第12話 旅行って、テンション上がる⤴⤴⤴③-1

「そんな暗いところでなにしてんの、さくらねえさん? 玲?」


 類の声で、閉じかけていたまぶたが急に上がった。


「類? なんで、ここへ」


 玲も驚いている。


「ふたりの帰りが遅いから、様子を見に来たの。見当たらないから、フロントのお姉さんに聞いたら、庭園へ出ましたよって教えてくれてね」


 フロントのお姉さん……それは言わなくてよかったのに!


「色仕掛けで訊き出したんだな」

「そんなことしないよ。ただ、兄と姉を見かけませんでしたかって、かわいく尋ねただけだもん」


 おお、類よ。それが、世間でいうところの色仕掛けなのだよ。


「まったく、もう少しだったのに……!」

「さあ、部屋に戻ろ。庭園、もうすぐ閉めますって。まったく、油断も隙もないんだから」


 さくらと玲が指を絡めて手をつないでいるのを目にすると、類は間に割り込んだ。

 この庭園、今月の終わりごろからはホタルが飛ぶんだって、など聞いた話を明るい調子で話してくれる。さくらと玲に流れていたいい雰囲気を、ことごとく粉砕するために。


 家族を追って部屋に戻ると、すでに布団が敷いてあった。きっちりと五組、ずらりと並べてある。


「お布団? 川の字?」

「母さんの希望だって。でも、親はあっちのベッドで仲良く寝た」


 類がふたりを部屋に連れ帰ったときはまだ、布団が敷かれていなかったのだという。仕方なく、ベッドルームに両親を下ろし、そのあと広い和室に布団が用意されたと類が話してくれた。


「じゃ、私は次の間に」


 一組、布団を別室に移動させようとしたら、類が烈火のごとく怒り狂った。


「それじゃあ、なんのための家族旅行? ああ、さくらねえさんはまだ、柴崎家を許していないのか。ひどいな!」


 ひどいのは、きょうだいたちのほうである。強引にさくらを口説いたり、一方的に迫ったり押し倒したり襲ったり。姉と敬え、妹とかわいがれと、声を大にして言いたい。そのたびにどきどきしたり、うろたえる自分もいけないけれど。


「ところで、玲は?」


 室内には、姿がなかった。部屋の隅っこに、荷物だけが置いてある。


「露天風呂へ直行したみたいだよ」

「そうとうお疲れみたいだったけど、だいじょうぶかな。まさかお湯に入ったまま、寝ちゃった……とか、ないよね?」

「そんなの、知らない。ぼくと同じ部屋にいるのが、嫌だったんでしょ」

「ねえ類くん、様子を確認してきて」

「いやだよ。寝ていたら、お湯の中に沈めてとどめを差してくるけど、いい?」

「じゃあ私、見てくる」


 不安になったさくらは、部屋に付いている露天風呂へ玲を探しに行った。


「……玲?」


 脱衣所から、そっとドアを開けて呼んでみる。


 部屋の風呂とはいえ、広かった。夜の暗さもあり、どこまで奥行きがあるのか定かではない。


 返事はなかったけれど、玲はそこにいた。よかった。しかし、玲は背中を向けて座っている。動かない。起きているのか寝ているのか、はっきりしない。

 さくらは足袋を脱ぎ、濡れないように浴衣の裾を持ってもう少しだけ近づこうとした。


「玲、起きているの? だいじょうぶ? れ……」

「さくらねえさん、レッツ混浴!」


 背後から、類はさくらの身体を抱き、ヒノキ風呂の中に落とした。


 ざっばーんと盛大な湯音が響き、玲も波立った湯をまともにかぶった。



 ……信じられない。さくらは浴衣のまま、風呂に入らされてしまった。


「バカ、類! なにやってんだよ。さくら、けがはないか?」

「う、うん……びっくりしただけ。ごほっ、ごほっ!」


 かなりお湯を飲んでしまった。鼻の奥と喉が、つんと痛い。涙も出る。


「やさしいさくらねえさんが、玲のことを心配したんだよ? 風呂で寝ちゃったんじゃないかって見に来たの。ああ、念願の混浴。うふふっ」

「さくらの気持ちを考えろ、この万年発情期の変態モデルが!」

「なんだよ、月給十万円の底辺守銭奴のくせに」


 入浴中の玲はともかく、類も裸だった。目の前には玲の裸体。直視できなくて、手のひらで両目を覆う。背後には類の裸体。浴衣越しながらも、密着していることを感じてしまう。


