第14話 旅行って、テンション上がる⤴⤴⤴⤴④-1
昼食を終え、いったん町家へ帰って荷物を下ろした一行は、仕事組と観光組、それぞれの予定に分かれた。
涼一は、はじめての町家に『いいね~、風情あるね!』と興奮した。
「ええと、連休中の市内寺社ではイベントも多いみたいだけど、このあとはどうしようか」
京都在住歴一ヶ月の頼りないさくらが、ガイドブックを開いて涼一と類に説明した。
「昼寝でじゅーぶん。人混み、嫌い。暗くなったら、出かけてもいい」
類はさっそく長い脚を投げ出し、畳の上に寝転んでいる。多忙な類にとっては、ぐうたらすることが休日を満喫している真の姿なのだろう。
「せっかくの京都なのに、どこにも行かないのかい? 金閣寺とか、清水寺とか、王道を行こうよ」
「えー。やだよ、面倒。北澤ルイって顔が割れたら、ますますうんざり。てか、絶対バレる」
「さくら。マイナーでいいから、類くんが喜びそうな場所に案内して」
「調べてみる」
「検索するまでもないよ、オトーサン。さくらねえさんとふたりで、ホテル一択。さくらねえさんのことは、ぼくが全部おいしくいただく。最後までしたい。ね、さくらねえさん?」
「冗談はさておき。じゃ、行こうか」
涼一はふたりを促した。さくらは聞き返す。
「どこへ?」
「玲くんの仕事場。類くん、案内して」
「なんでぼくが、玲のところになんか行かなきゃいけないの。徒歩五分だよ。さくらねえさんと、勝手に行ってきて」
「いや、三人で行きたい。彼の仕事ぶりを見たい。父親として、あちらの家にも挨拶したい。さあ、行くよ。三十分、いや十五分でいい。帰り道に、アイスを買ってあげるから」
珍しく、涼一は己を主張した。
「アイスぐらいでつられないって。オトーサン、ぼくたちを何歳だと思っているんだよ、信じられない」
「私、行きたい。アイス、食べる。類くんも行こう。お願い」
さくらは立ち上がった。
玲の仕事ぶりを、まじまじとみたことはなかった。祥子がいるせいか、高幡家はめちゃめちゃ敷居が高い。あちらも、絶対にさくらを格下と思いつつ、敵視している。でも、三人でなら、怖くない。
類も、さくらに促されては重い腰を上げるしかなかった。
見慣れてきた町家の軒が連なる細い通りを抜け、三人は工場へ入った。類はインターホンも押さず、ずんずんと奥へと進む。
「建物の奥が、工場」
すりガラスの向こうに、玲の姿があった。
つなぎの作業着に、頭と首にはタオルを巻いている。家の中では見せないような引き締まった表情に続き、まぶしい笑顔がこぼれた。
さくらは驚いた。
ふだんの玲はあまり感情を顔に出さないか、無愛想のどちらか。こんなに明るい笑顔を見たのは、久しぶりだった。身体が熱くなって、やけにどきどきしてきた。玲にときめき過ぎて、胸が苦しくなる。
「おじさん、こんにちはー」
類が作業場のふたり、玲と師匠・高幡春宵に声をかける。
玲は、大きく目を見開いた。
「類? さくらと涼一さんまで」
工場では色を染める過程で高温の湯を扱っているため、玲は汗だくだった。
「こんにちは。じゃまだと思うけれど、ほんの少しだけ、息子の仕事ぶりを見に来たよ。事前に連絡も入れず、お伺いしてしまい、申し訳ありません。結婚して初めて、京都に来ましたもので。笹塚……いえ、柴崎涼一と申します」
涼一は高幡に名刺を出した。
しかし、高幡春宵は名刺を受け取らず、少し首を傾げて苦笑いを浮かべた。
「この通り、作業で手が汚れとるさかい。祥子ーっ、お客はんにお茶」
そう告げ、手のひらを広げてさくらたちに見せる。
全面、緑色だった。
「お父ちゃん、呼んだ? お客はん? なんや、類と追加ちゃんやないか。そっちは、どちらはんか」
「祥子、ことばづかいに気いつけなかんえ。聡子はんの再婚相手や。これは、うちの娘の祥子。失礼でやつで、すんまへんな」
「よろしゅうな、おじさん」
祥子は春宵の代わりに、きれいな笑顔で名刺を受け取った。
