第35話 あらためまして、宣戦布告①

 翌日以降も、京都は暑かった。残暑がきつい。


 玲はいつも通り、修業で忙しい。

 類はさくらのあとを追いかけたり、たまに受験勉強をしている。


 もらってしまったマリッジリングは、類の許可を得たあと、チェーンに通して首からかけておくことにした。身につけておけば、指から外してもいいという条件だった。


 類はもちろん、これ見よがしに左手薬指にずっとはめている。

 見る人が見たら、類は既婚者なのかとぎょっとするレベルだ。

 勉強の合間など、たまに、にやにや笑ってじっと見入っている。



 例の、ブライダルフェアの予約が九月中旬からはじまるそうで、完成したパンフレットの見本がさっそく届いた。撮影から編集・印刷まで、超異例の早さだと、類は驚いていた。


 見本を一読したあと、類は室内をジャンプしながら駆け回り、全身でよろこびをあらわした。


「これは、間違いなく話題になるね。ある意味、問題作かも!」


新婦を迎えた北澤ルイの光り輝く表情は言うまでもなく、しろうとモデルであるさくらの初々しさが愛らしい。さくらの顔はあまり隠されていない。横顔など、知人が見たらルイの相手はさくらだと気がつくレベルだ。


 玲は絶句した。

 祥子は祝福した。


「演技だ、演技だよなさくら、これは」


「いや、こないに真に迫った顔、人前ではできひんわ。ふたりは神に誓ったんよ。玲は身を引くんやね、うちがたんと慰めたる」

「いやだね」

「そやかて、このふたりは公認の夫婦同然やで」

「設定だろ、ただの。こんなのに許可を出すなんて、涼一さんもどうかしている!」


 怒りのあまり、玲は取り上げたパンフレットを台所のコンロの火で燃やそうとした。

 類が飛んできて、横から止める。


「乱暴だなあ、なにするの? これは、ぼくとさくらねえさんとの共作だから。共同作業。意味、分かる? ぼくたちの間に生まれた子どもみたいなものだから、粗末にしたら許さない。それに、これだけを処分したってどうしもようもないよ? まず、二万部を刷るって。それとも、玲は残りの一万九千九百九十九部も残らず始末するつもり?」

「だが、さくらは本気じゃない。アルバイトだと、言った。北澤ルイの相手モデルは誰なのかって、きっと詮索がはじまるぞ、かわいそうに。このアルバイトのせいで、傷つくのはさくらだ。お前で、守りきれるのか?」

「本気じゃなくてこんな顔、できるかって。さくらねえさんは、ぼくに惚れはじめている。ぼくが迫っても、拒否しなくなってきたし、婚約しちゃえば守れるし、なにも問題ないよ」

「お前がしつこいからだ。さくらは、やさしいから」

「やさしいだけじゃないよ、さくらねえさんは強い。こんなきょうだいに挟まれても流されないで、結論を出そうと悩んでいる。ねえ、さくら?」


 台所で洗い物をしていたさくらは、振り返った。


「類くん今、私のこと、さくらって呼び捨てにしなかった?」

「もう、『さくらねえさん』呼びはやめ。さくらは、ぼくのねえさんじゃない。ぼくの大好きな、いとしい女だもん」

「……私にも、見せてくれる?」


 洗い物の手を止めて、さくらはぱらぱらとパンフレットをめくった。


 よくできていた。

 自分とは思えないほどに、きれいに映っている。

 特に、北澤ルイと見つめ合っている場面。新郎を、愛しているという気持ちが、しみじみと伝わってくるいい写真だ。


「そういや、それ。京都駅に貼ってあったで。どかーんと」


 いつの間にやらすっかり、きょうだい町家の居候と化した祥子が口を挟んだ。


「まじで? 北野リゾート、仕事早い」


 夕食後、つけっ放しにしていたテレビからも、ブライダルフェアのコマーシャルが流れて来た。


「すごい、コマーシャルまで。もう、作ったんだ?」


 ナレーションは北澤ルイ。甘い甘い、ささやき声。

 正装に、天使のほほ笑み。

 ブライダルブーケを画面に向かって、やさしく差し出す。



『結婚しよう、ここで。もう、離さないから』



「ぎゃーっ!」


 祥子が絶叫した。


「むむむ、無理。無理過ぎ。こないな浮気もんが、結婚とか(笑)、あり得へんって。しかも十八歳が。ないない! まるでファンタジーや。鳥肌が止まらんわ!」

「さくらのことなら、ぼくが絶対に守る」


 コマーシャルに使用されたフィルムでは、さくらの登場はベールをすっぽり被った後ろ姿だけだった。この使い方なら素性は隠せるだろうが、パンフレットは波紋を呼ぶだろう。


「これは仮想だろ、さくら?」

「う、うん。仮想やファンタジーというか、アルバイトだけど」

「あー、それを言うの? 指輪を交換しておきながら? そのほかにも、新婚夫婦がするような濃ゆーいいちゃいちゃをしたよねえ。忘れたとは言わせないよ。けっこう気持ちよかったんでしょ。お顔の表情が、いとしの類くんに向かって溶け出していたもん」

「類くん、それは。違うの、玲! あのね、誤解しないで」

「ぼくは、誓いのキスもした、新郎でしょ?」


 それを聞いた玲が愕然としている。


「いや、いい。今の俺には、たとえ相愛でも、黙って見守ることしかできない。でも、駅のポスターは気になるから、とりあえず俺は京都駅まで行く」

「うん、ぼくも見たいな。出来映え」

「祥子、どのへんに貼ってあったんだ?」

「そんなら、うちも行くで」


 みんなが行くなら。さくらも立ち上がった。

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