第22話 祇園祭と恋の炎(めらめら)②

 夕暮れに包まれた四条烏丸の交差点は、人でごった返している。

 顔、顔、顔。声。警笛。アナウンス。人捜しには苦労しそうだ。


「田舎もんやなあ。ここで、待ち合わせが成立すると思うとんのか、はあ」


 だって知らなかった、ということばをさくらは飲み込んだ。


「目印がいるから、だいじょうぶです」

「目印?」

「はい。類くん。暗くても、やっぱり目を惹く存在ですから。背が高いし。それに、彼は類くんのことを知っていますので」

「へえ、彼か」

「クラスメイトです。学科の。実家がわりと近くて」

「ハシモはからかいがいあるよ。祥子のカモになるはず」

「あのなあ、類。あんさん、大学で目立ち過ぎや。学生でもあらへんのに、毎日出入りして、うちの研究室にまで噂が届いとる」

「受験勉強だよ、勉強。たまにさくらのレポート作りを手伝ったりとか」

「昨日は図書館で、女の子といちゃいちゃしとったって聞いたで。追加ちゃんのことやろ?」

「やだなあ、さくらねえさんの使う資料を一緒に探していただけだよ」

「背後から襲っとったって聞いたけどな。女の子のシャツの中に、手を突っ込んで」

「そんなことにはなっていませんってば!」

「信じられへんわ」


 祥子は首をかしげた。


 そこへ、橋本が到着した。


「柴崎さーん」


 突然の誘いだったせいか、橋本は普段着の黒いTシャツにジーンズだった。


「急に誘ったのに、来てくれてありがとう」

「い、いや。暇、だったし。浴衣、素敵だね」

「ぼくが買ってあげたんだ。すごくかわいいでしょ!」


 類が会話に入り込む。


「今日は類くんと、祥子さんが一緒なの。祥子さんは、類くんのいとこ」

「もしかして、高幡祥子さんですか!」

「祥子さんを知っているの? 大学の先輩だけど」

「もちろんだよ。文学部の新進気鋭研究者。初めまして、建築学科の、橋本譲です。お会いできるなんて、感激です」

「いつも、さくらや類がお世話になっとります」

「サイン、ください! 手帳にでもいいですか?」


 類だけではなく、祥子までが有名人だったとは。さくらは放心した。

 高幡家の血は優秀だ。いや、柴崎家にだって聡子というスーパーウーマンがいる。自分の凡庸さに、さくらは閉口してしまう。


 祥子が、有料だが観光客でも上れる山鉾を知っているというので、三人は行ってみることにした。

 人が多いので、ふたりずつ手をつないで行こうと祥子が提案する。


「遊びや。グーパーで決めよし。類と橋本くんの組み合わせになったら、どないしよ。『北澤ルイ、ホモっ気疑惑』か。新しい噂やなあ」

「笑いごとじゃないよ。ぼくは、さくらねえさんがいい」


 決まった組み合わせは、さくらと橋本。類と祥子だった。


「あら、意外」

「提案しておいて、意外とはなんだよ。意外って」

「ま、ええわ。十五年振りに手、つなごか」


 さっさと祥子は類の手を引き、ごく自然に歩き出した。ふたりとも背が高くて美形なので、とても絵になる組み合わせ。大声で類がわめいているが、人が多くて聞き取れない。

 さくらは、類がほかの女性……いとこの祥子と手をつないでいる様子を間近で見て、激しく動揺した。ただのゲームなのに、深く傷ついている自分がいる。

 

 なんだ? このもやもやとした感情は、どこから来るのだろう。


「……柴崎、さん?」


 動かないさくらを、橋本が促した。


「あ、ああ。うん」

「いやなら別にいいよ。はぐれないように、おれの隣をなるべく離れないで」

「いやじゃないよ。公平に決めたこと、お願いします」


 すっとまっすぐ、さくらは右手を伸ばした。

 息をひとつ飲んでから、橋本は左の手のひらをジーンズの横でごしごしと拭き、それからさくらの手を握った。


「ここまで来るのに汗をかいたから、気持ち悪いかも」

「ううん、私も。暑くて」


 橋本の手は、あたたかいを通り越して、熱気を帯びていた。お互い、なんだか顔を見ることができない。


「うわっ、中学生みたいなカップル、ここにおるで。手ぇつないだだけで、ふたりとも顔が真っ赤」

「さくらねえさんはぼくのものだから、大切に扱ってよ。百歩譲って触れていいのは、手だけだからね、手! うなじや、浴衣の合わせに手を入れたら、怒るよ!」

 

 そんなことを仕掛けてくるのは、類だけです。


 案内されたのは、鉾だった。

 巡行の前祭に参加する山と鉾は二十三基。七日後に行われる後祭で巡行するのは、残りの十基。女性禁制の山鉾もあるので、要注意である。


 会所と呼ばれる集会所の二階から、鉾の本体に乗り移るための通路がせり出している。

 さくらが上った鉾は、相当大きく、背も高い。何人乗れるのかと心配したが十人二十人と、わりとたくさんの人を収容していた。


 これが明日、京都の大路小路を練り歩くのだ。

 祭礼が通る道はどんなに細くても、山鉾が通過できるだけの幅は何百年もキープしてあるのだという。いくさなどで、祭りが中断していた期間もあったようだが、京都の歴史、おそるべしである。


