第34話 送り火に誓う②-2

『……く、ら。さくら』


 そっと、前髪を掻き上げる手の感触がある。心地よい。

 覚醒しそうでしない、さくらの意識を揺るがす声。


『さくらね・え・さ・ん?』

「ええっ!」


 さくらはがばりと起き上がった。その拍子に、さくらを覗き込んでいた類と頭をぶつけてしまった。やはり、自分は思いっきり寝ていたらしい。


「ちょっと、痛いなもう。これ以上モデルの心身を傷つけるの、やめてくれない?」

「る、類くん。ごめん……それと、おかえりなさい」


 いつからここに、と言おうとしたが、類の手で声はさえぎられてしまった。口もとを、ぎゅっとおさえられている。


「ぼくの指輪、しているんだね。さくらねえさんにしては、やるじゃん。上出来!」

「しょのことで、はなしぎゃありゅの」


 そのことで、話があるの、と言おうといたけれど、うまく発音できない。


「なにを言っているのか、ぼくにはさっぱり理解できないな。ああ、勝手に京都へ戻ったお仕置きがしてほしいと。ぜんぶ、ぼくに奪われて、めちゃくちゃにされたいと。けっこう積極的だね。ま、いいけど」

「ふがが」

「ぼくねえ、今すごく怒っているんだ。機嫌が悪いよ。花嫁が新郎を置いて失踪するなんて、あり得ないよ。いくらさくらねえさんの願いでも、聞けなさそう」

「そのへんで止めておけ、類」


 すぐそばに、玲と祥子が座っていた。祥子は優雅にビールを飲んでいる。さくらが、仮眠から目覚めるのを、みんなで待っていてくれたらしい。身体の上には、タオルケットがかけられている。恐縮しかない。


「追加ちゃんから、なにやら大事な話があるゆうさかい、わざわざ来てやったのに、ぐうぐういびきかいて寝とるなんてね。類のお仕置き、受けたほうがええんちゃうか? 見届けたるで。なんなら、動画に撮ったるわ」

「ごめんなさい、ほんとうに。玲にも謝る」

「いや、いい。早く、はじめよう。座って。姿勢、正して」

「ほら。お茶」


 類がお茶を運んでくれたけれど、中身は玲が淹れてくれた、冷たい煎り番茶だと思う。香ばしい茶がさくらの鼻腔をくすぐった。

 しかし、類も仕事と移動で類も疲れているに違いないのに、機敏と動くさまはさすがに若い男子。


「ありがとう、みんな。迷惑ばかりかけちゃって」

「そうそう、殊勝な態度がいちばんだよ、さくらねえさんは。ぼくに、奥までがんがん突っ込まれても文句は言えない立場だからね、今は」


 うわあ、言い返せない。


「類。いいかげん、さくらから離れろ」


 お茶を運ぶと称したまま、類はさくらの膝の上に跨って乗っていた。玲の指摘を受け、渋々と類はさくらから下りた。


「で、追加ちゃんの話、聞かせてな」


 すでに、祥子は酩酊している。焦点の定まらないとろんとした赤い目で玲に絡みつき、足を大の字に投げ出している。広がったスカートからは太ももまで見えそうな勢いである。なまめかしい。


「は、はい」


 再び、さくらは姿勢を正した。


「こんなふしだらな酔っ払いの言うこと、真に受けちゃだめだよ。さくらねえさんは、ぼくのことだけ見ていればいいの。好きだよ、愛しているよ。今夜こそ、一緒のベッドで寝ようね。ぼくは、この活動休止中に、大学合格と、さくらねえさんとの婚約・結婚を目標にしているんだ……って、痛!」


 玲は、本気のげんこつで類の頭を殴った。


「祥子と類は自己主張が激しいし、いちいちうるさい。しばらく黙っていろ。さくら、早く話を。俺はもう眠い」

「は、はい!」


 強引に促され、さくらは俯いた。


 どうしよう。

 でも、言うしかない。

 みんなの目が自分を見ている。緊張する。

 けれど、逃げられない。もう、逃げたくない。


「私、いろいろたくさん考えたんですが、すぐには答えが出ないんです。誠実さがないと、責めてください。ののしってください。失笑してください。こんな無責任な発言をしてしまうことも、ひどいと覚悟しています。それでも、選べない。ふたりとも大切で、迷っています。中途半端な答えしか出せない私にあきれたなら、どうぞ嫌いになってください。誰を選ぶか、答えは必ず出します。でも、それがいつなのか、約束できません」


 玲は視線を落とした。

 類はさくらを凝視した。

 祥子はぐっと残りのビールを仰いだ。


「あほらし」


 祥子がつぶやいて、カラになったビールの缶をさくらに向かって投げつけた。放物線を描いた缶は、さくらの頭に見事的中した。避けなかった。


「どんだけ少女マンガの主人公気取りか。玲も類もキープすると、はっきり言えばよろし。ふたりでもっと奪い合ってと、正直に願えばよろし。私を欲しがったほうが勝ちやって。ああ、ハシモも参戦させるか……もしもし、ハシモ。うちの追加ちゃん……さくらが、今は誰も選ばんって公言したんや。そうそう、ハシモも告白したのに答え、聞いておらへんのやろ。チャンスやでチャンス。とにかく、いちばんにさくらを押し倒して、孕ませた男が勝者やで!」


