第11話 旅行って、テンション上がる⤴⤴②-3
夕食の時間になっても、玲は来なかった。家族が交互に電話をかける。
連れがひとり揃わないからという理由で、食事の開始時間を遅くしてもらったが、両親はぼちぼち呑みはじめてしまい、すでにぐだぐだ。
「さくら。類くんはけだものだ。これから、けだものと同居するお前が不憫で仕方ない。東京に戻って来い、ううっ。初体験の年齢が、じゅうに……」
「ストーップ! それ以上はなし、オトーサン。純情無知なさくらねえさんが知ったら、卒倒しちゃう」
「しかし、うっすらとは聞いていたが、類くんの早熟さはさくらにとって脅威だよ」
「涼一さん。そんな言い方って、ない。類は、誰もが憧れるカリスマモデル」
「だから、聡子は類くんを甘やかし過ぎたんだ。玲くんよりも自分に似ているからかわいいんだろうが、類くんの奔放さにはついていけないよ。武勇伝の数々には目玉が飛び出た」
「別に、あなたはついていかなくて結構です。類のお相手は、さくらちゃんです」
「さくらには、相愛の玲くんがいる」
「まだ、分かりませんって。どんでん返し、あるかもしれません」
「親がそれを望むのはおかしい。さくらは、類くんの抑止弁ではない」
延々と、夫婦の議論は続いている。
さくらは類の隣に移動した。玲から、ようやく船に乗ったと連絡が入ったのだ。
「酔っているね、完全に」
「うん。玲、迎えに行こうか」
騒ぐふたりを置き去りにして、さくらと類は玲を迎えに行った。
館内は広いのに、ほとんど人と合わない。満室だと聞いているが、窮屈感がない。
「ぼく、ここ気に入った。今度、泊まりに来ない?」
「えっ」
「だから、ふたりだけで。ね? オトーサンの勤めている会社が展開しているホテルでしょ。すぐに予約できるよ。イメージキャラクターとして、ぼくも関わっているし」
北澤ルイは、涼一の働いている会社のイメージキャラクターとしてTVコマーシャルや広告に出演している。評判がよく、収益も伸びているらしい。
「それは、さすがにちょっと」
「ぼくの大学受験合格記念にでも、だめ?」
「記念……うーん。部屋、別々なら。考えておくよ」
「よっし。がんばろ。お、玲、来た! こっちー、玲。大遅刻」
さくらは自然に駆け出していた。
「玲、おつかれさまでした」
スポーツバッグを肩に下げ、玲は疲れた顔で薄く笑った。
「悪い。明日納期の、糸の仕上がりが良くなくて」
見れば、手のひらは染料で黒ずんでいる。
「食事、はじまったところだよ。一緒に食べよう」
玲は、まじまじとさくらを見つめた。
「きれいだな、そういうの。浴衣に編み込みの髪型」
「ありがとう、うれしい」
正面切って言われると、照れる。さくらの身体はほてった。
玲に褒められるなんて、めったにない。
「ちょっと、そこのふたり。なにやってんの。早く行こ、ぼくおなか空いた!」
類はさくらの手を強く握り、強引に歩きはじめる。
夕食の食事会場には、すっかり出来上がった涼一と聡子がいる。
「れいー、遅い」
「待ちくたびれたぞ」
両親の小言を一身に受けつつも、玲は片っ端から食べてゆく。会話にも入らない。お通し、刺身、煮物、揚げ物、焼き魚に肉料理、お吸い物。ごはん、それにデザートまで。
「食べ過ぎじゃない、玲?」
「これから風呂に入るから。食べないならもらうぞ、類」
心配したさくらを一蹴する勢いで、玲は喰らい尽くす。
類は体重を気にしているので、食事の半分ほどでごちそうさまを言っている。
「こいつの胃袋、崩壊しているね」
「仕事で動くんだ。これぐらい、食べないと」
「オトーサン、母さん。部屋に戻ろうよ。酔い潰れた?」
「まひゃか。戻っちぇ、続き飲むべし」
「飲むべしー」
「ぼくも飲んでいい?」
「みしぇいねんの飲酒は健康に害を及ぼすおそれがあるしゃめ、法律で禁止しゃれていましゅ。いんしゅははたちになってかりゃ」
「涼一さん、舌がまわっていないわよ」
「そこの酔っ払いふたりとも、部屋に強制連行!」
類は、右肩に涼一、左に聡子をかかえて部屋に戻って行った。
「そっちのお皿、取って。あっちも」
両親と類の食べ残しを、玲は必死になって黙々とかき込んでいる。見事な食べっぷりで、反論ができない。
「さくら、お茶くれ。熱いの」
ひととおり食べ終えた玲は、ようやく息をついたらしい。
仕事がハードで体力を消耗するのは分かるが、この食べっぷり。ゆうに三人分はたいらげたのではないかと思う。糸染めの仕事が、体力的にしんどいのだろう。
「はー。食った食った」
そうつぶやきながら玲は這ってきて、さくらの膝の上に堂々と頭を載せてきた。
「すっげー気持ちいいな、ここ」
町家にいるときとは違い、玲は積極的に絡んできた。
「玲、食べ過ぎ。食べてすぐ横になるのも、身体によくない」
