第21話 祇園祭と恋の炎(めらめら)①
「祥子さん、い、痛い。苦しい、です」
祇園祭、宵山の日。
さくらは祭見物へ出かける支度をしている。高幡家で、さくらは祥子に浴衣を着付けてもらっていた。
「こないな帯の締めつけで痛いとか苦しいとか、弱音を吐いたらあかん。緩う着付けて、途中で脱げたらどないするねん。浴衣のコツはな、男はんに『簡単に脱がせられそう、けど無理や』って思わせな。あ、けど類なら全部脱がせんでも、ささっとうまくやるかもしれへんなあ。はい、でけた」
姿見の鏡に、浴衣の自分がいる。
髪は右側にに流してひとつにまとめた。自分で言うのもアレだけど、なかなか、いや、かなりかわいい。大満足。
「ありがとうございます」
「十八の娘には少し幼い色と柄やけど、類の見立てか」
「はい。一緒にお買い物へ行ってくれて、これがいいって勧めてくれて」
今風のピンクの布地に花模様。帯は藍色。
髪留めも草履も巾着も、すべて揃えてくれた。
「類のイメージなんやね。さくらにはいつまでも、少女のままでおってほしいってゆう。下の部屋へ行きよし。早よ、パトロンに見せなはれ」
「はい。ほんっとに、ありがとうございました」
「ついでにお化粧もせえへんか。肌、きれいやけど、おしろいはたくだけでも、もっと引き立つと思うで」
「だいじょうぶです。口紅、つけますので」
さくらは以前、類にもらったピンクシャンパンの口紅をさっと差した。表情がさらに明るく、映えた。
「ふうん。それ、よう似合うとるで。けど、ほんまに胸ぺったんこやね。今度はタオルを詰めたほうがええな、さ・く・らちゃん?」
気にしていることを指摘され、さくらは逃げるように階段を下りた。
浴衣を買ってもらったはいいが、さくらは着付けができない。インターネットの動画なども参考にしたが、着付け途中にして汗だくになるだけで、さくらひとりには無理だった。
祥子に頼めばどうかと提案してくれたのは、玲だった。
簡単な着付けと帯も基本の文庫結びなら、玲もできるらしいけれど、それはさすがに遠慮した。
『あいつも、できるよ』
祥子に頭を下げるのは気が進まなかった。あちらからは見下されているが一応、恋のライバルである。
けれど、時間がなかった。渋々、さくらは祥子に依頼した。
京おんな、さすがの腕前。多少の厭味ぐらいは我慢しなければ。
「玲?」
階段の下でばったり会ったのは、玲だった。ちょうど休憩中だったらしい。手にお茶のペットボトルを持っている。
玲は、浴衣姿のさくらを凝視してきた。
「変、かな。慣れないし……」
照れたさくらは、視線を逸らして尋ねた。
「いや、とてもかわいいよ。似合っている。この前泊まりに行ったときも思ったけど、浴衣はいいね。かわいい自慢の妹だ。これから、宵山か」
おそるべし、浴衣マジック。過去に例を見ないほどの、絶賛だった。よけいに、うれしい。毎日、浴衣を着ようか?
「あ、ありがとう。宵山、類くんと祥子さんと行くんだ」
もちろん、玲も誘ったのだが、すでに即断されてしまったので、もう言い出せない。
玲は、祭りのにぎわいそのものに興味はなく、各山鉾の意匠について、昼間の明るいうちにじっくり見学したのだという。各山鉾の懸装品には、重要文化財レベルの貴重な織物が使われていたりもする。伝統職を目指す玲にとっては、見逃せない祭りだ。
そもそも、祇園祭とは、七月ひと月続くお祭りである。葵祭、時代祭とともに京都三大祭、などとも称されている。
本来は、疫病払いのための行事だったが、現在では京都町衆のお祭りとして機能している。
ひと月の中でも、特に注目されるのは山鉾巡行の、前祭り。山と鉾が夏の繁華街を練り歩く。
その前日が宵山とされ、巡行のために組み立てられた山鉾を各町で間近で見られるとあって、人気が高い。
「気をつけてな。地元の祥子がいるからだいじょうぶだと思うが、迷子になるなよ。例年、平日の夜でも人出がすごいから。はぐれたときのこととか、あらかじめ決めたほうがいい」
「うん。迷子になったら、家に帰るってことにした。玲も、お仕事がんばってね」
「ああ」
ずっと、ぎこちない仲が続いていたが、久々にさくらは玲と普通に話すことができた。
ほんとうは、玲と一緒に行きたかった。さくらは本音を押し殺す。それを告げたらきっと、玲は困るだけだ。
悲しい気持ちを隠し、明るくほほ笑んだ。
