第31話 送り火に誓う①-1

『早目に終わらせたい宿題を思い出した。家庭教師のアルバイトもある』


 そう涼一を説得し、さくらは家族旅行の途中で京都へ戻った。父は感づいていたと思う。さくらが類を怖れている、ということを。驚いていたが、反対はしなかった。


 急いで荷物を片づける手伝いをしてくれて、おすすめの軽井沢みやげもてきぱきと選んで持たせてくれた。軽井沢駅まで、タクシーにも乗せてくれた。

 聡子に、別れの挨拶ができなかったのが心残りだ。父がフォローしてくれると思うけれど、きちんとあとで電話して、謝ろう。


***


 八月十六日。京都は五山送り火の夜。山々に『大』などの文字が浮かび上がる、お盆の行事がある。


 駅前は、混雑していた。真夏の京都は暑すぎるので観光には向いていないけれど、この夜だけは特別に混むと聞いていた。人をかき分けるようにして進み、バスに乗る。


 類から離れ、西陣の地に着いたら、さくらは少し落ち着いた。

 けれど、さくらが消えたことを知ったら、類はかんかんに怒るだろう。ブライダルの仕事は明日まで続くと聞いている。撮影に協力すると言いつつも、結局は逃げ出したのだから、卑怯な行動だった。


 じっと、指輪を見る。

 自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。


 でも、玲に早く逢いたい。話がしたい。すぐに!


 

 西陣の町家に戻って鍵を開けたが、玲は留守だった。さくらは荷物を置き、おみやげを持って高幡家を目指す。歩いて五分とはいえ、町には昼間の猛烈な熱気が残っている。軽井沢の風が恋しい。


「こんにちは、さくらです」

「あら、追加ちゃんやんか」


 応対に出たのは、祥子だった。


「実家へ戻ってはったんやろ、類と?」

「はい。ついでに、家族で軽井沢へ行って。今、戻ってきたところです。類くんは、まだお仕事が残っているので、もうしばらく東京に。これ、軽井沢のおみやげです。どうぞ」


 さくらはジャムとドレッシングの詰め合わせセットを差し出した。


「おおきに。気持ち、もろうておくわ。類は受験生で社会人。忙しゅうおすなあ。ま、遠慮なく上がりよし。お茶、ごちそうしたる」

「あの。工場に、玲はいますか?」

「玲はおらへん。今日は送り火やさかい、さすがに工場も午後から休みや。どこ行ったんかぐらい、そんなん自分で考えよし。父も、山へ送り火の手伝いに行ったで。ん、その指輪、誰からもろたん? ははあ、類のしわざか」


 祥子は目ざとく薬指に光る指輪を発見した。さくらの左手を強い力でつかまえ、至近距離から凝視する。


「シンプルやけど、ええデザインやね。マリッジリングで新婚気分か」

「これは、理由があって。類くんの仕事で使ったんです。私も手伝ったので、もらっただけです」

「理由もなにも、こんな決定的なもんをつけて。玲に、見せつけんでおくれやす。玲が傷つくわ。顔と性格が、ちょっとばかりかいらしいゆうて、玲と類の心をわしづかみにして、もてあそぶのもええかげんにしとき。この、男たらしが」


もてあそんでなんかいない、さくらは反論しようとしたが、先にことばを発したのは祥子だった。


「で、類とはとうとう寝たんか。指輪はめるぐらいや、身体どうしの深い深ーい関係なんやね」

「違います。類くんとは、そんな仲ではありません」

「は? この期に及んでお預け? そんなん、類も生き地獄やで。すぐ手の届く場所におるのに、許さへんとか。どんだけ自分の処女をお高く売ろうとしとるん? 図々しいにもほどがあるで」


 祥子は、さくらの額をはたいた。


「売ろうだなんて。私は、真剣に悩んでいます。困っています。考えています。どうやって、答えを出そうかって」

「その、煮え切らへん態度が、ふたりを苦しめとるんや。うちは、玲とは昔っから深い仲やし、類ともなあ、宵山の夜に、寝たで。うふふ、楽しんだで。小っさいときはびーびー泣いてばかりおったあの類が、今では世間を騒がすアイドル級人気のモデル。誘ったら、すぐに乗ってきたで」

「……そんな、まさか」


 類と祥子が、関係した?