「きょうだいの父、涼一です。祥子さんは、きょうだいたちのいとこになるのかな」
「へえ。そうどす。追加ちゃ……さくらちゃんの、先輩でもあるんやで」
「おお、頭がいいんですね。学業優秀、容姿端麗は高幡家の血なのか」
「いややわあ、おじさん。さくらちゃんもめっちゃモテモテやん、玲と類に」
祥子はしなをつくって、ほほほっとお上品に笑った。
「だまされちゃだめだよ、オトーサン。いつも祥子は、超いけずだから」
「類は意地悪されてばかりだったな、そういえば。生きたカエルを投げつけられたり、かくれんぼ中に公園で置き去りにされたり」
玲も自然に笑っていた。
ホテルにいたときの張りつめた雰囲気とは、大違い。
「さくらねえさんの前で、さりげなく昔の古傷を抉るなよ」
類は反論したが、話はすでに進んでいる。
「うっとこは代々、西陣織の糸染めを細々としとります。今日は緑を染めとんやけど、五月に入って急に気温が上がって暑うなったさかい、なかなか染料の調整に苦心しますわ」
「おじさんたち悪いんやけど、天候や気温、湿度にも左右されやすい大事な工程や。あっちで見守りまひょ」
「ああ、すみません。もう帰ります。玲くん、今夜はさくらと私が夕食を作るから、なるべく早く帰ってきておくれよ」
「はい、ありがとうございます。涼一さん」
「えー。お茶、出すで」
「祥子に付き合えるほど、ぼくたちヒマじゃないんだ」
「なに言うてんの、このマセエロモデルが。追加ちゃんの処女を奪おうとしとることぐらい、知っとるで。ま、その子は、雰囲気に流されやすいうぶな性格しとるし、毎日ぐいぐい押せば案外簡単に落ちるかもしれへんけどなあ」
「口を慎め、祥子。類やさくらを貶めないでくれ。いくら祥子でも、許さない。とにかく、三人はもう帰ってくれ。頼む」
懇願しながらも、玲は怒っていた。
「父さま、類くん。行こう」
「待っとくれやす、ほんまにお茶を淹れるで。ちょうど、宇治から新茶が届いたんよ」
「いいえ。今日は家族の時間を過ごしたいので。お気持ちだけで結構です。おじゃましました」
さくらは必死に反論した。玲の仕事の妨害はもうしたくないし、祥子のいけずにも付き合いたくない。
「まー、追加の分際で、かわいげあらへんなあ。あ、おじさん、言うとくけどうち、玲の婚約者なんやで。いいなずけ、ってやつや。玲はうちの婿養子になるさかい、以後よろしゅう」
「えっ、婿養子?」
涼一はあわてて訊き返した。
「その話は破談にしたはずやで、祥子。確かに、うっとこには後継者がおらへんし、玲に継いでもらうつもりでおるけど、玲は自由に相手を選びよし、と伝えとる。そっちのお嬢さんでも、誰でも」
春宵が苦笑した。
「はーやーく。帰ろう、オトーサン。アイス、買ってくれるんでしょ。またね、おじさん」
類はさくらの手を引き、工場を出た。涼一もふたりに続いたが、消化不良の面持ちである。
「あのきれいな女子、類くんたちのいとこなのかい」
「うん、父方のいとこね。高幡祥子。さくらねえさんが通う大学の、院生。歳は二十三。玲に惚れているんだ。自称・婚約者。でも、親が公認の仲だった時期もあるし、どうなるかは分からないよ。ちなみに、玲の初めての相手って、祥子だからさ」
「は……初めての、相手! 玲くんは、あんな美人と経験済みなのか」
「そ。だから、どうなんだろうね。祥子はあの通りの容姿だし、染糸工場を継ぐつもりなら、玲は祥子と結婚したほうが、なにかと都合いいだろうね」
「これは、強力なライバル出現だなあ。さくら」
「別に、ライバルなんかじゃないもん」
「お。自信があるとでも? 玲くんには、さくらしか眼中にないと」
「そうじゃないけど……」
類とは関係のない話題になったので、類はふくれた。
「はいはい! そんなつまらない話は、もうおしまい。ほら、アイスアイス」
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