第29話 切ない音色を私に聞かせて③-1

 次の日。

 さくらは中庭にいた。

 まだ、頭の中がぼうっとしている。昨日のできごとが、夢のようだった。


 類は、朝から撮影を行っており、昨日の続きの世界にいる。さくらは蚊帳の外、すでに切り離されていた。


 避暑地の軽井沢とて、真夏の暑い陽射しの下では、類もかなりつらいと思うが、言われるがままに動き、顔を作る。ときおり、類からも提案もして撮影を盛り上げている。

 悔しいけれど、とても素敵だ。こうしてただ遠くから眺めているだけでも、飽きるということがない。

 木陰のベンチに座り、本でも読みながら見学しようと思っていたが、まだ一ページも進んでいない。


 類がみんなに好かれる理由が、よく分かる。目が離せない。目が勝手に追いかけてしまう。

 しかも、たまに類はさくらに熱い視線を送ってくる。どうだ、とばかりに自信満々で。

 困惑したさくらは自分の唇を何度も撫でていた。唇には、類からもらった口紅をつけていた。


「あー、あの撮影。モデルの北澤ルイじゃない?」

「ほんとだ、超かっこいい。どうしよう、こっち見た」

「テレビで見るより、本物は数倍いいね」

「軽井沢へ来てよかった。会社で、自慢しようっと」

「付き合いたいー。私の彼氏になって、ルイくん」

「バカね。ルイくんみたいな細い人の隣を歩いたら、よけいに太って見えちゃうから損だよ」

「あー。なるほど、でも、いいなあ。かわいいのに、色気たっぷり」


 さくらの後ろでは、通りがかりの女子たちが類を見て、きゃあきゃあと絶賛する。


 当然だ。類は輝いている。私の弟なんだよと、呼び止めて自慢したい。


 ……できないけれど。


「ここにいたのか、さくら。捜したぞ」

「あれ、お母さんと出かけたんじゃなかったの?」


 昨夜の、プールサイド覗き見事件以降、さくらは涼一に冷たく接している。


「聡子は仕事。アウトレットへの出店を考えているらしくて、下見に行った。私がいると、気が散ると」

「へえ。五月の連休のときもそうだったけど、家族旅行中にもお仕事だなんて、さすが社長さん」

「あちらのカリスマモデルさんといい、柴崎家は働き者揃いだよ」

「そうだね。今回の旅行は、玲も仕事で京都を離れなかったし」

「近場を観光でもするか。なにか、買ってやろう」

「類くんに、お昼ごはんを一緒に食べようって誘われているから、ここで待つ。ほしいもの、特にないし。京都では、類くんが服やアクセサリーをどんどん買ってくれて、困っているぐらい」

「まったく、類くん類くん。お前たちは、らぶらぶだな。求愛どころか、求婚されているんだろ」


 涼一はさくらの指輪を指し示した。

 そう、類にもらった指輪が、さくらの左薬指にしっかりとはめられている。


 昨日のまま、外していない。言いつけを守っているつもりではないが、外したくない気持ちが生まれていた。

 とにかく、ブライダルの撮影が終わるまでは、このままでいようと決めた。ひと晩かけて出た答えだった。


「久しぶりに会って、京都で進学したいと言われたときは、驚いたよ」

「誰が? 私のときの話?」

「おいおい、聞いていないのか。類くんだよ、類くん。どうしてもさくらと一緒にいたいと。相手は本気だぞ」

「類くんが、京都で進学? 初めて聞いた」

「本心ではお前と同じ大学に行きたいそうだが、それはさすがに難しいから、芸能活動に理解を示してくれる私大だってね。平日は大学生、週末に仕事をすると」

「忙しくて倒れちゃう。類くんが心配」

「じゃあ、さくらが協力しなさい」

「どうやって」

「それは自分で考えることだね。類くんの京都進学をサポートするか、東京に戻るよう説得するか、ふたりで帰ってくるか」

「私は、京都に残る。せっかく入学して、慣れてきたところだもん。友人もできてきたし、玲がいるし」

「だよな。さくらが東京に戻ってきてくれたら、私もどんなにうれしいかと考えたが」

「新幹線なら、たったの二時間だよ、二時間」


 さくらは、指を二本立てて、『二』を強調してみた。


「だけどね、一緒に暮らしているのとでは違うんだよ。さくらは、やっぱり玲くんが好きなのかい?」


 さくらは、手にしていた本をぱたんと閉じる。


「それが、分からなくなっちゃった。玲が好きで好きで、追いかけたくて京都に行ったはずなのに、類くんの姿を目で追いかけている自分がいる。おかしいよね」

「人の気持ちは、ひとことではあらわせないよ」

「聡子さんに、二股していいよって言われている。ちょっと前の私なら、断固拒否していたはずなのに、揺れてしまうんだ。玲も、類くんも、近くにいてほしいって思いはじめている。私、ほんとうにずるい。醜い人間だよ。いやな女」

「あのきょうだいを手玉に取れたら、さくらは一流の女になれるね」

「なりたくない、そんなの。ならなくていい」


 さくらは俯いた。


「……玲を振り切って類くんに飛び込んだら、『遊びだったのに、まさか本気にしたの?』とか笑われて、すぐに捨てられそう。類くん、今まではそうしてきたんだよね……テレビや雑誌の中に住んでいる男の子が、私なんかを好きだなんて信じられない気持ちもあるし、見た目がよくて将来性もあるけど、趣味は変態だし女の子大好きだし」

「つまり、安全策で、玲くんをキープしたいと」

「キープなんて言い方は玲に失礼だし、そんなつもりはないけど、自分に合っているのは玲だろうなって。一緒にいて、ラクなの。ああでも、今すぐに答えを出さなきゃいけないなら、『どちらも選ばない』『誰も選ばない』が答え」


 誰かが深く傷つくのならば、ビターなノーマルエンドでいい。

 きょうだいの気持ちはうれしいけれど、将来のお相手を選ぶなんて、自分にはまだ早い。できない。


 そこへ、類が駆けてきた。撮影衣装のままなので、白いタキシードである。いやでも、昨日の疑似結婚式を思い出してしまい、胸が騒ぐ。


「さくらねえさん、休憩時間になったよ。着替えてくるから、ここでもう少しだけ待っていて。オトーサンも、一緒に食事しよ」

「ふたりのお邪魔じゃないのか」

「はい。片倉さんも、いますし。オトーサンには、聞いてほしい話もあります」

「さくらさんをくださいとか、プロポーズ話とか、そういうのは勘弁してくれよ? 心の準備が、まったくできていないから」

「違うよ。まったく、さくらねえさんはオトーサン似だよね。うっかりのところとか、あわてんぼうのところとか。昨日の、チャペルでの写真を見て欲しいんです」

「な、なに。写真。そういうことなら、引き受けるぞ」


 類が愛らしい笑顔を見せた。なにか企んでいるときの表情だ。いやな予感がする。

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