第32話 送り火に誓う①-2

 嵐山が近づく。

 さくらは電話を握り締めつつ、電車のドアの前で待ち構えた。改札を通ったら、すぐ玲に連絡しよう。類対策のために、電源は切ってあった。


 改札を抜け出ると、人の群れだった。またもや、宵山の混雑を思い出してしまう。さくらは負けそうになったが、前を向いて気をしっかり保つ。


「さくら、ここだ!」


 玲が先に見つけてくれた。この人出の中、導かれたとしか思えないほどに、すんなり出逢えた。単純なさくらは、運命を感じてしまう。


「玲、ただいま。玲」

「電源、途中で切っていたのか。全然通じなかったぞ」

「ごめんなさい。考えごとしていて」

「涼一さんたちには言ってきたのか?」

「うん。送り火を見たいって」

「類にも?」

「さっき、電話で」

「……歩こうか。ここは、人が多くて暑苦しい」


 玲はさくらの背中を押して促し、歩きはじめた。はぐれないように、手をつなぐ。

 もう片方の手には、仏花を持っている。


「すごく、混んでいるんだね」

「今夜は送り火。嵐山では灯籠流しもあるんだ」

「そうなんだ、知らなかった」

「おじさんに大文字山へ登ろうって誘われたの、断ってよかったよ。あっちじゃ遠いし、すぐに会えなかった。まずは墓参りでいいな。実は、俺もまだなんだ」

「もしかして、じゃましちゃった? ごめんね」

「別に、いつものことだろ。さくらの通常運転、発車オーライ」

「あ、さりげなくひどいな」


 さくらは少しだけ気が緩んだ。力なく笑う。このいつもの感じ、懐かしい。泣きそうになる。やっぱり、玲の隣は心地よい。


「……さくら。類と、なにかあったのか。顔が暗い」

「陽が、暮れてきたから暗く感じるんじゃない?」

「ごまかすな。涼一さんがいても、だめだったか」

「半分ぐらいは、私がいけないの。私がはっきりしなかったから。ふたりを困らせたくて困らせているわけじゃないのに、結果的に苦しめている。ほんとうにごめんなさい。これ、見てくれるかな」


 さくらは、類と撮ったモデルの写真をバッグから取り出して見せた。玲は道端で立ち止まって食い入るようにして見た。

 というより、激しく睨んだ。


「そのうち、いやでも見かけることになると思うの。軽井沢で、いいアルバイトがあるって類くんに誘われて。でも、こんなことになるとは思っていなくて」

「ちょっと待て。意味が分からない。もっと、ゆっくり話してくれないか」


 さくらは、なるべくゆっくりと話した。


 帰京して家族旅行に行ったこと。

 類は仕事を兼ねていたこと。

 頼まれたアルバイトは、撮影の手伝いだと思っていたら、モデルだったこと。

 しかも、ブライダル。類の花嫁役だった。


 撮影は順調に進んだが、類と新婚カップルを演じたせいか、気持ちが大きく傾いてしまったこと。


 そして、指輪を受け取ってしまったこと。


「どれもこれも、玲に対する裏切りだと思う。玲と一緒にいたいって、あんなに願ったはずなのに、少し強く押されたぐらいで、類くんにぐらついてしまうなんて」


 話が終わるまで、玲はじっと聞いていてくれた。


「別に、いいよ。仕方ないさ。類には魅力がある。今の俺には、さくらをじゅうぶんにしあわせにできる力がない。あるのは夢だけで、金もない、暇もない。やさしくしてやれる余裕がない。しかも、類まで京都の大学を受験するとか。女ひとりに本気の類なんて、初めてだよ。大切にしてもらえ。ふたりとも、幸せそうじゃないか。言いづらい話を隠さずしてくれて、ありがとう。数年後、きっとこうなるんだろうな」


 歪んだ笑いを浮かべ、玲は写真を突き返してきた。


「だめ、玲。私、ずるいけど、玲のことも好きだもん。離れたくない。この写真は、演技だよ」

「でも、俺だけのものになるつもりはないだろう。涼一さんとの約束がある以上、俺もさくらには手を出さない。雷雨のとき、あやういことになりかけたこと、後悔している。その場の勢いだけでは結ばれたくない。だが、類は違う。あいつなら、情熱でさくらを奪いにくる。涼一さんもうまく説得するだろう。欲しいものはどんなことをしても手に入れるなんて、俺にはできない芸当だ。正直、自由なあいつが羨ましいよ。同じ血を持つきょうだいなのに、えらい違いだ」

