ』

『相手の女モデル、ほんま役得。ずるい』

『ほんま、何様か』

『うちの近くにおったら、叩きのめしたるで。グーで』

『鴨川に沈めたってもええな』


 殺伐としたことばも漏れ聞こえてくる。類は、さくらを支えた。


「さくらには刺激が強過ぎたかな。これが現実だけど」

「ううん、だいじょうぶ。中傷には負けない。しろうとのくせに、人気者の類くんと顔出しで共演なんて、普通あり得ないし。覚悟していたこと」


 さくらは首もとから、そっと指輪を取り出して見た。お揃いの、マリッジリング。類が好きという気持ちに偽りはない。ただ、玲も変わらず好きだという点を除いては。


「あほらし。追加ちゃん、あないな一般庶民の戯言を真に受けたらあかんえ。追加ちゃんは、最強きょうだいに激愛されとるんやし、もっと自信を持ちなはれ。うちも、さくらのことは嫌いやあらへん」

「うわっ、さくらの人たらし。祥子まで、攻略するなんて」

「そんなつもりは全然ないよ。祥子さんって、正直苦手です。玲も類くんも、手玉に取る人ですよ」

「手玉はあんさんのほうや、さくら」

「意地悪。もう、帰ります」

「お子さまのさくらは眠くなったとか? 玲のパーティ、やるで。ええか、朝まで! ハシモも呼ぶで」

「ぼくの正体が割れない店を選んでよ?」

「もちろん。個室もあって、乱交がでけるクラブや。さくら、なにごとも経験。オトナの社会科見学やで!」

「ええっ? 怖そう……」


 笑顔の祥子にがっちりと肩をつかまれたさくらは、逃げ道を失った。もとは、さくらが言い出したことなのだ。


「いーねー! 覗きできる? それとも、さくらとぼくが個室入り?」

「夏休みの学生はお気楽でいいよな。こっちは、明日も仕事だっていうのに」

「玲はいちいち、発言がじじくさいんだよ」

「主役が悲観的なこと、言わないで」


 さくらは玲を引っ張った。さらに類がしがみつく。

 四人は組み合うようになって歩きはじめる。

 お、重い。


 このままずっと、みんなでこうして楽しくにぎやかに過ごせればいいのに。誰かを選ぶなんて苦しいこと、ほんとうはしたくない。

 けれど、自分は選ぶと決めた。玲と類の誠意に応えたい。



 騒々しい四人は、京都駅をあとにした。

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