「昼飯、食べなかったせいかな。類のせいで、いらいらしてさ。さっきも、すごく動揺した。さくらと類、揃いの浴衣姿で出て来るから。新婚の、夫婦みたいだった。お前らに嫉妬なんてしないと思っていたのに。完全にやけ食いが入った」
さくらの膝頭をかかえながら、玲は小さくなった。いくつかの塗料が飛んでしまっている髪を、そっと撫でてやる。仕事が終わったあと、身だしなみをチェックする暇も惜しんで急いで来てくれたのだろう。
「……眠い。このまま寝られそう」
「だめだよ、食べてすぐに寝るなんて。ホテルの中を少し歩きながら戻ろうよ。類くんと一緒だと目立つから、うろうろできなかったんだ。お部屋に露天風呂もついているから、入りなよ」
「無理かも」
「玲ってば」
「ここは町家じゃない。家の中ではできないことも、できる」
さくらは腕を引っ張られたと感じたのとほぼ同時に、形勢が逆転していた。
さくらが下、玲が上。
両肩を畳に押さえつけられていて、まったく動けない。眠いとか言いながら、こんなに強い力が残っていたなんて反則に近い。
「だ、誰か、来るよ」
夕食会場は半個室になっているとはいえ、廊下では給仕の仲居さんが行き交っている気配がする。食事が終わったお皿を、下げにくるかもしれない。ほかのお客さんもいるだろう。
「俺たちは同居中で、両親公認の仲なんだ。遠慮なんてするな」
しかし、ここでは人目に触れる。『柴崎家の兄妹がいけない関係』だなんて知られたら、会社での涼一の立場がない。
「類とは、わりに将来のこととか話をしている様子なのに、俺には黙っていたことが悲しいよ。薄情者」
「目を覚まして、玲。いけない、こんなこと。将来の進路だって、内緒にしているわけじゃない。言うタイミングがなくて……あっ」
肩だけではなく、両脚もおさえられてしまった。
「さんざん類に迫られて触れさせて、俺は拒否か」
「そうじゃない、玲は大切。だからこそ、その場の勢いみたいなのは、困る。それに、きょうだいだし、こ……こんな明るいと……ところで」
「でも欲しい、さくら」
お互いの唇が近づいた、そのとき。
控えめなノックとともに、戸口で『しつれーしまーす。お食事は、お済みでしょうーかぁー?』と、仲居さんの声がかかった。
玲は、さくらの上から飛びのいた。さくらもあわてて起き上がる。
「終わりましたお皿、片づけますねー」
あぶなかった。まだ、心臓が高鳴っている。
「全部、下げてください。ごちそうさまでした。おいしかったです」
そう言い終えると、玲はさっさと立ち上がり、荷物を持つと廊下に出て行った。なにごともなかったかのように、涼しい顔で。
助かったのか、残念だったのか……? 結局、最後に取り残されたのはさくらだった。
「館内、案内しろよ」
玲は到着して食事に直行したので、部屋も見ていない。さきほどの態度といい、生意気な言い方に、さくらは少しカチンときた。
「部屋に戻っていきなりお風呂、っていうわけにもいかないもんね。大食漢の玲さん」
フロントに荷物を預け、身軽になった玲はさくらに手を差し伸べた。
「……え?」
意味がわからずに戸惑っていると、玲がさくらの手のひらを握ってきた。
「相変わらず、鈍いな。握手でもない、お手でもない。こういうときだけは、恋人同士らしくしていよう」
な、なんだ。手をつなぎたかったのか。
「うん、そうだね。賛成」
両親は酔い潰れているし、部屋に戻るのは、もうしばらくあとでいいだろう。
さくらは、玲と一緒に館内を巡った。
大浴場の位置を確認したあと、ショップとライブラリーを見た。バーもあったが、未成年は入れない。
「夜の九時まで、庭園を開放してあるって。行ってみる?」
「寒くないか?」
スリッパを下駄に履き替えて外に出ると、五月とはいえ嵐山の夜はひんやりしていた。
「うん、だいじょうぶ。玲こそ、おなかいっぱいなのに、歩ける?」
「人の心配をする前に、自分の心配をしろ。ほら、石畳。慣れない下駄で歩けるのか」
庭園の、ずっと奥まで石畳が続いている。ところどころに明かりがついているけれど、やや暗い。石畳の両脇には、咲きはじめたばかりのつつじが並んでいる。
「よろしく、お願いします」
さくらは、玲に手を伸ばした。ぎゅっと、握ってくれた。あたかかい。気遣ってくれて、玲は一歩ずつ、ゆっくりと歩いてくれている。
あたりには、誰もいない。ふたりの鳴らす下駄の音と、川のせせらぎだけが響いている。
家族旅行だということを、忘れてしまいそう。この時間が、ずっと続けばいいのに。
玲の横顔をじっと見つめた。今すぐ、こっちを見てほしいようで、見られたくないような、もどかしい気持ちになる。
だめだ、雰囲気ありすぎる……! 恋愛イベント発生フラグに飲み込まれてしまう!
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