 険悪きょうだいは、湯をかけ合いはじめた。湯を掬っては投げ飛ばす。玲は類の顔を容赦なく狙う。類はさくらの首に片腕を回したまま、攻撃に応じる。


「アイドルモデルの顔に、なにすんだよ」

「うるさいな。黙れ。ゆっくりいい気分で、風呂を満喫していたのに。手を離せ、さくらを解放しろ」

「やだね。せっかくの混浴なのに。離したら逃げられちゃう。ところで玲、少し太ったんじゃない?」

「余計なお世話だ」

「さくらねえさんの食事がおいしくて、幸せ太りってやつ? じゃまがいないもんね」

「じゃまなら大勢いるさ。東京にいたころよりも、湧いて出ているぐらい。夏からはタチの悪い虫も増えるし、今最悪なんだよ!」

「へえ、ストレス過食か」


 さくらは、気がついていなかった。

 体力の必要なきつい仕事が、玲の食欲を増やしているのだと簡単に考えていた。

 しかし、それだけではなかった。類のように体型に敏感な者が見れば、太ったとすぐに分かるらしい。


「あなたたち、なにやっているの。まあ、さくらちゃんまで。浴衣のまま?」


 さすがにこの騒ぎで、両親も起き出した。


「類がダイブしてきたんだ。さくらを連れ込んで。母さん、さくらの着替えを用意してやって」


 全身ずぶ濡れのさくらは、涼一が引っ張って風呂を上がった。


 浴衣と帯がお湯を吸ってしまい、ハンパない重みに変わってしまったのだ。脱ぎ捨てて上がるのが正解だがきょうだいの手前、そうもいかない。浴衣の下の下着もびっしょり濡れている。渡されたタオルでとりあえず顔を拭く。


「お、重い」


 風呂を上がると、浴衣が全身に張りつき、どっと重みに襲われた。鎧を身につけていると、きっとこんな感じに近いのだろうと想像した。


 洗い場で浴衣の袖と裾の水分を絞る。ぽたぽたどころか、どっど水が流れ落ちた。このままでは脱衣所にすら上がれない。


 さくらがいなくなった露天風呂では、きょうだい間の闘争がますます激しくなっている。お互いに立ち上がって、ほとんど取っ組み合いの喧嘩だった。

 ……さくらには、直視できない。


「わざわざ京都に来るな、エロモデルが。適当に、同業者でも喰っていればいいのに。女には不自由していないんだろ」

「ぼくは、さくらねえさんが好きなの。貧乏見習い職人が、さくらねえさんを幸せにしようなんて、百年早い」

「俺は、糸染めの道を極めたいんだ。ごちゃごちゃ言うな、外野が。さくらは全部、納得の上で俺についてきたんだ。つまり、俺らは両想い。今はささやかな暮らしだけど、必ずさくらの笑顔を守る」

「デートもキスもなし。もちろん、一緒に寝たこともない。服のひとつも買ってあげないで、極めたいとか、両想いとか、わめくのさ。身勝手だね。さくらねえさんは家政婦じゃないよ?」


 さくらは涼一に促され、室内に入った。きょうだいは口論に夢中で、さくらを見ていなかった。



「けがはなかったか」

「うん」


 新しいバスタオルで髪を拭く。せっかく結ってもらったのに、台無しだ。


「独占欲の強いきょうだいで助かったな、さくらは。ふたりが共謀して襲いかかっていたら、今ごろどうなっていたことか」


「類くんの京都行き、どうして許したの。聡子さんに説得された? 父さままで、類くん贔屓? ほんとうは私、類くんが怖いんだ」


 さくらの心の中に、類はぐいぐいと強引に割り込んでくる。玲への思いを駆逐してしまうほどの勢いで。


「……そうだな」


 用意された着替えを受け取り、さくらは涼一のことばを待つべく構えた。


「さくらが、玲くんに惹かれているのは分かっている。玲くんも、さくらを想ってくれているのは伝わる。でも、類くんにもワンチャンスをあげたい。さくらを想う気持ちは、ふたりとも遜色ない。三人で悩んで、答えを出してほしい。そんな説明では、だめかな? もちろん、私も類くんはちょっと怖い。でも、いつまでも逃げるわけにはいかない」

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