第16話 攻撃は最大の防御なんて、誰が言った?①
玲の十九歳の誕生日が近づいている。
ひそかに、さくらはどきどきしていた。なにしろ、ふたりで迎える玲の初めての誕生日。手帳のカレンダーに大きく丸をつけ、さくらは考えた。
「当日はごちそう、かな。ケーキと。ああでも、たまには外で豪華ディナーもいいし。いっそのこと、どこか泊まりに行く? 類くんが来る前に、ぜんぶ……玲のものになりたい……なんて、不謹慎なことを思っていると、玲に怒られちゃうかな」
妄想を繰り広げ、さくらは手帳にメモを取りながら、ひとりでうふふと頬を染めている。
誕生日の当日は、火曜日。
大学の授業は午前中で終わる。そのあとで準備にかかれる、とするとやっぱり家でゆっくり、ということになるだろうか。
玲は連日の修業でとても疲れている。外に連れ出すのは悪いような気がする。でも、町家では甘い雰囲気になっても、玲に断られそうだ。
「あの子、そうゆうイベントは好かんで」
ここは、大学のカフェテリアだった。
さくらの目の前で、ランチセットプレートを持った祥子がにやにやと笑っている。
「ししし、しょ、祥子さん、いつからそこに」
「『たまには外で豪華ディナー』からや。玲も玲やけど、追加ちゃんも大概にせなあかんえ。玲はぎょうぎょうしい派手なイベント、嫌がる性格やで。誕生日パーティーとか(笑)で、返答されるかもしれへんなあ」
「そんな」
考えた予定すべて、崩れてゆく音がした。誕生日をきっかけにして、自分から攻めたほうがいいと思ったのに。しかも、ひとりごとがほとんど聞かれてしまっていた。
「そっとしておきなはれ。玲の頭の中は、糸のことでいっぱいや。で、ランチ、一緒に食べてもええね」
「私、もう行きます。図書館で、調べものをするので」
「つれへんなあ、追加ちゃんは。類と、どないなってはるんか、聞きとうおすのに。もう、寝たん?」
周囲の冷たい視線が、さくらに刺さった。いっせいに。
「し、祥子さん、時と場所を考えてください! しかも声、大きすぎます!」
「別に、ええやん。類は、追加ちゃんが好きで好きでたまらん様子さかい。あとは、追加ちゃんの気持ちひとつや。あいつを生殺しにしとくと、えらいことになるで。その気がないゆうなら、さっさと振ったほうが身のためや」
「類くん、冗談は多いですが、根はいい子です。多分……寸止めです」
「ふーん。ずいぶんと評価してはるんやね。ま、見た目だけはええし、なんとゆうても人気モデル。切り捨てるのが惜しいだけとちゃうか。単なるキープか、生殺しか。意外と、残酷やね」
「類くんは弟です。私、失礼します」
さくらはどかどかと大股でカフェテリアを出た。
「玲がイベント嫌いとか、類くんと、ね、寝たとか。祥子さん、いけずが行き過ぎ」
玲に、言いつけてやる。
玲の初めてを奪ったからって、いい気になるなと言い返してやりたい。
けれど、そんなことはできない自分がいる。
いつになったら、もっと勇気が出るのだろう。
***
日々、忙しくしているうちに、祥子にいけずされて気が萎えていたこともあり、玲の誕生日企画をなにひとつ、実行できなかった。
玲は誕生日当日も、その次の日も深夜に帰宅し、顔を合わせることすらできなかった。バースデーカードを書いてちゃぶ台に置いたけれど、ひとことの返事すらなかった。
「えーと、このあたりのはずなんだけど」
夕刻。
さくらは御所南地区を歩いている。
中京(なかぎょう)区のうち、京都御苑の南にあたるエリアは、繁華街に近いものの静かな住宅地で形成されており、教育熱心なファミリー層に人気が高い。
昔ながらの町家と、新しいマンションが隣接していた。
京都の地名表記はややこしい。
上ルとか下ルとか、西入ルとか、東京では聞きなれないものばかり。
上ルというのは北に向かうことらしいが、町名も難しい読みが多く、新参者のさくらには手強い。
「あ、あった」
目指すマンションは、さくらが三回通り過ぎた道すがらに立っていた。
緊張する心をおさえ、すうっと一度大きく深呼吸してから、エントランスの自動ドアをくぐり、インターホンを押して目的の部屋へと進もうと張り切る。
「こんにちは。家庭教師として派遣されました、柴崎さくらと申します。初めまして」
丁寧に名乗り、さくらは頭を下げた。
「こんにちは。どうそ上がっておくれやす。娘のあかりも待っとります」
ドアを開けてくれたのは、母親だった。
さくらは、家庭教師のアルバイトをはじめることにした。
短時間で高収入となると、学歴を生かしたこのアルバイトぐらいしか思い浮かばない。
「うわあ、来てくれはったん。かいらしいお姉さんや」
「はじめまして、山田さん。柴崎さくらと言います」
「名前で呼んでおくれやす。『山田』なんて苗字、うち好かん」
「そう? じゃあ、あかりちゃん。よろしくね」
「ママ、聞こえた? 東京弁や東京弁」
「柴崎はんは、東京のお方や。当然や」