玲が、なにか言いたそうにしているので、思い切って尋ねてみた。
「どうしたの? 気になる?」
突っ込んだら、顔を真っ赤にしてしまった。珍しい。
「あー……、えーと。写真、撮ってもいいか? 浴衣、着ているところの」
「写真? い、いいけど?」
せがまれて、数枚。さくらは玲の被写体になった。
「どうも、な」
「珍しいね、玲が写真なんて。私の浴衣姿、待ち受け画像にでも使う?」
……参った! 図星だったらしい。玲はますます顔を紅潮させ、口もとを手でおさえた。
「そそそおそそお、そんなんじゃないし! ただ、めっちゃかわいくて! 撮っておきたくなっただけで! 獲って喰おうとか、考えてないし! いかがわしいことに使おうなんて、思ってもいないし! ……あ」
そうか。なにか、使うつもりなのか。玲も男の子なんだな。でも、それはヤダ。
「違うって! 冷ややかな目で見るなよ! かわいい娘の姿を、東京の涼一さんにも送るだけだから」
「父さまに?」
「そう! さっきからそう言っているだろ!」
いや、初耳。だけど、まあ許そう。あわてている玲が見られた。おもしろかった。
「さくらねえさん? なにやってんの。他の男に見せたらだめじゃん、もう。離れて離れて!」
類の登場に、玲はふいと行ってしまった。
「他って、外に出たら、いろんな人に見られるよ。第一、玲は身内」
「だから、いちばん最初はぼくだって。ああもう、さくらねえさんって、男心がまったく分からないんだから。あー、かわいいなあ、やっぱり『さくらいろ』だね」
そう言いながら、類はさくらのうなじに唇を近づけた。おしおきのつもりか、歯を立てようともしてきた。さくらは首を手でおさえ、あわてて飛びのいたけれど、まったく油断できない。
類も、町家で浴衣を着てきた。
濃い灰色の、一見地味にも見える布地だが、それがかえって類の若さを引き立てている。類は、メガネも帽子も要らない、大好きな夜のお出かけなので、すっかりはしゃいでいる。
玲は仕事に戻っていた。
擦りガラスの向こうで、さっそく糸と格闘中。ふんだんに湯を使う工場の夏は、地獄の湯釜ように暑い。玲の額や首筋には汗が光っている。
「類も、準備でけたか。ほな、行こか」
さくらは驚いた。
あでやか、ということばがふさわしい。祥子は、色とりどりの朝顔の描かれた白の浴衣姿である。髪もアップにして、かんざしでくるんとひとつにまとめている。とてもおとなっぽい。着付けや髪のセットを、ものの五分ほどで終わらせてしまっていた。仕事も早い。
玲も行けるかどうか、祥子はもう一度聞いていたが、断られたようだった。
「黙っていると、祥子もいい女だよね」
「同感です」
「ふうん、認めるんだ」
「私が男の子だったら、ああいう女性を恋人にしたい」
「やめておきな。さくらねえさんじゃ、さんざんふりまわされて、捨てられるのがオチだよ」
類は続ける。
「ねえ、男ひとりに女ふたりのおでかけじゃ、なんとなくバランスが悪いから、さくらの知り合いを誰か呼んでよ。あのメガネくんなんか、うってつけじゃないかな」
「メガネくんって、橋本くんのこと?」
「そうそう、東京駅で会った? ハシモって言うんだ。彼女もいないだろうし、どうせ暇でしょ。電話してみて、電話」
「どうせって言い方。失礼だなあ。それに、あのとき紹介したじゃん。学校でも何度か会っているし」
「あんな雑魚、普段はぼくの眼中にはないから」
気が進まなかったけれど、類に促されてさくらは電話をかけると、橋本は返事ふたつで了解をくれた。
……ちょっと、助かったかも。類と祥子のふたりに挟まれるのは正直、しんどそうだった。
「あーつーい、暑い!」
顔をしかめて、類はつぶやいた。
「京都の真夏は、まだまだこないな暑さやないで。ほら、背筋が丸うなっとる。カリスマアイドルモデルが、みっともないわ」
祥子はばちばちと大きな音がするほどに、類の背中を強くたたいた。
「いたいなあ」
さくらは、持っていた扇子で類の顔をあおいでやった。さすがはモデル、とでもいうべきか、暑いと連呼しても顔に汗は一切かいていない。
「追加ちゃん、連れを呼びはったって、ほんまか? まだかいな」
「はい。このへんで、待ち合わせをしたんですが」
「三人より、二対二のほうが据わりがいいでしょ」
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