 祥子は橋本に電話をかけてそそのかし、さくらをいっそう混乱させた。

 そう、橋本への答えも、棚上げしたままだった。


「……祥子。孕ませるとか、過激だろうが」


 玲は怒ったけれど、祥子は聞いていない。


「ぼくは、孕ませエンドでも全然構わないよ☆」

「おいおい。超売れっ子モデルの北澤ルイが十八歳ででき婚とか、壊滅的なイメージダウンだろうが」

「いや、ぼくぐらいの立ち位置になると、そのほうが都合よかったりするし。さくらねえさんのおなかがある程度大きくなってから世間に発表すれば、結婚するしかないし。トップスターの私生活は制限されているからね、むしろ大歓迎!」

「自分でトップスターとか発言して、恥ずかしくないのか? それに、さくらは大学生だ。勉強が第一だと言われて、涼一さんから預かったんだ」

「トップにいるのは、真実だし。ぼく、奇妙な家に生まれたから、早くあたたかい家庭が欲しいんだ。さくらねえさんも、家族がたくさん欲しいでしょ? ねねね?」

「類くん、それはちょっと問題発言だよ。ふたりのこと、真剣に考える。放置しないで、早目に答えを出す」

「ノリ悪いなー、さくらねえさんってば」


 いやに湿った雰囲気になる。自分のせいだと、さくらはなんとか場を繕おうとしたけれど、どうにもうまくいかない。


「とにかく、ぼくと結ばれちゃえばいいんだよ。そうしたらぼくのよさがもっと分かるよ、さくらねえさん。みんなもそれを望んでいる」

「類は、誰に対しても避妊せえへんし、あかんわ。追加ちゃんは経験もないんやで」


 きつい。冗談じゃないから、祥子の発言はとてもきつい。


「それ、もう言うなって。男免疫皆無のさくらねえさんが、引くし。ほら、顔真っ青になっちゃったじゃん!」

「……お前ら、やっぱりそういう仲か」

「玲、勘違いしたらあかんえ。ただの遊びや、遊び。うちの本命は、玲やで」

「よく言うよ。悪女が」


 さくらは真剣に考え、告白したはずなのに、すべて茶化されてしまう。

 ひどい。とてもひどい!


「私、伝えたいことは言い終わったから、もう寝る。みんな、おやすみなさい!」


 怒り沸騰のさくらは二階に駆け上がり、ベッドに入ると頭から布団をかぶった。



「……あつい」


 そう、今は八月中旬。エアコンもついていない部屋で、布団をかぶって寝られるわけがない。

 しかも、階下では類と祥子が騒いでいる。ときどき、玲が『うるさい』『静かにしろ』『何時だと思ってんだ』と注意するけれど、その声さえもさくらの耳にはやさしく聞こえない。


「暑い」


 もっと、軽井沢で避暑したかった。


 早く寝ようとがんばればがんばるほど、眠れない。さくらは、布団の上をころころと転がるばかり。


「なにやってんだ、私……」


 勉強しに、京都へ来たんだよね? 玲のサポートをしに、京都で同居をはじめたんだよね? ただ、玲のそばにいられればいいと思っていたんだよね?


 恋愛まみれになるために、京都へ来たんじゃないよね?



 ちょっと、まとめてみよう。話も、長くなってきたことだし。


 玲が好き←これは変わらない。


 でも、類くんも気になる←NEW!


 玲のいいところは、やさしいところ。一緒にいて、安らぐところ。大切にしてくれるところ。まじめで、一生懸命なところ。糸染め職人目指してがんばっているところ。家事万能なところ。


 類くんのいいところは、明るいところ。情熱的で、ウラオモテがないところ。いつも楽しませてくれるところ。容姿抜群で、頭もいいところ。自分に自信があって、堂々としているところ。


 じゃあ、悪いところは?

 

 玲は融通がきかない。お金に渋い……守銭奴っていうのか。いつも一歩引いていて、若々しさに欠ける。頑固。


 類くんは、女の子が大好き……やっぱり万年発情期? わがまま。趣味が覗きで、特技が鍵のピッキング。不遜。


 一長一短なんだよね……みんな、そうだと思うけれど。



 無理だけど、三人で、わいわいがやがやしたかった。それこそ、ほんとうのきょうだいみたいに。


 ふたりとも、とても大切。誰かを選んだら、きっと失ってしまう。

 こわしたくないのに。

 今の時間を、箱に入れて鍵をかけておきたいよ。



 でも、自分は選ぶだろう。

 自分のために。


 さくらはぎゅっと目をつぶった。どうか、明日も笑顔でいられますように!


 そう願うと、さくらはじっとりとした眠気に包まれた。

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