「うち、はじめて。こないな近くで、東京弁!」
あかりは高校一年生になったばかりで、まだ受験をするのは先だが、東京の大学に進学希望とのことで、東京出身の女性家庭教師を探していた。さくらの条件とぴったり合ったので、今回初顔合わせとなったのだ。
京都でも名門の女子高の制服に、肩下まで伸ばした真っ直ぐな黒髪。日本人形のように愛らしい。
自分が先日まで高校生だったことを忘れ、さくらは目を細めた。
「勉強の合間に、東京のことも聞いてね」
「うれしい、お友だちに自慢でける。うちも、先生のこと、名前で呼んでええやろか? 『さくら先生』って」
「ええ、もちろん」
先生、なんてくすぐったいけれど、さくらは了解した。
「ほな、さっそくうちの部屋へ行こ行こ。こっち」
「あかりちゃん。先生に、迷惑かけへんように。あとでお茶、運ぶで」
あかりに連れられ、さくらは移動した。
部屋へ入ったとたん、さくらは目を見開いた。
「うわ、すごい数……」
「これだけ集めるの、ほんまに大変だったんよー」
白とピンクを基調にした部屋の壁には、ポスターの数々。
本棚には、北澤ルイが載っている雑誌がずらり。下敷き、缶バッジ、携帯電話のケースまですべて、北澤ルイだった。
「類く……、北澤ルイくんの大ファンなんだね」
「そうえ! うち、ルイくんと出会うために、大学は東京へ行くんや。さくら先生、東京のどのへんに住んだら会えるんやろか」
いや、類はやめてほしい……問題物件だと言いかける口を閉ざし、さくらは苦笑いをした。
「東京は広いからね。たまにドラマの撮影とか、見かけるけど」
「ええなあ。羨ましゅうおす。なのに先生、京都へ来はるなんて、もったいない。東大を受けはったらよかったのに」
「そ、それは、無理」
「さくら先生は北澤ルイくんのこと、好き?」
「う、うん。私にとっては年下なんだけど、でもやっぱりかっこいいね」
「先生も? ルイくんみたいに、顔もスタイルもよくて、頭もよくて、たくさん稼いどって、さわやかな明るい性格の男子、どこかにおらへんやろか」
もうすぐ、うちに来るよとはまさか言えない。さくらは力なく笑った。
天井、ちょうどベッドの上にまでポスターが貼ってある。
「うちは、ルイくんと運命的な出会いをしとうおす。そのためには、東京へ行かなあかん。さくら先生、みっちり勉強教えて。今、進学を考えとるんは、こことここの大学。こっちが、うちの模試結果」
なかなか頭がよいらしい。さくらは頷いた。
「この調子でがんばれば、じゅうぶん合格圏内だと思う。苦手を潰していくことと、得意を伸ばすこと。この二本立てでがんばろうか。でも、東京の大学に行っても、ルイくんに会えるかどうは分からないよ。彼も来年、受験するみたいだけど」
「うち、気張ります。えっ、ルイくん、大学を受けはるん? 高校、行かはってへんのに」
「う、うん。高卒認定試験を受けて、受験資格を得るつもりみたいだよ。ルイくん、もともと頭いいし」
「それやったら、ルイくんと同じ大学の学部を受けるで! どこ行かはるんやろか。私立のええとこかな。同じ教室で勉強でけるかもしれへん」
「そうだね、どこだろうね」
現在、類の志望校はまだ聞いていない。
仕事との兼ね合いで、東京の私立大になるだろうが、あかりのためにも、なんとなく探りを入れるべきかもしれない。
「けど先生、なしてルイくんのこと、そないに詳しいん? うちだって、ファンクラブに入って、インターネットを使うて、ルイくん情報は漏らさへんよう日々努力しとるのに。京都より、東京では情報も多いんやろか。ルイくんの活動縮小のニュースはほんま、ショックやったけど。そうやったんか、受験かあ。将来のこと、考えてのことやったんか。さすがルイくん、真面目やな」
義弟です。なんて言えない。さくらは言い逃れのことばを探す。
「勉強する気が、よりいっそう湧いてきたで。ルイくんを追いかけるで、よっしゃ」
そう宣言したあかりの目は、きらきらと夢に輝いていた。
奇妙なきょうだいやいけずないとこに挟まれているせいか、かわいい年下の女の子というのは新鮮だった。
さくらはできる限り、あかりの力になりたいと誓った。
山田あかりとの家庭教師契約が無事に成立し、まずは週に一度、訪問することになった。勉強をみてやればいい、そう思っていたが、事前に予習することがいろいろと必要で、さくらは高校のときに使っていた教科書を、東京の部屋から引っ張り出さねばならない状況に置かれた。
時間のやりくりをして、さくらは一度帰省することにした。玲にも、オッケーをもらった。金曜の放課後に東京入りし、日曜の夜京都に戻る計画。
教科書を取りに行くだけではない。
聡子から依頼された仕事……『部屋の片づけ』『類の荷造り』を、遂行しなければならない。
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