「玲、私はどうしたらいいの?」

「自分の気持ちに素直になれ。きっと答えは自分で見つけられる。類に指輪をもらって、うれしかったんだろ。勝手に外すとあいつが怒るぞ、はめておけ。一度受け取ったからには、責任を持つんだ。外してやってもいいが、そうしたら俺は指輪を捨てる。今すぐ、目の前の川に投げる」


 それは、困る。使えないならば、きちんと類に謝って返したい。


 類のことを思うと、祥子のことも思い出してしまう。


 宵山の、夜。玲は知っているのだろうか。聞いてみたいけれど、これ以上傷つきたくないし、陰口をたたいているようで言い出せない。


「まだ、なにかあるのか?」

「ううん。お墓参り、しよう」

「そうだな。灯籠流しの時間も迫って来ているし、暗くなったら困るな」


 盆の期間に、ふるさとへ戻ってきていた魂、精霊(おしょらい)さんが再びあの世へ還ってゆくのを見送る行事が、送り火だという。迷わないように、山を焼いて魂を導く。

 昔は送り火の文字も五つではなく、十あったらしいが、はっきりしない。


 灯籠流しも、死者の魂を見送るためにはじめられた行事だ。お盆の時期だけつながっていた、あの世とこの世が静かに再び閉ざされる。


 さくらはきょうだいの父に向かって一心に願った。弱い自分を、叱ってほしいと。

 玲と類を惑わせている自分を罰してほしい、と。


 そう考えると、類と祥子との一件は罰だったのかもしれない。京都に来てから、今、もっとも苦しんでいる。滑り込み合格の追加ちゃん呼ばわりどころの苦しみではない。


 自分と同じように、きょうだいの間を泳いでいる祥子が許せない。しかも、祥子は自分よりも上手に数倍も濃いつき合いをしている。過去に玲を、次には類を。


 祥子を憎いと思う自分がいた。

 怖い。醜い。情けない。けれど、止められない。


「類くんが、前に話してくれたの。私は、源氏物語の浮舟みたいだって」

「浮舟? 宇治十帖のか」

「そう。やさしくて穏やかな薫君。情熱的で激しい気性の匂宮。ふたりの貴公子に愛され、けれどどちらも選べずに思い悩んだあげく、川に身を投げる女君」

「薫が俺で、匂宮が類か。なるほど、それは言えている。あいつもなかなか文学的なことを言うようになったな。それとも、ただの受験知識か」

「私は入水なんて絶対にしないけれど、浮舟の気持ちがなんとなく理解できる。どちらも選べない気持ち。どちらも、捨てられない気持ち。でもそれは、倫理に反していて、人の道を外す行為。もう少し、迷ってもいいなら、あの町家にいさせて。玲が出て行けと言うのなら、準備するけど」

「出て行けなんて命令するわけないだろ。毎日、お前の顔を見るために、俺はがんばっているんだ。できれば笑顔でいてほしい。できれば、やさしくしてほしい。そして、触れていたいのに」


 玲は、さくらの頬を手のひらで覆った。

 さくらのこらえていた感情が暴発した。


「ううっ、玲。玲っ。玲! ごめんね、玲。玲だけを、すぐに選べればいいのに。玲が好きなはずのに、類くんのことを忘れられないなんて、私ひどい」

「いい。黙って泣きたいだけ泣け」

「ごめんなさい。ごめん……」

「構わない。もっとラクにしろ」

「玲。玲っ」


 悪いと思いつつも、さくらは玲の胸にしがみつき、声を上げて泣いた。我慢していた心が、おもてに出てしまった。


 玲はそっとさくらの背中をさすり、頭を撫でてくれた。玲との絆は消えていないと思いたい。


 さくらは玲のぬくもりに包まれ、息をすることも忘れてしまいそうになるほど、玲に溶けていた。

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