 確かにあの宵山の夜、類と祥子の姿はどこかへ消えてしまった。はぐれてしまったと思い、そのまま帰った。類は朝帰りして、そのあとはずっと部屋で寝ていて、楽しみにしていた山鉾巡行見物にも行かなかったらしい。さくらは、大学の講義だった。


「類はそうゆう子や。気が向けば、本命以外とも平気で寝る子。類の性癖に我慢ならないなら、やめとき。追加ちゃん程度の普通の女に、類は高望みやで。もちろん、玲も」

「失礼します」


 高幡家を勢いよく飛び出たさくらは、玲に電話をかけた。祥子に惑わされてはならない。落ち着こう。


 玲はすぐに出てくれた。

 いきなり高幡家に飛び込むのではなく、最初から玲に直接電話すればよかったのだ。


『さくらか? 京都へ戻ってきたのか。東京で、もっとゆっくりしてくればよかったのに』

「どこにいるの? 逢いたい。早く。どこ?」

『嵐山だ。墓参り』

「行く。待っていて」

『夏とはいえ、夜に若い女の子がひとりで出歩くな。嵐山駅まで着いたら電話しろ、いいな。必ず』


 電話はすぐに切れた。


 玲らしいなと思って歩いていると、着信があった。父からのメッセージ。『がんばれ』とある。


「がん……ばれ、かあ」


 すでに、がんばっているつもりだったのに。まだ、足りないらしい。『分かった』とだけ、短く返信。すると、さらに着信。さくらは身構えた。


 画面に出ている名前は、『類くん』。出ようかどうしようか、迷ってしまう。

 すると、切れた。

 諦めてくれたのかとほっとしていると、携帯がまたけたたましく鳴りはじめる。さくらは覚悟を決めた。


「……も、もしもし」

『もしもしじゃないよ。どこへ行ったのさ! 今、撮影がようやく終わったところなんだけど。明日の分までの仕事を押し込めてもらって、今夜はフリーなんだ。朝まで一緒に過ごすよ』


 甘やかな類の声、けれどさくらは無情なひとことを突き返す。


「ごめん、もう京都なの。先に帰らせてもらった」

『ほんとに、京都? どうして』


 電話の向こうで、類が絶句したのが分かる。逃げたとは言えない。


「今夜、京都では送り火。お盆の行事。見たかったの」


 そういうことにするしかない。ずるいと思いつつも、さくらは類から逃げたのだとは言えない。


『玲とふたりきりになんてさせない。ぼくも戻る』

「ええっ、今から? まさか」

『まさかじゃない。本気。てかもう、戻っている途中だし。じゃあ、またあとで』

「待って、類くん。あのね。祥子さんとのこと、ほんとうなのかな」

『祥子が、なに?』

「だから、その。聞いたの。類くんが祥子さんと」


 不審がっている類の様子が目に浮かぶようだった。

 しばしの沈黙ののち、ああ、と返事をした。


『黙っておけって言ったのに。祥子とやったことか。事実だよ。ぼくの誕生日、宵山の夜のことでしょ。知ってしまったなら、隠しても仕方ないね。寝たよ』


 認めたくなかったのに。さくらは訊ねてしまったことを激しく後悔した。


「どうして? 誘われたから?」

『それもあるけど、おもしろそうだと思った。それだけ。さくらねえさんが気にするような深い意味はないよ。目的は身体だけ。もしかして、妬いている? なるほど、意外と浮気が効果的なんだ。っていうか、少しぐらい遊んだからって、なんなの。ぼくははっきりと答えをもらっていないのに、さくらねえさんは独占欲が強すぎじゃない? ぼくと玲、二股かける覚悟ができただけか』

「そんなんじゃない。類くんの、意地悪」


 花嫁役を引き受けて、損をしたかもしれない。

 さくらは通話を終了させ、電源を切った。力任せに指輪を外してポケットに突っ込む。


 歯を食いしばって駅まで歩く。電車は混んでいる。

 玲の心配も杞憂に終わりそうだ。浴衣姿の女の子が目立つ。自分も着てくればよかった。かわいいと、玲は褒めてくれた。

 でも、宵山のことを思い出し、思いっきり首を横に振る。あの日のことは記憶から消去したいぐらいだ。

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