「明日の巡行も観たいな。昼間だっけ。橋本くんは?」

「おれ、バイト」

「私も、授業だった」

「さぼっちゃいなよ、そんなの。山鉾巡行は貴重なお祭りだよ!」


 類はふたりをあおった。


「……類くんは、お気楽だね」

「なんだって。ぼくが、気楽?」


 なにげないさくらのことばが、類を怒らせてしまった。


「ぼくが、この五月六月で、どれだけ仕事を詰め込んで終わらせて、ここにいると思っているの? 半年のお休みをもらうために、必死でがんばった。お休みっていっても、受験勉強の日々。いくらさくらねえさんでも、簡単に『お気楽』とか言ってほしくないな。人生がかかっているお休みなんだ。ほら、ここは人混みでもなんでもないし、手は放しなよ」


 類はさくらと橋本の手を、手刀で切り離した。力任せで、けっこう痛かった。


「ごめんなさい。ことば、不十分だった……あれ、祥子さんは?」

「どこ行ったのかな?」


 三人が鉾を下りると、すぐ隣にバーがあった。今夜は道が通行止めなので、路上にもイスが置いてあり、開放的に飲めるスタイルとなっている。


 ひとり、祥子はそこで飲んでいた。


「あー、あんたら。そこに座りよし。お姉さんがおごったるわ。なにがええか」


 目を離した隙のほんの短時間、三杯目のグラスビールを傾けている。すでに酔いはじめたらしく、目がとろんとしている。


「ぼくも、ビールが飲みたいな」

「未成年でしょ、類くん」

「今日はお祭りやし、特別や。ええやろ、追加ちゃんも飲みなはれ。冷たいで」

「いいえ。だめです。それより、なぜ勝手に行動しているんですか」

「鉾に上ったら、ここのお店が見えたんよ。暑うてかなわへんし、三人はお子さまやし、ついつい」

「それ、飲んだら次に行こう。お宝、展示してあるお宅も、この先にあるらしいから、観たいです」


 祇園祭の慣例として、貴重な屏風絵や先祖代々受け継いだ甲冑など、披露する個人宅がある。普段は非公開で現役住居のそんな町家が、格子越しに覗いたり、土間まで上がれたりもする。祇園祭が、『屏風祭』とも呼ばれる由来でもある。


「お宝も、町家も必見だね」


 建築熱高まる橋本も大きく頷いたが、駆けつけ三杯はさすがに性急だったのか、立ち上がろうとした祥子はうずくまってしまった。


「頭、くらくらする。待ってな」

「だからそんなに飲むなって言ったのに」


 ペアの相方である類が介抱した。道路にへたり込んだ祥子は、類がかかえて引っ張り、頭を膝の上に乗っけてやった。こうなると、きれいな浴衣を着ていてもただの酔っぱらいである。

 さくらと橋本もその場に立ち尽くしていると、類が睨んできた。


「先に行って来なよ、町家。ふたりとも、観たいんでしょ。この、建築マニアどもが」

「いいの?」


 思わぬ申し出に、さくらは聞き返した。


「いいのもなにも、ないよ。ここで祥子の回復を待っていたら、終わっちゃうかもよ。せっかくのお祭り、せっかくの夜なんだし。ハシモ、ぼくの代わりにさくらねえさんをくれぐれも守って。がらの悪い、おのぼりさんな若者もけっこう歩いているから。どこからわいてきたのか知らないけど、京都の地元じゃないようなマナーのないやつらも、かなりいるよ」


 橋本は頷いた。


「分かった。じゃあルイくん、さくらちゃんを預かるよ。柴崎さん、迷子にならないように、もう一度手を……いいかな?」

「うん」


 橋本が『さくらちゃん』と呼んだことに、類は機嫌を損ねた。ちょっとこっちへ、とさくらに手招きする。祥子を膝の上に乗せている類は動けない。さくらは類のとなりにしゃがんだ。


『今日さ。ぼくの誕生日なの、知っている?』


 耳もとでささやかれる類の低い声が、とてもくすぐったい。


「う、うん。もちろん。十八歳のお誕生日、おめでとう類くん」


 このおでかけの途中で類のバースデーが祝えればいい、そう考えていたのだが、機会がないままだった。


 誕生日で急に思い出したが、玲の誕生日もきちんと祝っていなかった。バースデーカード一枚っきりである。

 さくらは、目の前が真っ暗になった。

 祥子に厭味を言われたぐらいで、好きな人の誕生日をうやむやにしていたなんて、最低である。玲本人に、イベントが迷惑かどうか尋ねたわけでもないのに、勝手に判断して見切ってしまったことになる。

 とんでもない失態だ。


『こんな誕生日、ないよね。大好きな子が、ほかの男と目の前で手つなぎデートなんてさ。この借りは、必ず返してもらうよ。唇ぐらいじゃ許さないから。はい、さっさと行って』


 さくらの耳たぶに少し歯を立てながら、さくらの背中をがつんとたたいた類は、手を振った。まだまだ、類の膝には、祥子が頭を乗せているので動けない。


「じゃ、行こうか。橋本くん」

「うん」


 ふたりは、照れながらも手をつないだ。

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